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ペン型注射器事件について

松 本 直 樹 (本ページのための書き下ろし on 1999年7月14日、改版経過

 最高裁のページ知財判決速報の、大阪地裁のコーナーの第1号掲載特許侵害事件判決が、このH11. 5.27 大阪地裁 H8(ワ)12220 ペン型注射器等特許均等論そのコピー(ただしテキストファイル)をここにおいておきます)です。均等侵害を肯定したものです。ボールスプライン事件最判の判示した要件に従って検討した結果として、結論的に均等侵害を認めた初めての裁判例だと思います(たぶん)。充実した評釈とは程遠い、一読した感想をまとめただけのものですが、まあ、早いことに値打ちがあると思ってアップする次第です。

目次
1. 判決内容の概説
2. 全体的に見てのコメント
3. 個別的な問題点
4. この相違は合理的か?
5. ちょっと文句(特殊文字の扱いについて)
6. 補正と均等侵害(1999年8月11日加筆)
改版経過



1. 判決内容の概説  目次へ戻る

 ウェブページの判決文に文字化けが多数あることや(この問題は下に「文句」として書いておきます)、また図面が添付されていないためもあって、本当の問題点を十分には理解できないかも知れないのですが、読んで分かった範囲でも、以下のようなけっこう面白い判決です。なかなかに技巧を尽くしています(それが問題ではないかと思っているのですが……)。

1.1 本件特許の内容

 このケースで問題とされた特許は、注射器に関するもので、薬液の入った容器を注射器の内側に取り付けて、それをねじ込んで行くことによって静かに調合することができる、といった内容です(かなりいいかげんに要約してますけれど)。

 こうした発明について、本件特許は2通りのクレームを用意しています。すなわち、クレームの1から3は方法発明、4から7は装置発明です。内容的には相当重なっているのですけれど、発明の形態としては別のものになっているというだけではなく、記述としても独立していて、それぞれの独立クレーム(1と5;判決文には4ではなくて5が引用されているが理由は不明)は他方に従属しているわけではありません。それぞれの要件も微妙に違っているところがあります。

 クレーム1以下の方法発明は、注射器を使って薬液を「調製する方法」ということになっていますので、これを実際に実施して侵害する可能性があるのは、お医者さんということになります。被告は(原告もそうですけれど)、注射器やアンプルを供給する製薬メーカーですので、この特許方法にのみ使用する機材を提供する場合には、それが間接侵害であるということになります。それが原告の主張です。

1.2 装置発明についての判示(非侵害;均等でもない)

 まず装置発明の方では、結局、ネジ込みの仕方が違っていて、それがクレームの文言に合致しないし(争点一1)、また均等侵害でもない(争点一4)、と判断されています。このネジのメカニズムが本質的部分だということが判示されています。

1.3 方法発明についての判示(均等侵害成立で間接侵害)

 最終的に均等侵害を認めたのは、方法発明についての間接侵害との関係においてです。ここでまず争点となったのは「前端部を上にしてほぼ垂直に保持」というクレーム中の要件についてです(争点二2)。被告装置をお医者さんなどが使う場合には、やや上向けているだけで、垂直にまで持って行くわけではないということなのです。そうすると文言侵害にならない、この使い方が標準的な使い方であり(取説でそう指示されている)、従って間接侵害も成立しない、ということです。

 しかしながら、この「やや上向き」の使い方でも、「ほぼ垂直」の要件との関係において均等侵害にはなるという判断をし(争点二3)、これとの関係で結局間接侵害が成立するとしたのが本件判決です。

2. 全体的に見てのコメント  目次へ戻る

2.1 参考となる点および論点の多い判決

 この判決では、1つの事件の中で、2つの場面において均等侵害を検討し、その片方では成立が否定され、もう片方では成立が肯定されています。この結果、非常に示唆する点が多い判決と言えます。

 また、本質的部分というものの捉え方について、なかなか興味深いものがありますし、また間接侵害について均等論がどのように適用されるのかについての判示というのも、考えさせられるところがあります。

2.2 不思議な結論

 しかしながら、全体を通して考えてみると、不思議といえば不思議な結論です。技巧をこらしすぎているような気もします。というのは、次のように、一貫性を欠いているのではないかという気がしてくる点があるのです。

