特許権の効力に関する国際的問題

特許権の効力に関する国際的問題

松本直樹 
(初出: 『特許管理』1993年3月号および4月号)

目次


1 問題点
2 米国の場合
3 米国での現状の検討
4 ジュリスディクション
5 日本の場合
6 ABAを侵害とする必要性
7 ABAを侵害とする解釈
8 国際裁判管轄
9 結語


 近時“特許制度の国際的調和”が頻繁に議論されているが、その際の話題は主に、特許権の取得についての問題である。例えば、米国の先発明主義が他の主要国の先願主義と違っていて不都合であると批判される。特に、米国特許法104条(35 U.S.C. 104、以下同様)が、発明が何時なされたかを認定するのに米国内の資料によることしか許しておらず、外国での発明について差別的な取扱いをしていることが非難されたりしてきた(現在では改善されたが)。これら特許権の取得にかかる問題に加えては、各国の特許権による保護の強弱、すなわち権利範囲の問題や損害賠償額の認定の在り方が比較され議論される。

 こうした問題は、いずれも一見国際的ではあるが、その国際性は実は“権利主体が外国人である”または“国際比較をしている”というだけで、それぞれの事象は各国内で完結しているものである。この意味では“国際的”問題ではない。しかし、現在のボーダーレスの現実世界では、こうした国内的な事象だけが問題となっているのではない。これまで極めて限定された範囲でしか議論されてきていないが、“属地主義”あるいは“独立性”だけでは片付かない“特許権の効力についての国際的問題”の検討の必要があるように思われる。

 効力についての国際的問題で、従来から十分な議論がされているのは、国際的消尽だけではないだろうか。もっともその場合でも、外国での許諾を無視して、あたかも鎖国してでもいるかのごとき「属地主義」を取る裁判例があるくらいであるが。この点、商標権についての議論の方が、まだしも国際的な状況を視野に入れているように思われる。これは、従来の日本の製品輸入が、最新の技術を使ったものの場合でも特許が問題にならなかった、ということであると思われる。例えば、薬事法による規制などの方が重大な問題で、特許の出番はなかったのではないかと思われる。

 本稿は、『特許管理』1993年3月号263頁および4月号453頁に掲載された同名の拙稿を元にしている。同誌掲載時には、編集部との連絡が不十分だったため、掲載の検討を依頼するために送った未完成稿がそのまま活字になってしまうなどのトラブルがあった関係から、本稿には相当量の修正を施した。

1 問題点

 本稿で扱う問題を疑問に思ったのは、日本の特許権を有する米国の依頼者からの次のような相談を耳にしたことが発端であった(事案を少し省略して説明する):“自社が製造する業務用装置について、日本の特許権を有している。この特許権に抵触する装置を、米国の競争会社が米国で製造して日本の顧客に販売している。製品の引渡しは米国内でなされているようである。日本の顧客による使用が自社の特許権の侵害になることは明らかだが、彼らは我が社にとっても潜在的顧客であるから、訴えたりすることは避けたい。競争会社を相手にして、なんとかならないか? ”

 この競争会社は“米国内での引渡し”までしかしていないから、米国での行為について日本の特許権に基づいて責任を問えるのでなければこの相談に対処できない。いわゆる“属地主義”からすれば、無理な話のようにも見える。ところが、お客さんがこうして訊ねて来ることからも推察できるように、米国では、これに相当する場合が“無理な相談”ではないのである。日本では本当に“無理”なのか、また“無理”で良いのか?

1.1 問題の所在

 日本の特許法による独占権は、日本の領土主権の及ぶ地理的範囲のものである。日本で成立した特許権の対象たる特許発明を米国で実施しても、それだけでは日本の特許権の侵害とはなり得ない。これは自明の理であって何の問題もないようにも思われる。しかし、自明でない問題につながっている。

 物の発明について日本で特許権が取得されていると想定する。この物を日本国内で生産することおよび販売することは、それぞれ、特許法2条3項の定義する「実施」に(販売することは「譲渡」として)該当する。したがって、実施権を得ているなどの事情がなければ、この特許権の侵害となる。一方、例えばアメリカでこの物を生産して販売することは、この日本の特許権の侵害とはなり得ず、賠償義務が生ずることはない。ここまでは当然である。

 では、アメリカで生産して日本に輸入し販売する場合はどうか。日本への輸入および日本での販売はそれぞれ実施であるから(かつ日本での行為であるから)、これらの点で侵害となることに問題はない。アメリカでの生産はいかに扱われるべきか。アメリカでの生産と日本での輸入販売が同一人によって行われる場合には、この議論に実益はない。日本での輸入販売の点をとらえて責任を問えば足りるからである。しかし、甲が日本で販売させる目的を持ってアメリカで生産してアメリカで乙に売り渡した上で、乙が日本に輸入して販売したならどうか。乙が問題の日本の特許権を侵害していることは問題ないが、甲は責任を負わないのか。

 米国特許法においては、この場合の甲に相当する者にも賠償責任が生じ得る。直接侵害を規定す[米国特許法]271条(a)には「within the United States」と地理的な限界を画する文言があるのに対し、間接的な侵害を規定している(b)および(c)にはこれに相当するものがない。この区別は意図的で意味があるものとされ、直接侵害と間接的な侵害とでは、地理的な問題についての扱いが違っている[チザム]at 16-148)。直接侵害については、271条(a)の規定のとおり、米国内の行為でなければ侵害とならない。これに対して間接的な侵害については、そこからの直接侵害が米国内で生ずるべきものであれば(この限定は、(a)によって定義される侵害行為にそれぞれの形で加担することを(b)および(c)が侵害とする、という規定の仕方をとっていることに発する)、それ自体は外国で完結している行為であっても(b)または(c)によって責任を生じ得るものと解釈されている(同前)。他者に販売させる上記の行為は、(b)の積極的教唆(active inducement)にあたり得るから、米国法であれば責任を負うことがある。

1.2 問題の整理

 詳細な検討に入る前に、まず、一般的な観点から問題を整理しておく。

 “法的権利としての”特許権を考えるなら、司法制度による保護までを射程に入れて初めて完結した議論となる。侵害行為たるべき実施に対しての救済を取り上げると、特許権の認められた国(以下「特許権国」)と、行為地の国(以下「行為地国」)と、その救済を求めての訴訟の法廷地の国(以下「法廷地国」)との3つが関係してくる。

 この3つがすべて同じ国である場合(これを、「AAA」の場合と表現することにする: 特許権国と行為地国と法廷地国を、アルファベットで表してこの順番に並べたものである)には特に問題はない。

 特許権の認められた国とは別の国での行為を取り上げようとする場合(ABAの場合)には、属地主義からいえば侵害が生じることはあり得ないはずであるとも見える。しかし、その属地主義の内容を考えてみるなら、実はそう単純ではない。他国での行為であっても、それが特許権国に関係のあるときは(例えば、特許権国への輸出のための生産の場合)、侵害責任を生ずる可能性を認めることができる。上記のとおり、米国の特許法および実務はこれを認めている。

 また、法廷地国だけが違っている場合、すなわち、ある他の国の特許のその国での侵害に対してその国とは別の国の裁判所で訴えたという場合(AABの場合)に、救済を認めるか、という問題もある。さらに、両者が組み合わされた場合(ABBまたはABCの場合)についても救済の可能性を考えることができる。

1.3 “侵害”の分類

 若干紛らわしいが、本稿では、本来の侵害[米国特許法]271条(a)の規定する侵害を「直接侵害」と呼び、「間接侵害」と言う場合には特許法101条の規定する侵害を指すことにする。これに対して、「間接的侵害」または「間接的な侵害」と言うときには、特許法101条の規定する侵害(すなわち「間接侵害」)のほか[米国特許法]271条(b)および同条(c)による侵害、さらに共同不法行為者としての責任(民法719条)を含むものとする。

2 米国の場合

 米国特許の直接侵害は、米国内の行為によらなければ生じ得ない。しかし上記のとおり、米国法廷では幾つかの場面で、外国での行為による米国特許についての侵害責任の成立を認めている。また、外国でのその国の特許の侵害についての救済も認めている。

2.1 直接侵害についての原則

 米国特許権は米国での独占権を規定し、その効力は米国内のものである、というのが原則である[米国特許法]154条は、特許は「他者が特許発明を合衆国内において(throughout the United States)生産・使用または販売することを排除する権利を、また、方法の発明の場合には、その方法によって生産された物を、他者が合衆国内において使用もしくは販売することまたは合衆国に輸入することを排除する権利を、それぞれ認めるものである」ことを規定する。これに応じて同法271条(a)は、「特許権の存続期間中に合衆国内において、特許された発明を権限なく生産・使用または販売した者は、特許権を侵害したものである。」と、直接侵害を米国内の行為に限定して規定する。

2.2 ABAの場合

 ここでABAというのは、例えば、米国特許権を根拠に、日本での米国向けの生産を、米国の裁判所が裁く場合である。米国では、外国での活動であるにもかかわらず、こうした場合にも侵害責任が成立し得ることが確立している。既述のとおり、特許法271条(b)および(c)の規定する間接的な侵害については場所の限定がなく、その結果たる直接侵害が米国内で生ずるものである場合には、その行為自体は外国でのものであっても間接的侵害を構成し責任を生ずるのである。

 特許法271条(b)は「積極的に特許権侵害を教唆した者は、侵害者として責任を負う。」と教唆(inducement)の責任を規定する。外国で生産して他者に米国内で販売させる場合には、これに該当し得る。

 特許法271条(c)は寄与侵害(contributory infringement)を規定している。特許発明にしか使用できない物の生産がこれに当たる。この場合も、関係する直接侵害が米国内でなされる場合であれば、寄与侵害行為自体は外国でなされても責任を生ずるとされる。条文は次の通りである: 「特許された機械・製品・結合物もしくは合成物の構成物または特許された方法を実施するために使用される材料もしくは装置であってその発明の主要部分(a material part of the invention)をなすものを、特許権侵害に使用するために特別に生産もしくは改造されたものであることおよび実質的に特許権を侵害せずに使用するのに適当な物または商品ではないということを知りながら販売した者は、寄与侵害者として責任を負う。」

