Last Modified: 2010年12月8日(水)18時40分54秒

研究会のメモ、2010年

By 松本 直樹

 6年前のときの冒頭と同じことを書いておきます(5年前4年前3年も、一昨年も昨年もそうでした)。「私が出席した研究会で、私が後から思ったことをメモしておきます。レポーターの話は必ずしも書きませんし、また書いた場合でもそれはレポーターの著作権? に属する話なので、副次的な範囲に留めます。そういうこともあって、また私が誤解している可能性もあるので、レポーター名や他の発言者のお名前は、イニシャルだけにしておきます。」

 ご意見などご連絡はメールでホームページの末尾にあるアドレスまでお願いします。上記のように、他の方にご迷惑の及ぶことの無いように考慮している積もりですが、たとえイニシャルだけでも出しては困るとか、そんなことは言っていないとか、むしろ実名にしてくれとか、ご要望がありましたら何でもご連絡ください。可能な限り従います。

 リンク:  2009年のメモ  2011年のメモ……今は未だですが

1. 審査官は当業者か? (10年1月8日MPEP)

 本来の題材は実施可能などの記載要件などの話だったのですが、その中で、日米間での審査官の位置づけが違うのかどうかという話題が出ていたのでちょっと書いておきます。米国では審査官自身は当業者ではないのに対して、日本ではこれがそうなのだという話がある、といった話題です。みなさんの反応としては、日本でも審査官自身が当業者というわけではない、当業者というのは模式的というか空想上の存在というか、生身の存在とはちょっと違う、という話です。これは文字通りにはまったくその通りだとは思うのですが、私自身はちょっと違うコメントをしたくなりました。

 ちょっとシニカルな話として、或いは開きの仮設めいとして、ご指摘のような日米間の相違というのも穂、考えられるように思うのですね円つまり家督にケースがあるより前の米国では、組合せについてその大きさがないということで特許が認められることがままはあったわけですが階までもあると思うんですけど、審査官の独自判断としてやっているとも言えそうに思います。

2. 補正とライセンス対象物(1月27日TBH)(4月に書いています)

 大阪地判H21.4.7を題材にしてお話を伺いました。出願中の発明についてのライセンス契約があったが、減縮補正がされたので、ロイヤリティの支払いを拒絶した、という事案です。

 平成12年10月1日に契約締結、平成14年2月4日に補正、3月22日に設定登録、7月17日に被告から支払い拒絶の通知、12月13日に被告から契約解除の通知、平成15年10月1日に契約の3年の期間満了終了、という経過です。

 結論は、一部認容です。被告の製品に二種類あって、補正後のクレームに入るものについては請求認容、入らないものについては、期間満了での契約終了までの金銭請求を認容、という内容です。

 不当利得で返還請求、という分もあったが、返還請求は認められませんでした。

 ライセンス契約でのロイヤリティの支払いというのは、一体何に対しての対価としてなされるものなのか、というのが根本的な問題点です。基本的には、特許権の独占権があって、それに触れる実施行為をしようとする者が、支払いをするわけですよね。それが可能となるように、独占権を行使されないという事の対価として支払うというのが基本です。でも、このケースの契約では、もともと、特許権の独占権がまだ存在していない段階から、それを承知のうえでロイヤリティが支払われているわけです。そういうこともあって話が少なからず微妙なことになっています。

3. 機能的クレーム(2月9日TB)

 機能的クレームの解釈についてA先生からお話を伺いました。なんでも、宮中へのお呼ばれがあったのに研究会が先約だったから、とのことでこちらでお話しいただいたとのこと(懇親会で伺いました)、恐縮です。

  3.1 結論: 機能クレームは明細書を見るが、特別ではない

 題材として、多数の裁判例をご説明いただきました。それで結論的な話としては、機能的なクレームは、開示内容が本来の特許発明なので、それを意味しているものとして解釈する、そういう意味では、その機能を果たしさえすればよいというわけではなく、明細書を見る、でもそれは、機能クレームが特殊だからではなくて、本来、開示された発明が保護されるものだという普遍的なところから来るものであり、クレーム解釈一般と違いはないのだ、……というお話だったと理解しています。