 装置発明のクレームの関係では、ネジ機構の相違が非常に重要視されています。クレーム文言の解釈において、明細書で開示されているような、注射液容器を中に固定するその管自体がネジ込まれる仕組みを意味しているのだとし、この結果として、まず文言侵害は成立しないとします。さらに均等侵害の検討において、ここが「本質的部分」だとして、別軸のネジ機構を有している被告装置については、そのために均等侵害は成立しないと結論しました。

 これに対して方法クレームの関係では、これが問題とはなりませんでした。それが、方法クレームの方には、ネジ機構への言及がまったく無かったというなら、まだ不思議はないのですけれど、必ずしもそういうわけではありません(後述します)。それでもとにかく、方法クレームの関係での均等の検討は、「垂直」の要件についてだけされています。

2.3 内容的に考えると……

 クレームの言葉から離れて、中身をちょっと考えてみると、これで良いのか不思議な気がして来ます。ネジ機構の構成が、装置クレームの方では、本質的部分だとまでされています。ところが方法クレームの方では、その要件が無視されているわけです。この2つの発明が全く別のものだというのであれば、もちろんこれもおかしくないですが、中身を考えて見てもこれは殆ど同じ思想なのです(図面が無いので本当のポイントを私が十分把握できてない可能性もあるんですけれども)。

 もちろんクレームの文言が違えば、それで結論にも違いが生じてくるべきではあります。が、しかし均等侵害の成否検討においては、それで何でも割り切れるものでしょうか? 方法クレームの方で書いてなくてもすむような話であれば(実は後述のようにこの点もそこまで割り切って言えないのですが)、装置クレームの方でも、たまたま入れてしまったに過ぎないものと扱われ、本質的部分ではないとして均等侵害の成立の可能性が出てくる、という話の方が私には納得しやすいです。

3. 個別的な問題点  目次へ戻る

 実は、上記のような疑問点は、別の角度から見ても生じてきます。それぞれのクレームの文理を考えても、やはり疑問があるのです。

3.1 装置クレームの文理の問題

 まず、装置クレームの方を検討すると、実は装置クレームの方でも、ネジ機構の要件はそれほどクリアに書かれているわけではありません。判決は、解釈の結果として、かなり厳しい要件と理解できることになるとして、被告の装置ではこれが当てはまらないと言っているのであり、判決文の言い回しを見てもこのあたりは結構微妙です。

 特に私が疑問に思うのは、判決の取る、次にご説明する文理解釈です。判決の取るこの解釈を前提とすると、被告装置は該当しないというのも理解可能ではありますが、そこにはかなり問題があります。判決文は、次のように言っています:

 右の構成要件において、「注射液の成分を一緒にして混合することが出来るように内部に前記容器を固定することが出来」、「相互にねじ込み可能な」及び「二つの」との構成は、いずれも「管状部材」の構成を特定するものであることは明らかであり、そうすると、本件装置発明における管状部材は、右のような構成をすべて備える必要があるものということができる。

 しかしクレームを読むと、「内部に前記容器を固定することが出来」の修飾先は、クレームのまとめの言葉である「注射液を調製する装置」であると見る方が自然です。少なくとも、判決文の示しているクレームの分析を前提とすると、そうとしか見えません(判決文の言うように読むなら、(7)と(8)という形に並べてはいけません)。この見方を取ると、被告装置のように別軸がネジとなっているものでもクレームに該当することになりそうです。クレームを引用しておきます(前半のおいて書きは省略します;カッコ数字は判決文が付した丸数字を直したものです;段落分けは判決の示しているものです)。

「.... 注射液を調製する装置において、

 イ(7) 注射液の成分を一緒にして混合することが出来るように内部に前記容器を固定することが出来、

  (8) 相互にねじ込み可能な二つの管状部材で構成され、

  (9) 該管状部材は、相互にねじ込まれた時に、前記容器の貫通可能な膜を備えた前端部が注射針で貫通可能に露出され、

  (10) 且つ容器の後端部において、前記後側可動壁部材が後端部に配置されたピストンによって液体及び前側可動壁部材とともに前方に移動して液体成分を前記連絡通路を介して固形成分の収納スペースに流入して振盪や空気の混入を生じることなく固形成分と混合して溶液を調製するように容器を包囲する