 [チザム]によれば「外国での活動であっても、直接侵害が合衆国内で起こるのである限り、教唆または寄与侵害を構成し得るものであることを多くの裁判例が判示している。」(at 16-148)とのことである。

2.3 ABAを認めた裁判例

 この問題点は、米国では条文上明らかなものとされていて異論が無く、少なくとも近時の裁判例では詳細に議論しているものはない。他の論点の前提として等の形で判示されているにとどまる。

 裁判例をあげるなら、本来ならば、その判例拘束力の関係などからいって Court of Appeals for the Federal Circuit(以下「CAFC」)の裁判例が第一に参照されるべきものである(CAFCの設立にかかる過去の判例法の扱い等について[拙稿]を参照いただきたい)。しかし、直接に触れたものは見られない(主権侵害の関連で後に検討す[スエッセン]事件CAFC判決がこの問題に関係してはいるが、外国での行為を米国特許権の侵害とするものではない)。

2.3.1 [ハネウエル]事件

 控訴審レベルのものとしては、ハネウエル事件があげられる<注1>。原告ハネウエル社は、イリノイ州北部地区連邦地方裁判所に、メッツ社を含む被告4社を相手取って、ハネウエル社の有する写真用フラッシュ装置にかかる2件の特許権を侵害していると主張して訴を提起した。メッツ社に対する主張は、侵害物件を製造し販売したということであったが、かかる行為は(米国での最終的な販売に向けられたものではあったが)米国内でのものではなくヨーロッパで行われたものであった。地方裁判所は、メッツ社の申立に基づき、同社に対する人的管轄権(personal jurisdiction)がないとして同社に対する請求を斥けた。ハネウエル社の控訴に対して、第7サーキット控訴裁判所は、「合衆国の特許法は域外的な効果(extraterritorial effect)を有するものではないが、国内での直接侵害を結果するものである場合には、“active inducement”は合衆国外での事象(events)にも見出され得る。」(at 1141)として間接的な侵害の成立の可能性のあることを判示し、さらに人的管轄権の点でもハネウエル社の主張を認め、原判決を破棄して差戻した。なお、管轄権の点については後に改めて検討する。

2.3.2 [ニッポンエレクトリックグラス]事件

 もうひとつ、地裁のものであるがニッポンエレクトリックグラス事件判決を取り上げる。カラーテレビのブラウン管に使われるガラスの製造業者が、特許権者を相手取って、特許の無効と非侵害の確認を求めたケースである。

 被告特許権者は、ソニーの米国子会社(Sony Corporation of America)および松下電器の米国子会社(Matsushita Electric Corporation of America)に対して、1978年7月、販売しているカラーテレビが被告の特許権を侵害しているとの警告状を出した。特許権の対象は、ブラウン管(のガラス)で、ソニーらでは原告製造業者から購入してテレビを製造していたので、原告が被告を相手取って本件確認訴訟を提起することになった。被告は、原告との間には現実の争いがないこと(“lack of an actual case or controversy”: 日本の民事訴訟法の言葉に引き直せば、“確認の利益がない”ということになろう)を理由に請求を斥けることを求めた。“被告は、ソニーらに対しては請求しているが、原告を相手にしようとはしていないから、原被告間には実質的な争いがなく確認判決を下す意味がないから民訴法上この事件を扱えない(28 U.S.C. 2201)”という主張である。被告は、その議論の一部として、そもそも原告の行為は日本でのもので米国特許権の効力が及ばないから争いが生じ得ない、とも言っている。

 本判決は、被告特許権者のかかる主張を否定して訴訟手続の継続を決めた中間判決である。判決は、原告自身に対する請求はなくとも、本件のようにその顧客が警告状を受けているだけで“争い”を認め得るとした。加えて、特に本件では原告はソニーおよび松下が免責を合意している(仮に原告ソニー等のユーザーたるテレビ製造者が侵害とされた場合には、その賠償金を原告が負担する、との合意がある)から“争い”が認められることは一層明らかであり、さらに原告は(被告の主張とは違って)外国の行為で[米国特許法]271条(b)または(c)によって責任を負うことがあることから“争い”の存在は補強される、とした(この最後の点が、本稿の問題と関連するところである)。

2.4 AABの場合

 AABは、例えば、日本特許の日本での侵害を米国の裁判所に訴える場合である。米国では否定する議論は見られず、実際[オルトマン]事件控訴審判決はこうした救済を認めている。

 この事件の主たる請求は米国特許権の米国での侵害にかかるもので、地裁判決は、主たる請求とともに、これと同一の発明を対象とするカナダとブラジルとメキシコの特許権についてそれぞれの国での侵害行為を認めて損害賠償を命じた。控訴審はこれを支持した。

 もっとも、議論の仕方を見ると、まるで連邦裁判所の事物管轄権(subject matter jurisdiction)の有無だけが問題であると考えているかのようであり、不適切にも思われる(なお、管轄権の問題は後にまとめて検討する)。

 なお、オルトマン事件は1967年のものであり、いかにも古い例であるが、実際に外国特許権の侵害を認めた事案でこれより新しい物は見付けられなかった。この同じ問題を扱いなが[サフラン]も、オルトマン事件の他には、傍論で認めているにすぎない(しかも地裁判決である)メリル事件をあげるのみである。AABを認めるべき事情があることは余り一般的でない、ということではあろう。

 AABの場合には、外国の特許権が対象であるから、その特許権を認めた国の法律を扱わねばならぬことになり、外国法を扱うのに伴う困難が当然にあり得る。さらに、外国法についての一般的な困難に加えて、行政手続に関連した問題もあり得る。このために、米国の裁判所が担当することが不適切なこともある。そう判断する場合には、裁判権を裁量的に行使しないこともできるとされる。こうした裁量が認められることは、オルトマン事件判決[バニティフェアミルズ]事件判決を引いて肯定している(ただし、バニティフェアミルズ事件は、商標権および不正競争防止法についてのものである)。

2.5 ABBとABC

 上記の2つの場合についての論理からすると、米国の法廷では、ABBやABCの場合についても侵害が認められることがあり得る。しかし、直接認めた裁判例には未だ接していない。

 特にABB(例えば、カナダ特許に基づいて、米国でのカナダ向けの製造を、米国の法廷に訴える場合)については、救済を認める実益もあるのではないかと思われる。というのは、まず、法廷地が被告の行為地おそらくは被告の本国でもあることになるから、ジュリスディクションが認められることにはほぼ疑問がない。また、最終的に執行が必要となるのもその被告の本国である可能性が高いので、ABAとする(すなわち、上記の例でカナダの法廷に訴える)のに比べて意味のある場合が予想されるからである。

 ABC、例えば、カナダ特許に基づいて、日本でのカナダ向けの製造を、米国の法廷に侵害であると訴える場合についても、侵害と認められる可能性が現実的にも必ずしも否定できないように思われる。もっともABCでは、侵害行為自体が米国外のことであり直接侵害が米国内で生じるわけでもないからジュリスディクションの根拠となり得ないので、ジュリスディクションが認められるのは被告がたまたま米国内に支店を有している場合などだけということになろう。したがって、こうした請求を認め得る場面は、かなり限定されることにはなる。

 なお、以上でカナダ特許としたのは、日本特許では、日本の法廷でさえも外国での行為を侵害としない(間接的侵害ともしない)のであるから、これを反映して外国の裁判所でも侵害を認めない、という可能性があるからである: 侵害地と違う国の裁判所が扱う、ということを問題としたかったので、このような理屈で請求が否定される可能性があったのでは議論が混乱すると思われた。といって、カナダの裁判所においてカナダ特許の外国での間接的侵害を認めるものであるかどうかを調査した上のものではないことをお許し願いたい。

2.6 まとめ

 米国では、間接的な侵害についてABAが認められることに異論はない。AABについても、裁量的な不行使はともかくとして、救済し得ること自体には争いがない。ABBおよびABCについては、直接に議論したものは見られないが、認められ得るものと思われる。

3 米国での現状の検討

 以上のように、米国の裁判所では外国での行為を(その国の特許の、または米国の特許の間接的な)特許侵害とすることがある。こうした実務に対しては、“属地主義に反するのではないか”および“その行為のなされた国の主権を侵害するものではないか”との批判がされるべきとも見える。

3.1 属地主義と侵害認定の必要性

 まず、外国での行為について侵害を認定することが、属地主義と対立せざるを得ないものであるのかどうか、考えてみる。

3.1.1 属地主義

 工業所有権の保護に関する代表的な国際条約であるいわゆるパリ条約には日本も米国も加盟しているが、その4条の2は、「各国の特許権の独立」を規定している。ここでは、各国での特許権による独占実施権はその国の特許法によって与えられるものであること、すなわち属地主義が当然の前提となっているものと見られる。基本的に、それぞれの国での独占権は、その国の特許を認められることで初めて得られるもので、米国の特許法によって他国での実施が独占され得るものでないことは言うまでもない。

 ABAの場合(米国特許権を根拠に、日本での米国向けの生産を、米国の裁判所が裁く場合)の侵害を肯定するとすることは、この属地主義の点で問題があるとの考えもあろう。しかし、内容をよく考えてみれば、これは原則としての属地主義と矛盾するものではないことがわかる。米国での実施は、属地主義によって米国法に委ねられている。他国での実施はその国の法律に委ねられてはいるが、ABAを侵害とするのは、米国法によって与えられる独占権を十全に保護しようというにすぎない。逆に、その他国での米国向け生産には、それが許されるべき何等の正当な利益も見出せない。結局のところ米国での販売により米国特許権を侵害することになるだけだからである。

3.1.2 侵害認定の必要性

 ABAを侵害としなければ、国境を越えた交易が日常化している現代では、侵害の本体を捕捉できないことになってしまうことにもなる。米国向けの生産をしてその生産国で米国ディーラーに販売している生産者がいる場合に、米国で販売しているディーラーしか侵害とされないのでは、侵害の本体を見逃すことになる。

 しかも、冒頭の相談例のような場合には、実際上、特許権の行使ができないことになってしまう。米国特許を考えるには、日米を置き換えた場合を想定することになるが、業務用に使用される特許発明たる物を米国の使用者顧客に米国外で売って(買い主の危険負担で輸送して)いる場合には、特許権を行使するのは難しかろう。というのは、この外国での製造者と特許権者とは競争業者であるから、米国で使用しているのは特許権者にとっても潜在的顧客であり、依頼者の言うとおり、これを侵害だと訴えるわけにはいかないからである。