 レジュメでは、次の様に記されています:

「 このように機能的クレームについて明細書を考慮して行われる解釈は、特許独占の代償として何が明細書に開示されて公開された技術であるかを正確かつ正当に解釈をするものであるから、決して「限定解釈」ではなく、本来あるべき「当然の解釈」である。」
「 技術的範囲の確定は、明細書に開示した「発明」の中から、機能的表現をもちいることによってクレームにおいて特許保護が求められた「発明」を解釈するのであるから、明細書中に具体的な構成として記載されている「実施例そのものユとして技術的範囲が確定されるのではなく、明細書に開示された具体的な構成によって示されているところの「技術思想としての開示発明」に基づいて、技術的範囲が確定される」

 この話は、それぞれの点で、分かるものではあります。実際上の必要として、機能クレームに対処する際には、単に表面的なところに従って侵害とするのは不適切な場合が多いという意味で、明細書を見てそれに即して限定的に解釈するべき場合があります。またしかし、それを機能クレームだから特別と言うのには、日本では条文の根拠は無いのですから(米国の112条6項と違って)、特別ではないのだとのこういうご説明になるというのももっとも、或いは不可避、だと思います。

 しかし。特別ではないというのを強調するのは、実際にやることとの関係では問題があるように思います。少なくとも表面的に“やる事”というのは、機能クレームについてかなり特別な話なのだと思うのです。実際、ディスカッションの中において、「上位概念」で記載された要件についてはそのままに受けとる、とのお話でしたから、これと比べると、機能クレームはそれなりに特別と言う方が、少なくともボトムラインの説明としては、分かりやすいのではないでしょうか。

  3.2 上位概念と機能クレーム

 そして、「上位概念」での規定と、「機能クレーム」とは、違って扱うとのお話なのですね。M先生が特にご質問になっていた点ですが、また上でもちょっと書いたとおりです。もちろんそれでも、クレーム解釈一般と特別に違うわけではない、という意味では同じというご説明になるのですが、上位概念での規定については、そのままに広く受けとるという方向のお話です。

 積極的に分けるべきなのかどうかといったあたりは微妙ですが、結論的な話として、実際の解釈手法において機能クレームだけは明細書を見てそれに即した範囲、すなわち文字どおりよりも狭い範囲に解釈する、との考えには賛成できます。機能クレームかどうかを峻別している米国のプラクティスと同じということでもあります。

 そうするべき実質的な理由は、機能クレームが、往々にして“便利すぎてずるいドラフティング”だからです(この辺は、まったく私の私見です)。米国での歴史に照らして考えれば、当初は機能クレームを無効としたわけですね、ハリバートン事件では。それを立法的に覆して112条6項(当時は3項)が作られたわけですが、そこでは、機能クレームも許されるが、限定解釈をする、としたわけです。この、当初は無効とした際の考えというのは、出願人にとって便利であるがために、安易に広く解釈するのだと、権利者に有利になりすぎてしまう、というところにあると思うんですね。機能クレームを文字通りに解釈すると結果的に広くなります。これは上位概念で書く場合と同じとも言えますが、機能クレームの場合には権利者に便利すぎる(ことがある)と思うのです。

 112条の本来許容している、複数の要素の組み合わせのところに発明内容がある場合に各要件を機能で規定する、というクレームであれば(まだ)良いのです。その組み合わせをすることによって、役に立つ発明になっているのだとすれば、必ずしもそれ程には限定して解釈しなくてもよいのです。しかし、実際にはもっと問題のあるクレームがあるわけで、それは、形の上では組み合わせのようになっているけれども、そのうちの一つの要件が圧倒的に重要で、しかもそれは単に結果的な働きというか“願望”だけを書いてあるような、そういうクレームがままあるんですね。それと、まともなクレームとの区別が付けられない、少なくとも形の上では同じになってしまう、という問題があります。こういう“願望クレーム”では、要件についての実施例を見て、それと等価なものに限定されるという、112条6項の規定するところを強力に当てはめる必要が出てくるのだと思うのです。