  (11) ホルダ手段を設けたことを特徴とする

 ウ 劣化しやすい物質の注射液を調製する装置。」

 (2001年4月16日追記) 機会があって改めて読み直してみましたが、(7)の「〜出来」を「管状部材」にかかっていると読む判決の読み方も、特のこのクレームの(7)や(8)だけを読むと、確かに自然には思われてきます。その意味では、上記の私の記載は、少々言い過ぎだったかも知れません。しかし、判決文のように(7)〜(11)に並べると、上記の私の指摘も自然なことになるように思います。また、判決の方法クレームについての結論(最終的な請求認容の結論)から考えるなら、このように読んであげても良いことになります。もっとも、このようにいろいろと考えてみると、このクレームの記載は、日本語的に何とも不明確です。それが権利者に有利に働くのは不適切、と言えば、判決のような読み方ももっともかも知れません。

3.2 上記の修飾関係の理解を前提とする解釈

 上記のように、装置クレームの文理としては、薬液容器を内部に固定する部分自体が、ネジ機構になっていることは、明白に必要とは言えないように思われます。ネジ機構は、それとは別の2つの管状部材によって構成されている、という被告装置のような仕組みでも(……被告装置のネジが、特に雄ネジである「案内ネジ軸」が管状かどうか、本当にはハッキリしないのですが、判決文の記載からは、ここは管状であるように推測されます)、このクレームに合致していると読むことは、不可能ではないと思います。

 それでも確かに、判決文のように必要と読むことも可能ではあり、さらにはそうした理解の仕方の方が、クレームの文言に自然なところがあるとは言えます。しかし、文理からしてそうでなければならない、というほどのものではなく、少なくとも判決文の示している分節の仕方では、別であっても構わない事が明白です。

3.3 方法クレームの解釈

 このように装置クレームについて、必ずしも文理から必然的ではない解釈によってネジ機構の要件を厳しく考えているのに比べると、判決が方法クレームについて取っている解釈は、ずいぶんと緩やかです。装置クレームについて、特定のネジ機構が同じような解釈の態度をとるなら、方法クレームの方でもこれを読み込むことはできるようにも見えます。実際、この点は争点になっています(争点二1)。

 すなわち、方法クレームの方では、「アンプルが前端部を上にしてほぼ垂直に保持された状態で、後側可動壁部材がネジ機構によりアンプル内を前進して、水性相を振盪または空気の混入を防止しつつ静かに下側から上側に流通させるようにしたことを特徴とする」となっています。この「ネジ機構」について、被告は、「抽象的クレーム・機能的クレーム」であるから「図面及び明細書全体の記載を参照して、権利範囲を合理的に確定しなければならない。」などを根拠として、具体的に開示された機構に限られると主張しました。

 裁判所はこの議論を排斥し、この点に関しては、開示されたネジ機構には限定されず、また当業者は適宜実施可能であるから、文字通りに「ネジ機構」でありさえすればこの要件を具備するものとなると判示しました。

 装置クレームについての解釈態度とは、随分と違っているように思います。

4. この相違は合理的か?   目次へ戻る

 以上のように、装置クレームの「ねじ込み」については随分と厳格な解釈をしているのに対して、方法クレームの「ネジ機構」については、非常に緩やかな解釈および結論となっています。

4.1 装置クレームの侵害を認める可能性

 確かに、装置クレームの方が、ネジ関係のメカニズムに関して、いろいろ書いてはあります。そこから、結論としてネジ関係について限定的に解釈するのも当然だとの理解もあるかも知れません。

 しかし、これらは被告装置のようなものまでも包含するものであると解釈することも、上記の通り、十分に可能であるように見えます。

 そうしてみると、方法クレームの侵害を結局認めるというくらいなら、装置クレームの文言解釈において、もう少し柔軟に侵害を認めてしまってもよかったのではないでしょうか? 私にはこの判決はちょっと複雑なことをしすぎているように思われます。

 皮肉に考えると、この判決は、多少無理矢理でも「均等侵害」を認めたかったのか、とも思われてきます。仮に装置クレームの方で侵害を認めるなら、むしろ文言侵害を認めることになりそうです。それに比べて方法クレームの方の「垂直」の要件は、いかにも文言侵害は認められ得ないけれど、均等を認めるのには相応しいものだからです(6で後述のような問題点も本当はあるはずですが)。

4.2 それでも均等侵害を検討するべきか?