3.1.3 さらなる必要性

 さらに、ここで取り上げている問題のうちでも、単なる積極的教唆や寄与侵害にしかならない行為(直接侵害となるためには、発明の構成要素をすべて充足する必要があるが、それには至らない行為)については、その行為地国(部品の輸出国など)で特許を得ても必ずしもこれを侵害とすることができないことにも考えを及ぼすべきである。たとえその国で特許を取得しても、まず、構成要素をすべては充足しない行為は直接侵害にはならない。といって、輸出にかかる行為について間接的な侵害の成立を認めない立場(いわゆる「従属説」、以下でさらに議論する)をその国がとる場合には、間接的侵害にもならないわけである。単なる教唆など、間接的侵害にもならない場合については、保護が十分でないことがまして明らかである。こうしたことからも、外国での間接的侵害の成立を認める必要がある。

3.2 主権侵害

 主権侵害は、2つの点で問題となり得る。

3.2.1 立法主権

 まず、外国での行為を米国の立法によって規律せんとしている点で、ABAの場合(日本での米国向けの生産が米国の裁判所により米国特許権の侵害であるとされる場合)について他国の立法主権を侵害するものではないか、問題となり得る。

 これは結局、議論の内容としては、上記の属地主義の問題と同一である。他国内で完結している行為を、(誰かの独占する知的所有権の対象として)違法とするかどうかは、正にその国の立法主権の決定するべきところであり、米国がこれをしようとするのは主権の侵害となろう。

 しかし、ここで問題とされている行為は、その行為地の立法に委ねられなければならないものではない。米国内の直接侵害行為については、それを侵害とするかどうかは、当然に米国の立法に任されるものであり、その結果として違法とされるものである。そうした米国内の直接侵害行為に加担せんとするものであるから、禁止されることには問題がないものである。このような内容を考えるなら、立法主権の侵害というのは当たらないとの立論が可能と思われる。

3.2.2 司法主権

 いまひとつには、司法権の行使として問題となり得よう。この問題は、ABAの場合(米国特許権を根拠に、日本での米国向けの生産を、米国の裁判所が裁く場合)でも、AABの場合(外国の特許権をその国で侵害したことを米国の法廷で裁く場合)でも、生じ得る。

 これは、ひとつには、その国の法によって規定されるその裁判所の基本的な権限の範囲の問題であり、次に検討するジュリスディクションの問題である。

 加えて、国際的な調整の問題がある。他国での実施を強制的に差し止めるには、最終的にはその国の主権によるほかない。しかし、本稿で問題としているのは第一には侵害についての金銭賠償であり、他国での行為を理由としての賠償も認められるということである。この点についての司法主権の問題としては、最終的な強制執行を視野に入れたなら、賠償の原因たる行為の場所とは無関係に、被告の財産の所在するところで訴訟をするのがむしろ原則である[オルトマン]事件では、米国での侵害が取り上げられていることからも米国に財産があるだろうことがわかるので、米国での訴訟遂行は極めて合理的である。

3.2.3 [スエッセン]事件

 前出のスエッセン事件CAFC判決は、他国における行為の差止めも命じ得るとの判断を示している。この事件では、ある種の紡績機の自動化にかかる米国特許2件が問題となった(判決書には技術的説明が十分にはないが、紡績した糸が切れた場合にこれを自動的につないで作業が進められるように自動化した紡績機が特許の対象となっているようである)。被告らは、度重なる差止命令にもかかわらず、侵害製品のドイツでの生産および米国での販売を止めなかった。この結果、サウスカロライナ連邦地方裁判所は1989年6月15日付け命令(order)において、米国内での行為だけでなく、米国での使用のためのものである限りあらゆる自動式回転紡績機(automated rotor spinning machines)の生産・販売・使用・サービス・展示・デモンストレーション・プロモーションまたはコマーシャリゼーションにかかかる行為等を禁止した(対象となる機械も原告の特許権の対象となるものに限られず、自動式回転紡績機である限り、設計変更を行っても製造等ができないとし、設計変更によって特許権を侵害しないものとなったと考える場合には、事前に裁判所に申立をしてその旨の許諾を得ることが命じられた)。

 被告らは、被告らの製品はすべてドイツで製造されているのであるから、かかる差止めは、合衆国の国境線を越えて米国特許法を適用しようとするもので許されないと主張した。これに対してCAFCは、地裁の命令は、米国内の物や米国で販売されるための物や米国での出荷に向けられた(destined for delivery to the United States)物に限って対象とするものであるから、「これらの条項は、合衆国内での侵害を防ぐための合理的でかつ許される努力(reasonable and permissible endeavor)であって、米国特許法の禁止された域外適用ではない(not a prohibited extra-territorial application)。」(at 1578)とした。

 こうした命令には“他国の司法主権を侵害するもので国際法に違反するのではないか”との疑問が生ずる。しかし、最終的にドイツでの実力による強制がなされるかどうかは、ドイツの裁判所が(米国の裁判所の命令を承認して、または独自の判断によって)それを命じるかどうかによるのであり、米国の裁判所としては、米国内での侵害行為を止めるために合理的に必要な範囲内であるなら外国での行為についての命令を発することも許される、と考えてのことのようである。

 明らかなのは、これも許すくらいであるから[オルトマン]事件のように金銭賠償を命じるだけであれば、たとえ外国での行為を原因としていようとも、“主権侵害を構成するかどうか”などということは米国では問題にもされない、ということである。

3.3 まとめ

 米国での現状のように外国での間接的侵害の成立を認めても、必ずしも問題が生じることはない。それどころか、国際交易の現状を考えるなら是非必要なことである。米国では従来からこうしたことが問題とされてきたのは、世界の商品の市場であったからではないだろうか。日本でも今後は必要が生じるはずである。5以下では、こうした観点から、日本での議論を検討した上でこれを見直すことを試みる。

 その前に、ジュリスディクションについての米国での議論を御紹介しておく。

4 ジュリスディクション

 ある当事者間のある事案について請求認容判決を下すには、その裁判所のジュリスディクション(裁判管轄権)が認められ、さらに、その裁判所のベニューが肯定される必要がある。本稿で扱っているような外国関連の事件の場合には、特に問題が生じ得る。

4.1 ジュリスディクション

 米国の連邦裁判所のジュリスディクションが認められるためには、事物管轄権(subject matter jurisdiction: その種類の事案を裁判する権限があること)と人的管轄権(personal jurisdiction: その事案および当事者について裁判する権限があること)の要件が両方とも満たされる必要がある。

 ジュリスディクションは、米国民事訴訟法の最重要問題であり、本書で十分な解説をすることは到底できない。基礎的なことの解説と、本稿で扱う事項に特に関係する点の示唆にとどめる。

 米国民事訴訟法についての解説書であれば、必ずかなりの頁をジュリスディクションの問題に割いている。邦語文献としては[小林]17頁以下が、判例法の発展の歴史などを説明している。また[浅香]が、連邦裁判所の事物管轄件について詳しく論じている。

4.2 事物管轄権

 事物管轄権とは、既述のとおり、ある裁判所に、その種類の事案を裁判する権限があるかどうか、ということである。

 まず、連邦裁判所について説明する。連邦裁判所で事物管轄権が特に問題となる理由の源は、連邦制にある。アメリカ合衆国は連邦国家であって、基本的な主権国家は各州である。そこで、各州は主権国家として一般的な権限を有するが、連邦は連邦憲法によって託された権限だけを持つ。連邦の機関である連邦裁判所も、連邦憲法に根拠のある種類の事案しか扱えない。すなわち、連邦憲法3条の規定により、連邦法上の請求であるか、州籍の違う当事者の間の訴訟であるか、などの事案でなければ連邦裁判所には裁判をする権限が無い。

 特許法の関係では、特許侵害訴訟は連邦特許法上の請求であるため、連邦裁判所の事物管轄権が認められる。そこで、ABAは、米国特許法上の請求であるから、連邦裁判所に事物管轄権がある。一方、AAB(外国特許のその国での侵害に対する米国裁判所での訴え)での請求は、アメリカの特許権に基づくものではないから、連邦法上の請求として事物管轄権が認められることはない。このため、州籍違いによる事物管轄権が認められるか、他の連邦法上の請求を主たる請求としての併合請求管轄権(pendent jurisdiction または ancillary jurisdiction)が認められるか、などの形で連邦裁判所の事物管轄権の要件を満たすことが必要となる。ABBやABCでも同様である。

 州裁判所は、州の主権に基づくものであるから一般的な権限があり、連邦裁判所の場合のような類の事物管轄権の問題はない。ただし、米国特許法に基づく請求は、連邦民訴法によって連邦裁判所の専属管轄とされている(28 U.S.C. 1338)ので、州裁判所に提起することはできない(破産申立等も同様で、連邦裁判所の専属管轄とされる)。外国の特許権に基づく請求はこれには該当しないので、州裁判所に提起することもできるはずである。

 連邦裁判所の事物管轄権が認められるときは、米国特許権に基づく請求のように特に専属管轄とされている場合は別として、基本的には州と連邦の事物管轄権が競合する。この場合、一定の要件を満たせば、被告の申立により州裁判所から連邦裁判所への移送(removal)がなされることがある(28 U.S.C. 1441)。

4.3 人的管轄権

 事物管轄権に加えて、地理的な問題を内容とする人的管轄権が必要とされる。既述のとおり、その事案においてその当事者について、その裁判所が判決を下す権限があるかどうかという問題である。

 まず州裁判所については、地理的な意味で人的管轄権が問題とされるのは、“州裁判所の裁判管轄権の根拠となっている州の主権は地理的に限定されたものである”ということに発する。州は、その州の領土内の人および物に対して主権を有するから、州内の人に対する裁判権の行使ができるし(対人管轄権: in personam jurisdiction)、同じく州内の物に対する権利関係を確定する裁判権の行使ができる(対物管轄権: in rem jurisdiction)。

 特許権侵害の問題は、物に対する主権によって基礎付けられるようなものではないから、対人管轄権の問題である(なお、他に準対物管轄権quasi in rem jurisdictionと言われるものもあるが、これは、その物に対する主権を根拠として、その物だけを引当とする有限責任を基礎付けるものである)。