(2010年3月9日: この項、少し推敲)

  3.3 裁判例いくつか

 多数の裁判例をご説明いただき、勉強になりました。いくつか、特に気の付いた点だけメモしておきます。

 初期のものとして、東京地判昭和51年3月17日、ボールベアリングの組立装置の事件、をかなり詳しくご説明いただきました。地裁判決は、開示を理由として、技術的範囲を限定する論旨で、結論はもっともと思いましたが、クレーム制を否定しかねないロジックの面もあるように見えました。

 貸しロッカー(貸ロツカー)事件、東京地判52.7.22、判決文では、クレームの機能的な書き方からいきなり実施例限定にしていて、その論旨は賛成しかねるものです。A先生も、上記のボールベアリング事件に比べてもおかしい、との趣旨のお話でした。それはまったくその通りなのですが、事案としては、先行技術が有力なもので、権利者敗訴はもっともなのだと思っています(その旨の発言をさせていただきました)

 米国特許(乙一)に基づいて特許無効の主張がされていますが、これに対して、判決文にまとめられた原告主張は次のとおりです:

「2 次に、被告が公知技術として主張する米国特許第三〇五〇一六九号(乙第一号証)は、その特許公報によれば、「扉の閉塞によつて投入口を閉塞し、鍵を挿入した後、これを回動することによつて投入口を開放するシヤツターを設けた構造」であるから、右発明は、鍵を挿入した後、これをさらに回動しなければ、投入口を開放することができない機構である。これに対し、本件考案は、その実用新案登録請求の範囲の記載によれば、「鍵の挿入又は抜取りにより硬貨投入口を開閉する」のであるから、その構成は、鍵の挿入又は抜取りのみで投入口を開閉することができる機構であつて、鍵の回動は投入口の開閉については全く不要のものである。したがつて、右両者は、その構造の面で差異が存する。
 なお、本件考案の実用新案公報の末尾にも引用文献として、右米国特許が記載されていることからしても、 特許庁においては、これを本件考案と比較したうえで、本件考案の実用新案登録をしたのである。」

 しかし、この乙1を見ると、わざわざ鍵を回して初めてシャッターが開くようにしているのですね。それは、鍵が違う場合に間違って追加コインを入れてしまわないように出来る、という利点があるからなのです。その旨の説明もされています。そうしてみると、上記の引用のように差異を認定してそれで特許性を認めるというのは、如何にも無理があります。いや、なにもそこまで調べなくても、この判示されている「差異」を考えてみただけでも、それで特許性の根拠になるの? という感じは持つのが普通のようにも思います。それで、ここが実質的な根拠になっているのかな、という感じがします。

 しかし、書いてある論旨としてはあくまでも、クレームが抽象的なので、実施例限定、との話なのですね。「... 本件考案は、その明細書の右のような抽象的な実用新案登録請求の範囲の記載のみによつては、とうてい、その技術的範囲を定めることはできないものというべきである。そこで、本件考案の技術的範囲を定めるためには、右明細書の考案の詳細な説明の項及び図面の記載に従い、その記載のとおりの内容のものとして、限定して解さなければならない。」との判示です。

 そして、被告の無効主張(クレームの仕方を理由としての無効主張も先行技術を理由とするものも)については、「... 権利の行使が許されない旨主張する。しかしながら、本件実用新案権が権利として成立している以上、被告主張のような事実があるとしても、この権利が無内容のものであり、したがつて、実質的にその登録が無効のものとして、取り扱うことはできないから、本件考案の技術的範囲は、右1のとおり限定して解されるべきであり、この範囲における権利の行使が許されないものとはいえない。」としているのですね。乙1との差異があるのかどうか、認定していません(実は、研究会の場では、もうちょっと原告主張を一応は認めるような判示だったと勘違いして記憶しておりました、お恥ずかしい)

 なお、実用新案登録請求の範囲は、次の通りです: 「鍵2の挿入または抜取りにより硬貸投入口8を開閉する遮蔽板9を設けたことを特徴とする貸ロツカーの硬貸投入口開閉装置。」