 もっとも、私の考え方こそ、旧来の解釈態度の問題点を反省しないものだ、とも批判できるのかも知れません。すなわち従来は、均等侵害を忌避? しながら、そこから生じる不都合を、クレーム文言の解釈を巧妙に行うことで避ける、という解釈態度が取られていたと言うことが可能です。これは、文理解釈と言いながら、実のところ文理から離れた解釈を主としてしているわけで、適切な議論ではないかもしれません。議論の実質を隠蔽してしまうことになりかねないからです(以前にWJ-HD事件連邦最高裁判決の関係で私自身がそう書いたことがあります: 拙稿「ワーナージェンキンソン対ヒルトンデービス事件について」の§3の特に3.4参照)。

 しかしさらに反論するなら、本件判決の装置クレームの文理解釈こそ、文理自体から離れた検討をしているように思います。

4.3 本件で侵害は成立するのか? (2000年3月18日加筆)

 上記では、装置クレームについて侵害を肯定する可能性を指摘しましたが、私自身の考えとして、その結論が妥当だろうと思っているわけではありません。装置クレームの侵害の可能性を書いた趣旨は、判決の結論を前提とするなら、判決が現に採っている方法クレームの(均等)侵害よりもむしろ装置クレームの方ところで侵害を認めてしまった方が素直だろう、ということです。あくまでも、「方法クレームの侵害を結局認めるというくらいなら ..... 」という話です。

 侵害が成立するのかどうかについては、先行技術の状況などを十分に把握していないので、確たることは言えないのですが、私の印象としては、むしろ、方法クレームの方も否定されるべきだろう、というふうに思っています。装置クレームの方で“本質的”とされたネジ機構について、方法クレームにおいてもそれに限定するものと解釈することで、侵害は否定される、というのが、むしろ妥当な結論のように思います。これは、ネジを使ってゆっくり進むようにすれば静かに押せるというのは当たり前の話であり、それ自体が発明とは思われず、むしろその機構の中身に発明の要点があるとしか考えにくい、ということです。

 方法クレームの方の問題を、「やや上向き」の所まで持ち越してしまえば、それは均等だという話になるべきでしょう。しかしその前のところで侵害を否定する方がもっとも、というのが私の率直な印象です。

 従前の書き方では違った印象を与えてしまっていたかと思うので、加筆しておきます。加筆のせいで議論がますます混乱してしまったところがあるかも知れません、申し訳ありません。

5. ちょっと文句(特殊文字の扱いについて)  目次へ戻る

 判決がインターネットで見られるようになったのは非常に貴重ですけれども、少なくとも私のパソコンでは、正常に表示されない文字がかなりの数あります。特にこの大阪のケースの場合はひどいです。

 おかしい表示になっている文字は、よく見てみると、どうやら特殊文字(外字)のようです。その多くは、想像すると、正式の判決文が縦書きであるためのものとみられます。文字の両横に( )をつけたものとか、半角数字を2つ並べたものを縦書きの中に描くための特殊文字とか、そういった文字を使っていて、それをそのままアップしたものだからこうなってしまっているようです。

 インターネットで公開するためだけに、こうしたものをいちいち直すのはかなりの手間でしょうから、仕方がないようにも思います。しかし、最初からこうした特殊文字はあまり使わないほうが良いのではないでしょうか。なにも横に並べなくても縦に順番に表示してもよいと思うのです。特殊文字を使うのには手間がかかっているでしょうから、縦に並べた方が省力化になります。また、裁判所の文書を横書きにすればほとんど解決する問題ではあります。……こういうことを言うと、どちらについても日本語の表現について制約を加えるのはけしからん、というような反論が出てくるかもしれませんけれど、そんなこと言ってもねえ...。

6. 補正と均等侵害(1999年8月11日加筆)  目次へ戻る

 最初は見落としていたのですが、次の点が、かなり問題であるように思われます。本件では「垂直」の点について均等侵害が認められたわけですが、この要件は、審査過程において拒絶理由通知に応える形での補正によって追加されたものであることです。