 古くは、こうした地理的制限は極めて物理的なものとされていた(対物管轄権については勿論、対人管轄権についても訴状送達時に文字どおりに州内に居ることが要求されていた)。しかし現在では[インターナショナルシュー]事件連邦最高裁判決以来の諸判決により、そうした硬直的な物理的制限は憲法上の要求事項ではないものとされている。このことと州際交易が盛んになったことによる必要性とから、各州は、州裁判所のより広い地理的管轄権を規定した一般にロングアーム法(long arm statute)と呼ばれる州法を設けている。

 そこで、州裁判所の裁判権の実際の地理的限界は、結論としては、その州のロングアーム法の解釈と、連邦憲法14条による最低限の要求(適正手続(due process)がなされるために最小限の関連(minimum contact)が必要とされる)とによって決まることになる。

4.4 連邦地方裁判所の人的管轄権

 連邦裁判所についても、そのジュリスディクションの限界が特に規定されている場合は別として、普通にはその所在する州の州裁判所のジュリスディクションと同じことになる。既述[ハネウエル]事件の場合を例にとって説明する。

4.4.1 連邦法の不存在

 各州にはロングアーム法があるのに対して、連邦には(独占禁止法等の限られた例外を除いて)地方裁判所の一般的な管轄権の地理的限界(とそれに伴う訴状送達手続)を定めた法律または規則はない。そこで、管轄権の地理的限界は、州籍相違を連邦裁判所の事物管轄権の根拠とする場合にはその州のロングアーム法によることになる(この場合の裁判権はその州の主権に由来するものだからである)。一方、連邦法上の請求であることなどを根拠とする場合には、連邦の一般的原則による(もっとも、こちらの場合についても、連邦法が欠けている手続法の場合一般と同様に、その州の州法による、すなわち州籍相違の場合と同じことになるとの見解もあり得る; その場合には、以下での送達手続についての話が介入するまでもなく当然に州のロングアーム法の問題となる)。

4.4.2 州外での送達

 ところが連邦法には、裁判所が所在する州の外での訴状送達を可能とする直接の規定が欠けている。連邦民訴規則(Federal Rules of Civil Procedure)4条が送達方法を規定しているが、同条(f)により、同条各項で定められている送達は「所在する州の領土的限界(territorial limits)」の中でなされることを原則とし、州外での送達は連邦法または連邦民訴規則によって認められた場合にしかできないことになっている。この連邦民訴規則としては、同条(e)が所在する州の州法による送達を認めているので、結局、(特別の連邦法等がない場合は)州外での送達(州の機関への送達によって被告への送達とみなされる場合や公示送達の場合もある)は所在する州の州法すなわちロングアーム法に従ってすることになる(なお、(f)項自身が認める例外が一つある: 係属裁判所から100マイル以内の合衆国内への送達の場合には、州堺を越えることができる)。ロングアーム法での送達のためには、そこで定められたジュリスディクションのための要件またはそこでの送達の要件を充たす必要がある。この結果、連邦法上の請求などの場合も、(連邦民訴規則4条が直接に規定する以外の)州外での訴状送達を必要とする場合には、一般的にはその州のロングアーム法の規定する範囲の管轄権しか行使できないことになる。

 [ハネウエル]事件では、イリノイ州法の Ill.Rev.Stat.Ch.110 Sec.16に従って送達がなされたので、この送達が有効であるためには同州の(ロングアーム法の)規定する管轄権の範囲内のものであることが必要とされることになった。関係の(ロングアーム法の)条項はIll.Rev.Stat.Ch.110 Sec. 17(1)(b)で、同項は管轄権が認められるための要件として「州内での不法行為([t]he commission of a tortious act within this State)」を規定していた。そこで、主張された間接的侵害(ドイツでの製造等による教唆)が成立するものとした場合に、それは“州内での不法行為”ということになるのかどうかが争点となった。裁判所は、問題となった被告の活動はドイツでのものであるにもかかわらず、「Ill.Rev.Stat.Ch.110 Sec.17(1)(b)の関係では、不法行為地(the situs of the tort)は被害(injury)の生じた場所である。」として、本件の間接侵害はイリノイ州内の不法行為であり同項の要件を満たすと判示した。

4.4.3 最小限の関連

 こうした州のロングアーム法の要件に加えて、連邦憲法上の要求がある。すなわち、州裁判所の場合には連邦憲法14条により、連邦裁判所の場合には同5条により、適正手続が要求される[ハネウエル]事件は、これら14条と5条の内容には本質的な違いはないとした上で、このケースのようにABAの場合(米国特許権の侵害であるとして、外国での米国向けの生産を米国法廷で裁こうという場合)には、その被告の意図に従って米国内での直接的侵害がなされているのであるから、これを以て最小限の関連を満たし、よって適正手続の要求を充足し得るとした。このように、商品を流通させるだけで最小限の関連が認められることは、現在では、1987年[アサヒメタル]事件連邦最高裁判決により一層明らかにされている。

 もっとも、アサヒメタル事件判決自身は、外国の製造業者間での求償請求だけが残っているという特殊な事案であったため、結局のところジュリスディクションを否定しているので、こうした評価には問題のあるところもある; しかし、この判決に加わった判事の中で少なくとも5人は、最小限の関連の点では、事案は製造物責任訴訟についてのものではあるが、自己の商品がその地に流通することを承知して(aware)継続的に商品を販売することをもって要件を満たしているものとしているので、ここに記したような評価をするべきもののように思われる。

4.5 人的管轄権を否定した例

 ABAの場合にジュリスディクションを否定した例として[マルストン]事件を取り上げる。

4.5.1 事案

 問題となった被告は、オカベメタルインダストリーズという日本の会社である。原告の特許権を侵害していると主張された製品を、オカベは、日本で製造し、米国を含む外国へ輸出されるものであることを知りながら、日本国内で輸出業者に売り渡していた。しかし、バージニア州で製造していたわけではなく、同州内で直接に販売したこともない。

4.5.2 ロングアーム法

 連邦民訴規則(1980年の改正前の事件なので、問題となったのは4条(d)(7)であったが、本質的な違いはない)に従い、バージニア州のロングアーム法によって同州の商務長官(Secretary)への交付をもって訴状の送達とされていたので、これが有効とされるためには、ロングアーム法の要件を満たしていることが必要となった。関係のバージニア州法である Va.Code Ann.Sec.8-
81.2 (1972 Cum.Supp.) は、次の場合にジュリスディクションの行使を認めていた: 「(3) 州内での作為または不作為(act or omission)によって不法行為による損害を生ぜしめること; (4) 不法行為により州内で被害を生ぜしめること、ただし、州内で、定期的に業務を行っているか勧誘をしているか、その他の形で永続的な行為をしているか、または(州内で)使用されたもしくは消費された物品または提供されたサービスから実質的な収入を得ているか、のいずれかの場合に限る。」

4.5.3 争点と結論

 原告は、直接侵害および積極的教唆の両方を主張していたが、裁判所は、まず直接侵害は認められないとした。結局、積極的教唆として上記の(4)を充たすかが問題となった。その後半が争われ、それも州内での業務等は認定されなかったので「その他の形で永続的な行為をしているか、または(州内で)使用されたもしくは消費された物品または提供されたサービスから実質的な収入を得ている」かどうかが問題となった。裁判所は、この部分を、適正手続の要請からバージニア州との最小限の関連を要求する趣旨であるとした上で、「実質的な収入」を得ていたことを示す証拠のない本件ではジュリスディクションは認められないとして、オカベの申立に従って原告の請求を斥けた。ただし、裁判所は本件に伴う困難を認め、この命令に60日間の発効猶予期間(stay)を与えて、その間に証拠を追加することを許した。

4.6 [アサヒメタル]事件判決後

 断定はできないが、前出4.4.3のアサヒメタル事件判決後の今日では[マルストン]事件のような形でジュリスディクションが否定されることはないであろうと思われる。マルストン事件判決のロジックによれば、この事件では直接には州法の解釈として管轄権が否定されたわけであるが、これは連邦憲法による適正手続の要求、すなわち最小限の関連の要求と重なるものとされている。ところがアサヒメタル事件によれば、最小限の関連は、マルンスト事件のオカベのように自己の製品が流通していることを承知しているだけでも認められる。すなわち、マルストン事件の場合にジュリスディクションを認めても連邦憲法上の問題はない。してみれば、この事件では州法の趣旨を最小限の関連の要求にあるとしていたのであるから、州法の解釈としても現在ならば管轄権を認め得るものであり、これは連邦憲法上も肯定されることになるように思われる。

 以上の議論は、“たとえ州法の文言が当時のままであっても、現在ならば管轄権が認められると思われる”ということである。仮に、この文言を広げる立法がなされているなら(手許に資料がなかったため調べていないが、大いにあり得ることである)、問題なく認められること、言うまでもない。

4.7 ベニュー

 ベニューは、ジュリスディクション(州単位で考えた人的裁判管轄権と事物管轄権の両方)を前提とした上で、ディストリクト(各州は、1ないし4のディストリクトに分けられており、そのそれぞれに地方裁判所がおかれている)を単位として、実際にその事件をどの裁判所が担当するか、という問題である。

 本稿で考えているような、特許権侵害については、侵害行為の場所がベニューを認める根拠となる(28 U.S.C. 1400(b))ので、ABAの場合を含めて、特に問題とはならないのが普通である。また、外国人または外国法人が当事者となる場合には、(ジュリスディクションが認められる限り)すべての裁判所でベニューが認められる(28 U.S.C. 1391(d))。こうした点については[服部]61頁以下が詳しい。

4.8 その他

 他の類型について簡単に指摘しておく。

 AABやABCの場合については、問題の侵害行為は米国とは必ずしも関係ないものであるから、何らかの別の事情によって管轄権が認められる必要がある。

 ABBについては、おそらくは侵害行為自体を管轄権の根拠とし得るであろう。すなわち、行為そのものが米国で行われているわけであるから(法廷が米国の場合)、これが管轄権の根拠になると思われる。しかし、微妙な面もある。すなわち、その行為に関連する直接侵害は他国で生ずるべきものなのであり、問題となる特許権も他国のものであることから、米国との関連性を否定する要素もあると言える。