 注射器事件、均等侵害を認めた初期のケースですが、これについても一言発言させていただいたので、そのうちに書いておこうと思います。簡単に言うと、装置クレームの方との比較では結構文言に拘っているのね、という話ですが、開示内容を権利としつつも、そこからさらに要件を規定して限定しているなら、それの通りに狭くなる、というご説明をいただきました。

4. 抽象的なクレームと実施可能要件(MPEP2月19日)

 抽象的なクレームで、そのうちに実施できないものが入ってしまう、という場合に、そういう広いクレームはダメと言われる。それでいて、そういうクレームが先行技術として出てくると、そのクレーム全体が、つまりそのクレームにカバーされる物が何でも、特許性否定になってしまう、という実務のお話が出ていました。

 それで適切な場合もあるのかも知れませんが、それがいつでもだとすると、ちょっとヘンですよね。利用発明だって特許性が認められ得る理屈なのですから。

 また、記述要件との関係が、改めて議論になっていました。

 永久機関の出願は特許を認めても無害、という話。本当にそれに当たるなら無害ですが、後に出来るようになったりすると、不当な状況になるかも知れないです。

 先発明主義の話の関係で、(d)項が問題になる場合が改めて話題になっていました。12ヶ月以内に米国出願をすれば大丈夫そうです、結局は。でも、条文ではどこにかかっているのかよく分からないです。

 展示会で売り物にしているのだとダメかも、という話。b項は、売っている場合にこそ起算される、という原理で運用されているように思います。

5. ネットでの利用と著作権の処理(TB2010年3月9日)

 著作権法の重鎮のS先生から、広いパースペクティブの、歴史の話から始まるご講義を伺いました。

  5.1 技術と権利処理、

 著作権制度は、時代の最先端の技術との関わりを持ってきた、とのこと。確かにそういう場面こそが問題となるわけですよね。

 それで、現代の技術では、利用者が途方もなく拡大していて、「侵害行為への対応」から「簡易・迅速な利用許諾」ヘ変わっていく必要があり、またそれが可能である、元は元栓処理だったけど、蛇口処理が必要だし可能だ、というお話です。

 むかし確か bit で読んだ「超流通」の話を思い出したんですが、直接の関係はあるんでしょうか。内容的には明らかに近いと思います。そうした系譜について質問すれば良かったですね、今思えば。

 また、この関係で、技術と法制度の関係について、次のようなお話がありました。技術によって守ろうとすると、それを打ち破る技術が開発される、という連鎖が生じる。批判的な目で見れば、一種のイタチごっこですね。でもまた、そういう進展というのは、新たな技術開発という面もあり、なされることが有益な面もあるのだが、或る段階で法制度によって、保護するまたは固定するということがあってしかるべきだ、……という状況の理解の仕方というのをご説明になっていました。

  5.2 法が技術内容に立ち入ることの難しさ

 立法が、そういう技術の変化をどう扱うか、というお話として、技術的保護措置、の定義の例を挙げられました。侵害の防止または抑止、信号や利用許諾、というのについて規定するWIPOの11条というのが、次の様な文言になっています:

 WIPO Article 11、technological measures
that are used in connection with the exercise
that resttrict ...

 なるほど、技術内容には立ち入らない、あっさりした規定です。

 違うよね、という話として、30条の補償金対象の特定をあげておいででした。こちらは、政令で技術を特定しています。どんどん変わっていくのに、そうしています。まあ、法律その物に入れるよりマシということでこうしているわけですが、その都度に足していくのか、ということになります。そこまで細かいところに立ち入らない方がよいのではないか。利害関係者が、きっちりして欲しいというので、制度の発足段階では必要だったのだが、何年も経って、立法の仕方が現実的ではないことになっている。……とのご指摘でした。

 私は、私的複製の例外の方の規定を思いだしましたが(言葉はその通りだもの)、あれは、条文上は細かくはないですね。

5.2.1 東芝の事件の状況

 上記の関連で思い出したので、東芝の事件のことをメモしておきます。日経BPの記事 私的録画補償金でSARVH対東芝の第2回弁論、協力義務や日程を巡り攻防 / 2010年3月9日 によると、裁判所からは、「税務・会計上、徴収した補償金をどのように処理しているのか。」といった質問があった模様。