6.1 判決文における言及

 この問題について判決文では、まず争点二2の中で、原告の主張として、次のようにまとめられています。

 なお、被告は、出願人が審査官からの拒絶理由通知に対応するために特許請求の範囲を縮減したことを云々するが、仮に被告が包袋禁反言に類する主張をしているのだとしてみても、「ほぼ垂直に保持された状態で」との点は先行技術に基づく拒絶を回避するために加えられた要件ではないから、右法理の適用されるべき場合ではない。

 同じ争点二2の中で、上記に続いて被告の主張としては次のようにまとめられています。

この要件は、出願経過において原告が補正により付加したものであるから、出願人(原告)の意思は、「垂直に保持された状態で行う方法」につき保護を求めることにあったことは明らかである。

 また、争点二3の中でも、やはり原告の主張として次のようにまとめられています。

  5 意識的除外   本件特許発明の出願経緯において、「水平に近い斜めに保持」する場合を意識的に除外したと解すべき事情は認められない。なぜなら、「ほぼ垂直」の点は、審査官が引用した公知例及び先願明細書に基づく拒絶を回避するために、意識的に挿入された要件ではなく、単にネジ機構の使用方法としての適正な用法を記載にしたにすぎないからである。

6.2 裁判所の判断

 そして裁判所の判断としては、まず、均等侵害(争点二3)に関して「本質的部分」の認定の関係で次のように言っています。

なお、乙第三号証(枝番が付されているものをすべて含む)によれば、本件方法発明における「ほぼ垂直に保持された状態で」との構成は、出願人が特許庁審査官の拒絶理由通知に対応して手続補正をした際に加入されたものであることが認められるが、右証拠によれば、拒絶理由通知における拒絶理由は、注射液の調製の際、空気の混入を防ぐようにすることは常套手段であるとの点にあったことが認められるから、本件方法発明の右構成は本質的部分であるとはいえないとの前記結論を覆すものではない。

 次に、同じく均等侵害(争点二3)に関して「意識的除外」の認定の関係で次のように言っています。

意識的除外等の事情について

 本件全証拠によっても、被告方法が本件特許発明の出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情があると認めるに足りる証拠はない。

 なお、被告は、本件方法発明における「ほぼ垂直に保持された状態で」との要件が、拒絶理由通知に対する出願人の手続補正により付加されたものであることを主張しているが、右の拒絶理由通知の趣旨は、前記のとおり、注射液を調製する際に空気の混入を防ぐようにすることは常套手段であるということにあったものであるから、手続補正により付加された「ほぼ垂直に保持された状態で」との要件は、右の拒絶理由通知における特許拒絶理由を回避するために付加された要件ではないことは明らかであり、しかもこれ自体は前記のように注射液を調製する際の常套手段を記載したにすぎないから、これをもって特許請求の範囲の記載から意識的に除外されたものに当たる特段の事情があるということはできない。

6.3 不思議な判示

 上記の判示は大変に難解です。「要件は、右の拒絶理由通知における特許拒絶理由を回避するために付加された要件ではないことは明らかであり」としていますけれど、何を言っているのか意味がよく分かりません。もっとも、この判決文が「明らか」と言っていることがちっとも明らかでない事は、上記の3.1で指摘した点も同様ですが。

 拒絶理由通知の趣旨が、常套手段だというところにあったのに対して、この「ほぼ垂直」の点の補正はそれを回避するためではないことが明らかだというのですが、これはどういう意味でしょうか? ほぼ垂直の要件を加えても、相変わらず常套手段だということでしょうか?(垂直の点について(そう直接に書いてないですがそのハズです)、「しかもこれ自体は前記のように注射液を調製する際の常套手段を記載したにすぎない」とあるところからは、そう見えます。) また、拒絶理由通知に対し、そのように意味のない補正をしていたというのなら、本件特許はどうして成立したのでしょう? 他にも補正があったのか、元々拒絶理由通知が妥当でなかったのか…?