4.9 まとめ

 以上の議論は、本来は合衆国内の州際の事案についてのものであるが、米国の実務では[ハネウエル]事件がそうであるように国際的な場合でも基本的に区別をしない。これに対しては近時批判があり[小林]62頁以下に、現状の説明と国際的な場合を区別しないことに対する批判とが見られる)、また[アサヒメタル]事件ではかなりの考慮が見られるが、現実に本質的な変化を生じさせるには至っていないようである。

 ABAでのジュリスディクションは、歴史的には[マルストン]事件のように否定される場合もあった。しかしアサヒメタル事件後の今日では、ABAの形での米国内での直接侵害の発生の認識という、責任を生じるための実体要件を満たしさえすれば、ジュリスディクションも侵害行為自体を根拠として認められるのが通常であろうと思われる。

 これに対して、その他の類型については、特別の考慮を要する。必然的に認められるジュリスディクションの根拠はないので、それぞれの事案における特別の根拠事実が発見される必要がある、ということである。

5 日本の場合

 日本の場合はどうか。そもそも、侵害たり得る行為を米国内でのものに限定す[米国特許法]271条(a)に相当する明文規定もなく、議論も乏しい。

5.1 ABAの場合

 ABAは例えば、日本の特許権に基づいて、アメリカでの日本向けの生産を、日本の法廷に訴えようとする場合である。結論としては“外国での行為に日本の特許権が及ぶことはない”と考えられているようである。

5.1.1 否定的見解

 例え[豊崎]36頁が、「わが国でも属地主義が取られていることは疑がない。」とした上でこれに対する「修正の試み」に言及しながら、ABAについて本稿で問題としたような事項に一切触れないのは、こうした侵害を認めない趣旨と見える。

 ま[紋谷]も同様に見える。“ハイチで製造して日本へ輸入”という事例を取り上げながら、「ハイチの業者の実施行為をわが国の特許権に基づいて阻止することはできません。」としてこれを属地主義によるものと説明するのみであるのは(結局のところ現実に阻止するためにはハイチの主権によらねばならぬから、本稿の議論によっても結論に違いはないが、これしか言わないというのは)、本稿でいうABAでの侵害を認めない趣旨と見える。

 筆者の不勉強の故であろうが、日本法下でのABAについて十分に意識的に論じた文献に未だ接していない。

5.1.2 間接的侵害

 本稿の問題の前提として、国内の行為であれば間接的な侵害を認め得ることについては、米国の場合と事情は殆ど変わらない。まず[米国特許法]271条(c)の寄与侵害に相当するものとして特許法101条の間接侵害の規定がある。加えて、民法719条の共同不法行為の規定の適用があり、教唆者や幇助者も直接不法行為をした者とともに責任を負うものと解されている。同条により[米国特許法]271条(b)の積極的教唆に相当するものに対して責任を問うことも勿論できる。

 [吉藤]384頁によれば「数人が共同して特許権を侵害し特許権者に損害を与えたときは、各自連帯で賠償する責任がある。共同行為者のうちの誰がその損害を加えたかを知ることができない場合も同様である(民法719条1項)。教唆者及び幇助者は共同行為者とみなされる(同条2項)。」(注を省略した) ということである。

 民法719条によることになると[米国特許法]271条(b)でのように「積極的教唆(active inducement)」だけに限定されるわけではなく、一般的に「教唆」による責任が生ずることになりそうである。しかし、言葉の上ではそうした違いがあっても、事案に則して「教唆」を認定することになるであろうから、実質的な相違を生ずるべきものではないのだろう。

 そこで問題は、例え[米国特許法]271条(b)の積極的教唆の場合は外国での教唆者も対象となったのに対して、日本ではどうか、ということである。

5.1.3 国際私法の問題か?

 そもそも、日本の特許法には、(69条2項のように侵害行為が日本国内のものに限られることを前提としたと見られる文言を含む規定はあるが[米国特許法]271条(a)と違って特許侵害行為を日本国内に限定する規定は直接には存しない。そこで、渉外性のある行為については、特許権侵害の関係でも、関連する国の(対立する)法律の中でどれが適用されるのかを選択する必要がある、と考えられているものと見られる。すなわち、国際私法の問題が生ずる、とされているものと考えられる。

 同じことが“特許法でいう属地主義も抵触法の問題である”と説明されていることからも言える(例え[木棚]280頁は、各国特許の独立の原則と属地主義との関係を説明する文脈で、「しかし、属地主義の原則は抵触法上の問題であり、実質法上の原則である独立の原則はこれと明確に区別されなければならない。」としている)。

5.1.4 法例11条

 国際私法の問題とするなら、金銭賠償を求める場合には、法例11条が適用されることになる。原則として法廷地国たる日本の国際私法により適用される実体法が決められるものであり、かかる日本の国際私法とは、請求が不法行為に基づくものなので法例11条ということになるからである(実際、後記のAABの場合の裁判例も、特許権侵害も不法行為の一類型として法例11条が適用されるとしている)。法例11条1項によれば、不法行為については「原因たる事実の発生したる地の法律」によって判断されることになっている。

 他方、既述のとおり“外国での行為に日本の特許権が及ぶことはない”と一般に考えられている。これは、“法例11条1項による適用法として、その行為地の法が適用される”としてのことと見られる。すなわち、上記5.1の例では次のようになる: 行為地たるアメリカの法律によって判断されることになるが、アメリカの特許法上の特許権は認められていないのであるから(日本の特許のみが取得されている状況を前提としている)、アメリカの法律によって違法とされることはなく、責任を生ずることはあり得ない。

 属地主義の内容として、直接侵害が国内の行為に限られるというだけでなく、間接的な侵害までもが国内の行為に限定されるものとしている点で、“完全な属地主義”と言えよう。

5.2 AABの場合

 AABは、例えば、米国特許の米国での侵害を日本の法廷に訴える場合である。

5.2.1 [四極管事件]

 この種の問題については、よく知られた裁判例が1件ある。四極管事件である。この事件では、原告は、原告の有した満洲の特許権を被告が満洲で侵害したとして損害賠償を請求をした。これに対して同判決は、法例11条1項によれば「原因たる事実の発生したる地の法律」が原則として適用されるので満洲の特許権の侵害となるべきところであるが、満洲の特許権は日本法上認められるものではないので同条2項の「日本の法律に依れば不法ならざるとき」に該当することになり、この結果1項は適用されず請求は認められないとした。

5.2.2 批判

 この判決には多くの批判がある[百選]がこの事件を取り上げ、多数の批判をあげている)。確かに、法例11条2項を問題とするにしても、満洲の特許権は日本法上認められないから、とするのは妥当とは考えにくい。満洲での特許権はそもそも満洲だけのものであることを前提としているのだから、それがそのまま日本で通用するものでないのは当然であり、そんなことを理由にして満洲での侵害行為との関係でも日本の裁判所による救済を認めないことにしてしまうのは妥当とは考えられない。まるで、米国で左側通行をして正面衝突を起こした被告運転手について、左側通行は日本法では違法でないから不法行為責任を生じない、としているようなものである。

 もっとも、だからといって他国の特許権に基づく救済を認めるべきものとも言い切れない面もある。現実問題として国際的調和は果たされておらず、各国の法制にはかなりの違いがある。そこで、他国の特許権についてその法制に従った判断を下すことには極めて困難な面があろう。例えば、米国の特許の侵害を扱うとなると、日本の特許権の場合とは違って、(米国の特許法の要件に従っての)無効の主張を判断しなければならないし、米国特許庁での手続に不正な点があれば執行不可(unenforceable)との判断を下すべきことにもなろう。これらを米国法に従って適正に行うのは、極めて難しい。こうした困難を考えると、“ある国の特許権の保護はその国の裁判所に対してのみ求めることができる”とする立場にも、もっともなところがある。

 しかし、こうした困難は、国際私法に従って外国法を適用するときには何時でも生じるものである。特許法だからといって特別なことは何もない。したがって、救済を否定する理由にはなり得ない<注2>

5.2.3 厳格な属地主義

 しかし、批判的なものばかりではない。伝統的な“厳格な属地主義”によれば救済を否定する結論をとることになる、との説明も見られる[豊崎]37頁は、「外国でその国の工業所有権を侵害した者の責任を他の国の裁判所で追及できるか、という問題」を取り上げて、「わが国ではこの問題は属地主義の結果として否定される。」とし、これを清瀬を典拠として法例11条(2項)によるものと説明している。もっともその上で「しかし、最近諸外国では必ずしもそのように解せられていない。」と付け加えている)。

 さらに、特許法の趣旨からの理由付けも可能かもしれない。特許法によって独占権を与えるのは産業政策的な考慮によるのであり、他国の産業政策に裁判所が助力する必要はない、というわけである。言い換えれば、特許法は一種の公法である、ということになるであろう。そういった要素があることは確かであるが、しかし、これを決定的なものと考えるのには賛成しがたい。

 また、仮に“厳格な属地主義”や助力不要との議論によって請求を否定するなら、四極管事件の判示したような法例11条の問題ではない: 実体的請求権の存在を否定するというよりは、裁判することを否定しているのであるから、一種の訴訟要件の欠如であって、結論としても棄却ではなく却下すべきということになろう。

 こうした瑣末な疑問をおけば、ポリシーとして救済を否定するというのも成り立つ議論ではある。しかしこれは、わざわざ国際的不調和を生み出そうというポリシーであり、現代人が支持するべきものではないように思われる。

5.3 ABBとABC

 ABBは例えば、米国特許に基づいて米国向けの日本での生産を侵害であると日本の法廷に訴える場合であり、ABCは例えば、米国特許に基づいてカナダでの米国向けの生産を侵害であるとして日本の法廷に訴える場合である。上記東京地判に従うなら、こうした場合に請求が認められる余地はない。いや、より簡単に同じ結論が下され得る: 行為地法の適用を規定する同条1項によるだけで救済の可能性がなくなる(同判決の法例11条2項についての議論には追従するべきとは思われないが、その論理はとらないとしても、同条1項によるだけで同じ結論となる)。

5.4 まとめ

 ABAは、侵害とならないと考えられているようである。AABは、対立する裁判例はあるが、救済を認めるべきであるとの見解が支配的である。ABBとABCについては、否定的と思われるが、結論を下せる段階にない。

6 ABAを侵害とする必要性

 米国と比較して日本の現状については幾つかの疑問があるが、最も明らかなのは、ABAについての扱いの違いである。

6.1 “厳格な属地主義”は妥当か

 上記のとおり、日本では、外国での行為は間接的な侵害にもなり得ないものと考えられているようである。これと、アメリカの現状とは違いがある。日本でのような“完全な属地主義”は、特に外国での間接的侵害を否定する趣旨のそれは、維持されるべきものであろうか。各国の経済活動が各国内で完結しているなら、“厳格な属地主義”で何の問題もない。しかし、現実は違っている。国境を越えての経済活動は、どんどん日常的なものとなっている。国際的な交易が頻繁になされる中で“厳格な属地主義”を維持することは、侵害の本体を捕えるのを妨げることにまでなること、米国の関連で論じた通りである<注3>

6.2 国際法違反か?