 この記事によると、このところの状況は次の様:

 「 これに対し東芝側代理人は、会計処理の詳細については回答を次回以降に留保したものの、『著作権法第104条の5(で定められている、メーカーに対する補償金徴収の協力義務規定)は、義務を有すると解するものではなく、間接的な協力によって補償金の運営が円滑に進むよう規定したものと考えている。当社は実質かつ任意に補償金の徴収に協力している』と主張。補償金徴収の協力義務に強制力はないとの見方を表明した。一方、SARVH側の代理人弁護士は『我々は義務だと思っている』と反論。東芝がアナログ非搭載機の補償金徴収をしていない点について法的責任を問えると主張した。」

 この記事のまとめ方の問題かも知れませんが、仮にこの通りだとすると、東芝の主張は言い過ぎのように感じます。104条の5は、(製造業者等の協力義務)で、「〜補償金の支払の請求及びその受領に関し協力しなければならない。」と規定しているのですね。協力については、義務だと思います。ただし、代行徴収するなどの義務があるわけではない、「協力」の義務なのだ、というのが東芝の主張なのだと思っていました。そっちの方が良いのではないかな? (さらに言うと、「協力」の内容は法で決まっておらず、違反していないというのが東芝の主張ですが、なるほど余り積極的に決まってはいないが、それは裁判所が決めて良いのかも知れない、と私は思っています。)

  5.3 K先生の、アクセス権への疑問

 K先生から、“回し読みとかができなくなるのは、文化のためにならないのでは? ”といったご質問がありました。

 S先生のご返事は、歴史的なところを踏まえてのものでした。が、それが本日のテーマに沿っているとは思いますが、でも、典型的な返事はちょっと違うように思いました。

 現状を前提とすると、確かに、アクセスについてまで権利が及ぶのでは、回し読みをすることが不自由になってしまうのは確かでしょう。でもこれは、権利処理が簡単にできないから、なのだと思うのですね。対価を払うのが簡単になれば良いはずです。それで細かいものでも払えるようになれば、回し読みも対価を支払って可能になるわけですよ。そういうことを考えてるんだと思うのです。

(2010年4月14日加筆: 昨日、K先生と雑談したら、このS先生のスピーチは、牧野記念論文集に掲載の論文と共通性が極めて高いとのこと。帰ってみてみましたが、『知的財産法と現代社会』の「デジタル環境下での著作物の利用と電子的許諾」は、なるほど基本的にこのお話と共通の内容です。もっとも、歴史的なお話とか、技術との関係における立ち入らないことの意義とか、ちょっと違うところもあるようには思いました。また、この文章の方を読んで、この議論の経緯の説明がありながら超流通への言及はないのを確認しました。独立した起源の話のようです。)

  5.4 S先生の、氾濫への疑問

 S先生(元裁判官)からは、つまらないものでも著作権が認められる、ということで、著作権が氾濫している、あるいはしていくことになる、それでいいの? といったご質問がありました。

 S先生は、やはり歴史的なご説明をなさっていました。かつての特権としての著作権から普遍的なものへかわり、また近時でも米国が方式主義からベルヌ条約の無方式主義に89年になって変わった。変化の方向は、あらゆる場面に、正に氾濫するかのように、著作権を認める方向にある、というご説明です。……しかし、これだけだと、開き直っているかのようにも聞こえてしまいます。

 ここは、典型的な返事を考えて、それをさらに考察、というのが必要(少なくとも、そういうのも必要)ではないでしょうか(そうでないと、歴史的な現実が不当なのでは? というフラストレーションがたまります)。すなわち次の様な話です: 著作権は相対的な権利であり、その著作物に依拠している場合に初めて侵害になります。ですから、つまらないものに権利を認めても、そんなものを使う必要は無いので、別に困らない、という話です。この辺は、S先生はもちろん前提としておっしゃっていたのだと思いますが。