 判決文の趣旨は、常套手段とする拒絶理由通知に対応して補正がされたが、補正の箇所は複数あって、そのうちでも問題の「垂直」の補正部分は「右の拒絶理由通知における特許拒絶理由を回避するために付加された要件ではない」と認定し、さらに、「垂直」自体は常套手段にすぎないので、結局、先行技術回避の場合とは違って、均等侵害はなお成立し得る、と言っているようです。しかし、常套手段にすぎない要件(=「垂直」)を何故に補正で追加したのか、これでは一向に明らかではありません。WJ-HD最判では、理由が分からないなら均等侵害はあり得ないわけですが、本件はこの場合であるように思います。

 また、米国での現在の議論でも、CAFCの多数意見など、補正の理由が先行技術回避でなければよいという理解もありますが(2001年4月16日付け追記: フェスト事件大法廷判決で、補正された要件については非常に厳しくなりましたが。ですから、今ならまして、CAFCでも本件は均等侵害とは言ってもらえそうにないですね。)、しかし、「常套手段」と言われたのに対応するために限定したという場合は、その限定には大いに意味があるはずで、後からそれを覆す主張が許されると言うのは、何とも奇妙です。そこまで言う人は、CAFCにも居ないように思うのですが。.... いや、この判決によれば、問題の「垂直」要件は、拒絶理由に応えてのものではないとしているわけですから、こういう議論とは違っていますね。問題の要件については、それが追加された理由は、ただただ不明です。それで均等侵害を認めたのは、非常に大胆だと思います。

 そもそも、この点についての判決文の言及は、極めて限られています。もしかすると、実際に被告の方からは十分な主張がなかったのかも知れないですが、そうにしても、主に原告の主張としてまとめるというのは、なんとも解せないです。この判決によれば、“意識的除外”についての証明責任は、均等を否定する側が負うことになっていますから、被告が主張するべき事項のハズであり、一体どうして原告の主張の方にまとめられているのか、ますます不思議です。

6.4 判決の言う補正の経過を前提とすると……

 本件判決は、補正で追加された要件でも均等侵害を認めた事案、と言えます。米国と比べると、次にご説明するように、この点について均等侵害を柔軟に認めていると言え、米国とは違うのだ、という議論の根拠となる可能性があります。

 まず、上記のような判示からすると、補正で「ほぼ垂直」を加えた理由は不明という事になります。米国のWJ-HD最判では、補正で加えられた要件については、それが特許性と関係のない理由によることが証明されない限り、均等侵害は認められません。これに従うなら、加えた理由が不明である「ほぼ垂直」の要件については、均等侵害の認められる可能性はありません。本件判決は、それとは違っています。

 また、判示では結局否定されていますが、常套手段というのを避けるために「ほぼ垂直」を加えた、ということのようにも想像されます。その場合には、「ほぼ垂直」ではないもの(被告の場合のような)を侵害とするのは、たとえWJ-HD最判とは違う見解を取るとしても、問題でしょう。「ほぼ垂直」としたからこそ特許が認められたというなら、そうでないものを侵害とするのは道理に合いません。

 別に米国の最判に従う必要は無いとは言えますが、WJ-HD最判のいうところは、それなりにもっともな話だとは思います。ボールスプライン事件最判の「意識的除外」の要件は、WJ-HD最判の趣旨を取り入れる考えで判示されたという見解もあるくらいです(それも、Gajarsa裁判官ばりに、補正で付加された要件については均等侵害を基本的に認めない、との考えだという話があります)。ですから、それに従わないというなら、もう少し何か、ちゃんとした議論をして欲しいところです。

6.5 出願の際の作戦への影響

 以下は、本件の検討の帰結ではなくて、むしろ本件に従うのであれば不要となる事項ですが、近時、補正と均等侵害の関係で考えていることがあるので、ちょっと書いておきます。

 仮に、補正で加えられた要件については均等侵害が認められにくいとなると、同じクレームが認められている場合でも、それが最初からあった場合と、補正の結果である場合とで、意味が違ってくることになります。均等侵害の可能性の有無という点で違いがあるということです。