 あるいは、“ABAによる侵害責任を認める米国のやり方は、他国の主権を侵害するもので、国際法に違反する”と考える向きもあるかも知れない。

 しかし、そもそも、公権力に対する裁判権を国際法的に制限する議論は主権免除という形で存在するが、私人に対する裁判権行使を制限する国際法の定説はない。

 [石黒]201頁は、「刑事法や独禁法その他の公法的・経済法的領域」(同198頁)と対比して、「だが、我々が当面する民事の裁判管轄権の問題に目を移すならば、そもそも、一般国際法は、これから述べる主権免除の問題を除き、国家管轄権の行使に何ら明確な枠をはめていないのである。」としている。

 なお、上で対比されている独禁法の場合でさえも、本稿のABAのような場合には、裁判権を行使することについて何等の国際法的問題もない。これは、“独禁法の域外適用”の問題として極めてトピックなものであるが、議論の仕方に争いはあるものの、自国との関連性がここまである場合については、管轄権を有し得ることについて異論はないのである[村上]394頁以下によれば「独占禁止法の域外適用における事物管轄権については、従来から効果主義と客観的属地主義の対立があった。効果主義とは、自国の領土外における行為である場合にも自国内にある程度以上の効果があれば自国の法律を適用できるとする見解である。」「また、客観的属地主義とは、一連の行為の一部が領土内におけるものである場合には、一連の行為の全体について管轄権があるとする考え方であり、外国での行為に始まり領土内の行為で終わる場合に管轄権を認めようとする。」「かくして、今日では、実際の運用において効果主義と客観的属地主義との間で殆ど差異がなくなるとともに、自国領土外で行っている行為についてもかなり広く自国独占禁止法が適用できるとの原則が国際法の原則として確立しつつある。」とのことである。

 すなわち、3.2.2で米国での現状を司法主権についての国際的調整の問題として紹介したが、その限界を認めない考え方が一般的に支持されており、何をしても国際法違反の問題は生じないのである。

 日本の法律の規定も、ABAでの責任を認める考え方と必ずしも対立してはいない。民事訴訟法200条による外国判決の承認執行は、確認判決や金銭給付判決に限られると考える理由もないので、日本の民事訴訟法[スエッセン]事件での米国のやり方をむしろ前提としているとも見える。

6.3 高まるであろう必要性

 ABAを侵害とする必要の程度は、 (国際的交易の総量ではなく) 製品輸入がどれだけあるかにかかっている。

 これまでの日本は、原料を輸入して製品を輸出するという加工貿易の比重が高かった。この場合には、ABAの形での侵害が問題となることはない。かわりに、輸出関連の間接侵害は重要な問題である。こちらだけは従来から十分に議論されてきたのには、こうした社会事実的な理由があると見える。

 しかし、国際社会における日本の立場の変化に伴い、今後は、製品輸入も増えて行かざるを得ない。この場合、当然のこととして、輸入品による特許権侵害の問題も重要性を増していくものと思われる。同時に、ABAを侵害とする必要性も高まっていくのではないか。

6.4 まとめ

 日本でも、米国のようにABAの場合の侵害の可能性を認めるのが適当であり、今後は必要ですらあるように思われる。これは、原則としての属地主義と矛盾するものではなく、また、国際法に反するものでもないと見られる。

7 ABAを侵害とする解釈

 仮に、米国のようにABAの場合の侵害を認めることが必要だとしても、5.1で見た一般の否定的な考えが不動のものであるなら、本稿のABAに関する議論は、せいぜい立法論としてしか意味のないものである。いや、仮に、国際法違反となるというのなら、立法論としてすら意味がない。ところが、現実はそうではないようである。6.2で議論したように、ABAを侵害と認めることに国際法上の問題はない。国内法の問題としても、現行法の解釈によっても不可能ではないどころか、国際私法分野での議論からすると、むしろ肯定する解釈の方が素直であるように思われること、以下のとおりである。

7.1 法例11条のあるべき解釈

 5.1では、“現在の特許法分野での議論では、ABAを侵害とは認め得ないものと考えられているらしい”ことを示した。そこでは、法例11条の問題としてこの結論が下されるものと見られるとした。特許法には限界を画する規定がなく、また、この問題は抵触法の問題であると言われていることからして、他には理解の方法がないように思われる。ところが、国際私法分野での議論を見ると、実は法例11条の解釈としてこうした結論をとることは難しいように思われてくる。

7.1.1 法例11条の解釈

 法例11条の解釈については、行動地の法によるのか、それとも結果発生地の法によるのか、の争いがある。同条は「原因たる事実の発生したる地の法律」を適用するものと規定しているが、不法行為の場合、原因となった所為の場所から因果関係の連鎖を経て結果の発生した場所に至るまでには複数の国が関係することがあり得るので、そのうちのどの国の法律を適用することになるのかが問題とされるのである。

 この点について、近時は、原則として結果発生地の法を適用するとの見解が有力なようである。法例11条は、単に“行為地の法”とはせずに「原因たる事実の発生したる地の法律」を適用すると規定しているが、これは、結果発生をもって「原因たる事実」とする趣旨である、すなわち結果発生地の法を適用するのを原則とするべきである、との理由付けがなされている[石黒]317頁によれば「わが学説上は、行為者が行動地法上適法であったのに結果発生地法上責任を負わされることの不都合を理由として、原則としては行動地法をここで言う不法行為地法とすべきだとする立場もあるが、起草者は、不法行為自体の原因(行為者の行動)のあった場所と不法行為から生ずる債権の原因たる事実の発生地とを区別し、例えば外国で荷造りした爆発物が荷造り上の不注意のゆえにわが国で爆発したときにも、日本法が不法行為の準拠法となるように解すべく、前記のごとき若干回りくどい同条1項の文言を用いたのであり(『法例修正案参考書』)、要するに結果発生地説にむしろ有利なのが、法例11条1項の文言および立法趣旨であることには注意を要する。」とのことである。

7.1.2 本稿の問題への適用

 本稿の問題は、何が結果であるとも断定できない点に難しさがあるが、結果発生地説の趣旨を考えると、直接侵害が起こる場所を結果発生地に比して適用するのが妥当と思われる。間接的侵害とされるべき行為自体は一種の経過に過ぎず、直接侵害が問題なのであるから、これを“結果”に比する、というわけである。そうすると、有力説たる結果発生地説によれば、本稿でABAの問題としているような外国での間接的侵害行為には日本法を適用することになる。この結果、不法行為責任が認められることになる。

 上は、法例11条の適用の関係で国際的な侵害行為を全体としてまとめて、直接侵害行為地の法律が全体について適用されるとするということでもあり、既述[ハネウエル]事件での“the situs of the tort”についての扱いと同じである。つまり、たとえ米国での生産等の活動であるとしても、日本での販売に向けられたものである場合には、直接侵害という結果が日本で生ずるべきものであるから、生産等から販売までの一連の行為の全体に対して日本法を適用する、ということである。

7.2 間接侵害の従属説との関係

 この考えは、しかし、日本での輸出関連の間接侵害との関係では必ずしも好都合とは言えない。

7.2.1 独立説と従属説

 輸出目的での間接侵害については、周知の通り独立説と従属説の争いがある。そこでは、関連の直接的侵害が日本でなされるのであれば間接侵害として責任を生ずるべきことに争いのないような、侵害行為にしか使用できない物の国内での生産を、国外での利用のために行う場合に間接侵害が成立するか、が問題となっている: [吉藤]375頁は「間接侵害が成立するためには、本来の侵害(俗に「直接侵害」といわれている)の実行がなければならないとする説(従属説)がある。しかし、文理解釈上難点があるばかりでなく、この規定を設けた趣旨に沿わないので、直接侵害の有無を問題とすべきでないとする説(独立説)を妥当とすべきであろう。」(注および引用頁数の記載を省略した)とされている。

 上記の“直接侵害の行為地法をもって間接的侵害たるべき行為についても適用法とする法例11条についての解釈”をとると、独立説を採用することはできなくなる。ここで問題とされている場合の直接侵害(となるべき行為の)地は、日本国外であり、そこの法を適用するなら特許権侵害は成立しようがないからである。つまり、独立説が有力である現状とは相入れない。

7.2.2 米国での立法経過

 米国での立法経過は、こうした関係を裏書きしているように見える。

 1972年に[ディープサウス]事件連邦最高裁判決は、エビの殻むき装置の特許について、その全部品を米国で製造して外国の顧客にバラバラに梱包して輸出する行為は、その特許の間接的侵害を構成しない、として従属説を取った。この後1984年に、特許法271条(f)が作られ、立法的に独立説による侵害も認められることになった。

 ディープサウス事件の従属説と、ABAでの責任を認めるというのとは、平仄が合う。つまり、少なくとも1984年改正前の米国特許法の解釈としては従属説を取るべきであり、また従属説的な観点に立って直接侵害地法が適用されるべきであるからABAも認められる、ということである。そして“立法によるのなら、独立説とABAとを両立させることも必ずしもおかしくない”ということでもある。反対に、立法によらなければ、独立説を取りながらABAを侵害とすることは、理屈が通らない。

7.3 生産方法の場合

 ここで指摘した法例11条の解釈によると、米国実務でよりも、より広い範囲で間接的な侵害を外国での行為に認めることになる可能性もある: 生産方法の発明の場合である。

 日本の特許法では、物の生産方法の発明については、特別に追加的な定義がされている。すなわち、その方法を使用することだけではなく、生産されたものを譲渡することなども同様にその実施とされる(2条3項3号)。そこで、“日本に輸出され日本で販売されるように外国で生産する”という場合には、日本での販売は生産方法の発明の特許の直接侵害となる。したがって、本稿での法例11条の解釈によれば、外国での生産(という形での日本での侵害への加担)にも日本法が適用され侵害が成立する。

 米国特許法では、こうはならない。米国特許法でも、1988年の法改正により新設された271条(g)により、方法(process)の発明については、その方法を使って生産されたものを輸入することも侵害責任を生ずるものとされる。ところが、この271条(g)の規定の仕方を見ると「侵害者としての責任を負う(shall be liable as an infringer)」となっていて、その行為自体が侵害行為であるとされているわけではない(271条(a)の書き方とは違っていて、(b)と同じである)。そこで、かかる輸入を積極的に教唆しても271条(b)の責任は成立しないように見られる。すなわち、外国での生産自体は侵害責任を生じない。

 米国と比べると、日本の結論は過剰であるとの議論もあるかも知れない。なるほど“クレームされている行為を外国ですることが侵害となってしまう”と理解すると、正に過剰である。しかし、こう考えるのは適当ではないであろう。日本での販売を目的としている点こそが重要であり、ここを中心に考えるなら、他の場合と違いなく侵害の成立を認めるべきである。

7.4 差止めの問題

 本稿は、“外国での行為により、特許権侵害としての損害賠償責任が生ずるものかどうか”を主な議論の対象としている。差止め請求がどうなるかは、これとはまた別の問題である。

 賠償責任を生ずる場合であっても、共同不法行為責任のみで、実施行為または間接侵害行為に相当しないものについては、差止め請求の対象とならないことに問題はない。これらは、たとえ国内でのものであったとしても差止め請求の対象とならないものである。

 実施行為および間接侵害行為については、これとは次元の違う問題である。国内の場合なら、差し止められるべきものである。ただ、それが外国での行為であるがために問題となる。外国での行為である以上は、最終的にはその国の主権によらなければ実力による阻止ができないことには異論はない。しかし、だからといって日本の裁判所で差止め命令を下すことが許されないと限るものではない[スエッセン]事件判決の流儀によれば“差止め命令を出すだけは出しておいて、それをどう処理するかはその外国に委ねる”ということになる。これを、主権侵害とか国際法違反とかという見解もあるのかも知れないが、少なくともスエッセン事件判決の流儀によれば“最終的にどうなるかをその国に委ねている以上は問題はない”ということである。これを、例えば軍事力をもって強制するなら主権侵害になることは勿論であるが、そうでなければ構わない、ということのようである。

 少々荒っぽいようにも思うが、先に述べたように、これを咎める国際法上の定説はない。したがって、スエッセン事件判決のようなやり方を取ることも許されるはずである(なお、その場合の立論は、法例11条の解釈によるのではない: 不法行為の問題ではないからである)。しかし、国内法として、そうしたやり方をとらないという慎重なものであっても何もいけないことはない。筆者としては考えが未だまとまっていないので、ここでは以上を指摘するに止める。

7.5 他の立論

 以上のような法例11条の解釈の仕方をとる以外にも、ABAを侵害とする理屈はあり得る。1つの可能性は、国際私法の問題は生じていないものとすることである。

 本稿で扱っている“間接的侵害行為だけが外国でなされた場合”などという細かい問題を考えないなら、日本国内の行為だけが特許権の対象となるべきことには疑問がない。つまり、属地主義の基本的結論、すなわち“外国で完結している行為は日本の特許権の侵害とはなり得ない”との結論は維持するべきである。ところが、日本の特許法では、独占権の地理的限界を直接には規定していない。このために、国際私法の問題として法例11条の適用が必要となる。その結果、細かい問題を考えると、同条の解釈によっては外国での間接的な侵害行為を日本の特許の侵害とすることができないことになる。

 これに対して米国判例では、国際私法の問題ではないとしているように見える。ABAの場合(米国特許を米国外で間接的に侵害したと米国法廷に訴える場合)の侵害を認めることで外国での行為へも米国特許法の適用すると同時に、AAB(外国特許のその国での侵害を米国法廷に訴える場合)でも侵害を認め、さらにその救済をするのであるから、外国での行為についてその国の特許法が適用されることも当然に承認している。すなわち、ある行為地での行為について米国特許法の適用と行為地特許法の適用とが競合している。これは“実体的権利として地理的限界が存在するから、各国の特許法は相互に抵触ないし衝突を生じておらず国際私法的調整を必要としていない”とする立場を取っているものと見ることができる。

 こうした米国の実務に照らすと、日本でも特許法の解釈として日本の特許権の地理的限界を画することができるなら、法例11条を持ってくることが不要となり外国での間接的侵害を侵害とできるようにもなる(この部分は、演繹的な議論ではないことをお許し願いたい)。69条2項の文言からこうした解釈を取ることも、まったく不可能ではないかも知れない。

7.6 まとめ

 ABAによる賠償責任を認めることは、通常言われる属地主義からは、暴論であるとお考えになるかもしれない。しかし、国際交易の現状および今後の展望からすると必要であるとともに、国際私法での議論をあてはめると必然であるように見える。従来の特許法分野での議論では認められないのを当然として来たようであるが、その根拠は詰めれば法例11条によっていたのであるから、この国際私法での議論を無視するわけにはいかない。ABAによる賠償責任を認めるべきものと思われる。

8 国際裁判管轄

 ABAやAABを認めるとなると、裁判権の問題も考えなければならない。しかし、我国では、ジュリスディクションについて、アメリカでのような充実した議論はない。

8.1 逆推知説

 日本の法律には、日本の裁判管轄権の国際的な限界を直接に規定した条項はない。欠缺を前提として、民事訴訟法の管轄の規定によって日本国内に管轄裁判所が見付けられる場合には、その裁判所による日本の裁判権が認められる、と説かれる。国際裁判管轄の方から説明すれば、この説によると、日本の国際裁判管轄は“管轄の規定による各裁判所の管轄権の総和である”ということになる。ここから、「逆推知説」と呼ばれる。

 逆推知説に対しては、本末転倒ではないか、との批判がされる。すなわち、民事訴訟法の管轄の規定は、日本の裁判所に国際裁判管轄があることを前提としてその日本の中での配分を定めているのであり、ここから反対に国際裁判管轄を導くのはおかしい、ということである。

 といって、逆推知説を批判するにしても、他に基本とするべきものがあるわけではない。このため、逆推知説を出発点として修正を加える、という以外の方策が提案されているわけではない。さらに、最近では“民事訴訟法の管轄の部分の起草過程において、国際裁判管轄の問題も実は十分に意識されていたのである”との指摘[石黒]205頁以下) もあり、逆推知説もまったく非論理的というわけでもないようである。

 [石黒]206頁によると「ところで、国際裁判管轄についてわが国には明文の定めが全くないとされて来たが、法例の本国法主義の諸規定について前述したのと同じようなことが、わが民訴法上の土地管轄の規定の立法趣旨についても指摘されねばならない。即ち、民訴法2条以下の具体的な裁判籍を定めた諸規定は、国際裁判管轄の問題をも十分に念頭に置いた上で作成されたものなのであり、この点は大正15年のわが民訴法改正に関する資料(『民事訴訟法改正調査委員会速記録』)からも明らかなところである。」(引用頁数の記載を省略した)とのことである。

8.2 本稿の問題への適用

 そこで、ここでは逆推知説によればどうなるのかを簡単に見ておく。

 いずれの侵害形態の場合でも、被告の「普通裁判籍所在地」が日本国内であれば、民訴法1条により同地の管轄が認められる。したがって、日本に住所か居所があるか、日本法人であるか、外国法人でも日本に事務所があれば、日本の裁判所の管轄が認められる。また、同8条により、差押えできる財産がありさえすればこれも日本の裁判所の管轄の根拠となり得る。

 また、いずれの侵害形態の場合でも、金銭賠償については原告特許権者の「現時の住所」が民法484条により義務履行地となるのでこれに民訴法5条を適用して原告特許権者の「現時の住所」の管轄を認め得る可能性がある。もっとも、本稿で想定しているような場合にまでこうした理屈の適用を認めることには大いに疑問がある。

 ABAの場合は、民訴法15条により不法行為についての「行為ありたる地」として日本が認められる可能性がある。法例11条の解釈として日本法を適用すべきと結論するとして、さらに4.3.2で説明し[ハネウエル]事件でのイリノイ州のロングアーム法の解釈と同じことであると考えれば、これが可能である。もっとも、法例11条の文言が「原因たる事実の発生したる地の法律」となっているのに比べると、この解釈にはさらに一段の飛躍がある。そもそも、この条項も、国際裁判管轄の根拠とするのには無限定に過ぎるところがある。

9 結語

 これまでの我国の特許法分野での、効力についての国際的な問題点の“常識”は、余りにもナイーブではないだろうか? 他の分野での“常識”との整合性を考えてみても、非現代的かつ非国際的な点があるように思われてならない。何でも属地主義で決せられることになっているが、それだけで終りではおかしいように思われる。もっと現実に適応する必要もある。この点で、アメリカの実務には参考になるところがある。

 具体的には、次の2点である。

 まず、外国の特許権をその国で侵害した場合に、これを原因とする金銭賠償を、わが国の裁判所においても認めるべきである。本稿でAABとした問題である。これについては、認める見解が既に支配的であるものと思われる。

 いまひとつは、我国で特許された発明について、我国への輸出を目的とした生産等が外国でなされている場合に、かかる外国での行為を原因とした賠償責任を認めるべきではないか、ということでうる。これを認める見解は、無体財産権法の分野での議論としてはこれまで無かったようであるが、今後はその必要性が増すであろうというだけでなく、国際私法分野での議論からすれば、解釈論としても認めるのが必然的であるように思われる。