 拙稿「侵害訴訟における無効判断と多項制そして年金の関係」では、補正や訂正審判があるから、侵害訴訟で無効とはされない日本では、最初から狭いクレームを用意しておくことの意味は疑問であるとの考えが成立し得る(それで多項制が活用されていないのではないか)、という考察をご紹介しました。この考察にしたがって、極端に敷衍して考えると、当初はとにかく広いめのクレームだけを出しておいて、必要に応じて補正なり訂正審判なりで狭くすればよい、という作戦もあり得ることになります。

 しかし、仮に、補正で加えられた要件については均等侵害が認められにくいのであれば、こういう手法は損です。均等侵害を認めてもらえるチャンスが無くなる(乏しくなる)からです。同じクレームに達するなら、最初からそのクレームを出しておいて、補正をしない方が有利です。均等侵害があり得るからです。

 (なお、多項制を活用した場合の狭い方のクレームについて(特に、広い方は拒絶理由通知が出て放棄されている場合など)、均等侵害をどうするかは、さらに興味深い問題ですが、今後の検討が必要です。)

 さらにしかし、本件判決に従うなら、補正のために均等侵害が否定されることは少ないですから、こうした実務が続くことを前提とするなら、補正を避ける努力の必要は小さいことになります(均等侵害の関係では)。

6.6 米国の現状

 さらについでですので、米国での現状について一言。この“補正で追加された要件についての均等侵害の可否”の問題は、ワーナージェンキンソン対ヒルトンデービス事件についてでも書いたように、米国で非常に問題となっている論点です。同事件最判が、“こうした要件については、特許性と関係のない理由によるものと証明されない限り、均等侵害は否定される”としたわけですが、その意味については、現在でも大変にホットな論点です。

 現在の米国での争点は、

  • 補正が特許性を理由としてなされたものだった場合に、その要素との関係では、均等侵害の余地がまったく無くなるのか(こちらがCAFCの少数説、Gajarsa裁判官に代表される)、それともその特許性とは違う方向への均等侵害の可能性は残るのか(こちらがCAFCの多数説)、

     (後者が多数説ですけれど、Gajarsa裁判官の主張の方が筆者には論理的だと思われます。WJ-HD最判により、補正の理由が不明の場合は均等侵害は認められ得ないところ、特許性が理由だったことが分かったことで、却って均等侵害の可能性が出て来るというのは、なんともヘンだからです。)

  • WJ-HD事件最判のいう「特許性」とは何か(先行技術を根拠とする特許性(特許性否定)に限られるのか、そうでないのか)、

 といった点です。本件も、もう少し判決文が充実していれば、特に後者の関係での日米交えての充実した議論の端緒となったように思うのですが、そうなっていないのは、当事者(特に被告側)の主張も不十分だったのでしょうか?

 (2001年4月16日追記) 上記の2点の両方について、フェスト事件では特許権者に厳しい判断が下されました、意外にも。それに比べると、いまや日本の均等論は世界でも最もプロパテントかも知れない?

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 1999年8月11日、「6. 補正と均等侵害」を追加しました。本間崇先生(弁護士)と話をしたら、この点について最も関心をお持ちで、私の方ではすっかり見落としていたことに気づかされました。それで、このセクションを加筆しました。

 8月17日、全体に表現を修正しました。補正の関係が原告の主張としてしかまとめられていないというのは、言い過ぎでしたので直しました(一応は被告の方にも出ていました;すいません、見落としていました)。

 2000年1月5日、「6.3 不思議な判示」の記載を少し手直ししました。

 2000年3月18日、「4.3 本件で侵害は成立するのか?」を加えました。

 2001年4月16日、弁理士会の均等侵害研究会で本件が取り上げられたのを機会に、判決などを読み直しました。その関係で、若干の加筆をしました。追記、として書いてあります。改めて思いますが、バイパスがあってネジ機構、が画期的なのだとすれば(原告および発明者はそういっているようです)、装置クレームの検討でネジ機構の具体的な構造(同軸構造)が本質的部分とされているのは何とも変です。でもそれ以上に、全体として、かなり近い先行技術まであるのに、問題のあるクレームで侵害を認めるのには、疑問を感じます。方法発明については、一体どこが発明だったと思っているのだろうか? まあ、権利者に言わせれば、方法クレームは、「ほぼ垂直」の点以外では、発明の実質を丁度良く記載している、ということなのでしょうが、そういうものかは、疑問です。


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