<注1>

 [チザム]は注でこ[ハネウエル]事件を一番目にあげている。 本文に戻る

<注2>

 なお私は、事案としては、請求を棄却するべきことに反対ではない。日本でのライセンスよる国際的消尽を認めるのが適当であったものと考える。

 この事件には、他にも奇妙な点がある。事案は次のようなものであった(特許権の譲渡に伴う事情や吸収合併等による当事者の名前の変更の点を無視して説明する)。原告日本無線は、日本と満洲で四極管の発明についての同内容の特許を有していた。訴外東芝は、自身でも四極管の特許を日本および満洲で有していたが、さらに日本無線から許諾を受けて、四極管を日本で製造していた。被告松下電器は、東芝から四極管を日本で購入し、ラジオを製造し、満洲向けに売り渡した。松下が、満洲においてかかるラジオを自ら販売したか、それとも日本国内で満洲電電に引き渡していたのかについては、当事者間に争いがある(判決は法例11条2項によって請求を棄却してしまったため、日本国内で引き渡していたのか自ら満洲で販売していたのかの点などの認定は不要となってしまったのでしていない; この点が仮に被告の主張の通りだったなら、ABBの類型だったわけで、より興味深かったのであるが、そうした議論についての結論は一切下されていない)。

 原告は、満洲での特許権に基づき満洲での販売に関連しての被告の賠償責任を主張した。

 私は、既述のとおり、法例11条2項によって棄却するのはおかしいと思うが、日本でのライセンスがあることから、国際的消尽を認めて棄却するべきであったものと考える(ここでは国際的消尽についての議論は省略する)。

 この他にも、東芝の特許との関係も極めて疑問である。同じ四極管の特許でも、スクリーン・グリッドを設ける目的が違うと原告は主張しているのであるが、そこで説かれている2つの目的は、スクリーン・グリッドを設けることによって必然的に両方生じてしまうというだけではなく原理的に同一のものなので、議論に意味があるとは思われない。目的によってグリッドなどの形状が違ってくるというのも、良くわからない(おそらくは間違った)主張である。この点で請求を棄却する可能性もあったように見える。 本文に戻る

<注3>

 ABAについて侵害を認める必要性は、刑法の場合との比較からも存在する。突飛な発想かも知れぬが、特許権侵害は実際に刑事罰の対象でもあり、また、5.2で指摘した特許法の性質からすると、国際私法よりもむしろ刑法に通じるものがあるから、これもおかしいとばかりも言えまい。

 刑法では、各国の法廷は自国の法律しか適用しない。各国の刑法中に、渉外的な場合についてどういった場合までは処罰するのかの限界を規定する条項が設けられている(米国特許法実務での扱いには、結論として、これとやや似たところがあるように思われる)。日本の刑法では、1条で規定する属地主義を原則としつつ、3条および4条で一部の重罪等について属人主義による補充をし、内乱罪等の極めて限られた犯罪についてだけは2条で保護主義によって処罰対象を広範なものとしている。これらの規定は、原則として刑法典の規定する犯罪について適用されるものであるが、8条により、原則として、刑法典以外の刑罰規定についても適用があるものとされている。

 属地主義の内容として、国内犯となるためには“犯罪構成事実の一部が日本国内で行われたこと”で足りるものとされている。そうしてみると、ABAの場合、日本国内での特許侵害罪の共犯として外国での行為も処罰できる可能性がある。実際にも、名古屋高判昭和63年2月19日(高刑集41巻1号75頁)は、幇助行為が日本国外で行われた場合でも、正犯の実行行為が日本国内で行われたときは、その幇助行為者も国内犯として処罰できるとしている。特許侵害罪についても特に違った取扱いをすべき理由はない。刑事罰が科されるべきなのであるから、民事的にも間接的侵害の成立を認めるべきである。

 なお、刑法での議論によれば、上の場合以外でも、かなりの範囲で妥当な結論が得られるようである[芝原]によれば、正犯については正犯の場所が行為地とされる一方、共犯については、自身の場所に加えて正犯の場所が行為地とされる。そこで、ABAの侵害が認められるし、また、独立説による間接侵害も認められることになりそうである。さらに、外国での実施への国内での加担行為のうちで間接侵害とならないものについては、正犯行為すなわち直接侵害が処罰されないので共犯についても加罰的違法性がなく処罰されないとしているようである。もっとも、この説明をしてい[芝原]326頁注(9)の第二文は、他の部分との関係が筆者にはよく分からない。正犯が処罰されるかどうかが問題となるなら、本稿で考えている独立説による間接侵害は一般的に認められないことになりそうでもある。

 本文中で“ABAを侵害とする場合、外国での行為を規律することになる点で、その国の立法主権の侵害となるのではないか”という問題を論じたが、上記の刑法についての事情も参考になろう。刑法において、基本的な属地主義以外の場面では、日本の刑法が日本の立法主権の外でのことについて(刑法的秩序という極めて限られたものについてであるとはいえ)規律をしているが、これをもって主権侵害を生ずるとの議論は無いようである。 本文に戻る

[米国特許法]:  引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 本文中に訳出した部分について、米国特許法の原文をあげておく。その他の条文については、米国特許法(コーネル大学)参照。

154条: ... of the right to exclude others from making using or selling the invention throughout the United States and if the invention is a process of the right to exclude others from using or selling throughout the United States or importing into the United States products made by that process.

271条(a): Except as otherwise provided in this title whoever without authority makes uses or sells any patented invention within the United States during the term of the patent therefor infringes the patent.

271条(b): Whoever actively induces infringement of a patent shall be liable as an infringer.

271条(c): Whoever sells a component of a patented machine manufacture combination or composition or a material or apparatus for use in practicing a patented process constituting a material part of the invention knowing the same to be especially made or especially adapted for use in an infringement of such patent and not a staple article or commodity of commerce suitable for substantial noninfringing use shall be liable as a contributory infringer.

<引用判例>

 [アサヒメタル]: Asahi Metal Industry Co. v. Superior Court 480 U.S. 102 (1987). 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 [インターナショナルシュー]: International Shoe Co. v. Washington 326 U.S. 714 (1945). 引用箇所

 [オルトマン]: Ortman v. Stanray Corp. 371 F.2d 154 (7th Cir. 1967). 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 [スエッセン]: Spindelfabrik Suessen-Schurr v. Schubert & Salzer Maschinenfabrik Aktiengesellschaft, 903 F.2d 1568 (Fed. Cir. 1990). 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 [ディープサウス]: Deepsouth Packing Co. v. Laitram Corp., 406 U.S. 518 (1972). 引用箇所

 [ニッポンエレクトリックグラス]: Nippon Electric Glass Co. v. Sheldon 489 F.Supp 119 (S.D. N.Y. 1980). なお、この事件は後に、Nippon Electric Glass Co. v. Sheldon 539 F.Supp 542 (S.D. N.Y. 1982) で、特許は無効であるとの判決が下されている。この特許は相当に不思議なものである。判決文に従って説明する。問題となった特許発明は、ブラウン管から0.04 mr/hr(543頁および546頁では0.04 mr/hrとなっているが、545頁では0.4 mr/hrとされており、どちらが正しい数字かわからない)を超えるX線の放射があると人体に有害であり、一定電圧以上で加速した電子線を使用した場合にもこれを超えるX線が放射されることのないように、X線を遮蔽する効果のある材質のガラスを使用する必要がある、というものである。ところが、被告特許権者は、自身はガラス技術者ではないとして、どうしたらそういった性質のガラスが得られるのかは自分では知らずそれは特許の内容ではなく、単にX線を遮蔽する必要があるとの“発見(discovery)”が特許権の内容である、と主張した。そこで、特許権が与えられるべき性質のもの(subject matter)でないとして、特許は無効であるとされた。 引用箇所

 [バニティフェアミルズ]: Vanity Fair Mills Inc. v. The T. Eaton Co., 234 F.2d 633 (2nd Cir. 1956).  引用箇所

 [ハネウエル]: Honeywell Inc. v. Metz Apparatewerke, 509 F.2d 1137 (7th Cir. 1975). 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 [マルストン]: Marston v. Gnat 351 F.Supp 1122 (E.D.Va. 1972). 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 [メリル]: Merrill v. I.T.I. Inc., 505 F.Supp 973 (N.D.Ill. 1981).

 [四極管事件]: 東京地判昭和28年6月12日(下民集4巻6号847頁). 引用箇所

<引用文献>

 [浅香]: 浅香吉幹「合衆国における連邦裁判所の領分」(『法学協会雑誌』109巻2号(1992)以下). 引用箇所

 [石黒]: 石黒一憲『国際私法[新版]』(有斐閣 1990年). 引用箇所 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 [木棚]: 高桑昭など編『国際取引法』(青林書院 1991年)280頁以下(木棚照一). 引用箇所

 [小林]: 小林秀之『アメリカ民事訴訟法』(弘文堂 1985年). 引用箇所 引用箇所

 [サフラン]: David S. Safran, Protection of Inventions in the Multinational Marketplace: Problems and Pitfalls in Obtaining and Using Patents, Corporate Counsel's Guide: Laws of International Trade Vol.2 502.19 N.102 (Business Laws Inc. 1991). 引用箇所

 [芝原]: 芝原邦爾「国際犯罪と刑法」(中山研一など編『現代刑法講座第5巻現代社会と犯罪』(成文堂 1982年)311頁以下). 引用箇所 引用箇所

 [拙稿]: 松本直樹「CAFCの適用する判例法」(『パテント』1992年6月号15頁以下). 引用箇所

 [チザム]: Donald S. Chisum, Patents, Vol.2 (Matthew Bender 1992). 引用箇所 引用箇所 引用箇所

 [豊崎]: 豊崎光衛『工業所有権法 [新版・増補] 』(有斐閣 1980年). 引用箇所 引用箇所

 [服部]: 服部健一『アメリカ連邦裁判所』(発明協会 1993年). 引用箇所

 [百選]: 『特許判例百選[第二版]』第111事件 (石黒一憲). 引用箇所

 [村上]: 高桑昭など編『国際取引法』(青林書院 1991年)394頁以下(村上政博). 引用箇所

 [紋谷]: 吉藤幸朔など編『特許・意匠・商標の法律相談(第4版)』(有斐閣 1987年)590頁以下「問159 日本の特許権に基づいて外国における侵害行為を差し止めることができるか」(紋谷暢男). 引用箇所

 [吉藤]: 吉藤幸朔『特許法概説[第9版]』(有斐閣 1991年). 引用箇所 引用箇所


http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc5697/KOKUSAI.HTM

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