 それにしても。純粋に芸術的なものの場合には、つまらない作品であればそれにわざわざ依拠しなくても困らないわけですから、類似性の高いものに限定した権利であれば、問題はほとんど生じないとは思うのです。でも、多少とも技術的な性格をもっているものに関しては、そうやってわざわざ回避しないといけないという状況を作り出すこと自体に問題があるのではないかとも思います。

 私がイメージしているのは(問題のある状況として想定しているのは)、私自身が事案として経験のある、ソフトの画面についての話です。創作性が実質的に無いような画面が先行物としてあった場合に、それと似てはいけないというのを気にかけるべきか、という事です。そういう問題を考えると、つまらないものにも権利を認めるべきだという立場を貫徹するのは、あまり具合は良くないのではないか、と思うのですね。

6. 外交交渉の話(TB4月13日)

 特許庁から外務省へ出向中のFさんのお話を伺いました。

 知財分野でも、南北問題と絡んでの議論が目立つようになっているのですね。それで、フォークロアの権利の話とか、南からの弱体化を目指しての話とか。

 また、それとの関係もあって、知財が議論される場が、かつてのWIPOだけというのと違って、いろんな場で出る様になっているとのこと。WIPOだけなら、専門家の内輪での議論なのに対して、いろいろなゲリラ的な議論で、難しい要素が出ているようです。

 個別的な話をいくつかメモしておきます: 地理的表示の話、TRIPS協定22条は誤認のある場合だけGIを保護するが、23条はワインなどについてそれを問わずに保護、なので「ボルドー風ワイン(山梨産)」でもダメなのですね。

 強制実施権と輸出: 輸出目的のは原則はダメなのだけれど、それが出来るようにする改訂が、中途半端に出来ている状況、でも既に一応可能にはなっているようですね。

 生物多様性条約15条5項で、事前の...同意、が要ることになっている: これは既に成立しているのですね。ただ、国内法かは日本ではされていないし、他国でも余り制度化されていないようなお話です。どうも、実利の話には(今は未だ)なっていないけれど、面子で争っている、という面があるように聞こえました。それにしても、こういうのが既に条約になっているというのをまるで知りませんでした、お恥ずかしい。

 また、この多様性条約15条などの関係は、そもそも条約と国内法の関係とか、国内法化の意義とか、考えさせられるものがありました。どうも良く分からん。

7. 予備的訂正の必要と米国の再審査(B2010年5月7日)

 T先生に、“予備的な訂正請求”が米国では出来るのか? といったお話を聞かれました(この雑談の時です、なので再現は不正確です)。米国の再審査ではそういうのがあると言われて、……という話でしたが、話の筋がちょっと違うように思いました。従属項(多項制の活用)で対処するのが米国流であり、そういう話が出てくる場面が思い浮かばないのです。

 基本的な流れとして、米国の reexamination は、new question があると examination 審査になるわけです。出願時の審査と同様というのが基本です。特許性否定事由があると、office action 拒絶理由通知が発せられ、それに対応して反論するなり補正するなり、ということになります。一部のクレームがダメで一部のクレームはOKという状態なら、駄目なクレームを削除するか、分割出願または継続出願を考えることになります。

8. Lでの雑談のメモ

ロレアル事件、厳しそうな話。日本での商標的使用の限定とは違うのが欧州の現状としてあるらしい。付けていたら、原則的に侵害で、救済されるためには何かの規定が必要、という構図のようだ。
黒ウーロン茶、比較の対象として示しているなら商標的使用にならないとした話のはず。
浮きの対応の話があったかな、と思ったが、ちゃんとご説明するほどは思い出せなかった。
ロッテの比較広告というのもあったが、中身が正しいかどうかの話。

9. PA会でお話(2010年7月6日)

 基本的には生海苔事件の話をしたのですが(侵害事件と再審取消と。後者の話をしたのは初めてですね、まあ負けの話なので。)、改めていろいろ勉強になりました。微妙な話はここには書きませんが、非侵害主張はもっと強力な議論の可能性もあったかも知れないと、改めて思いました。

10. ドイツから見た日本の不正競争防止法(S先生)

 著作権で保護されないものを、不正競争防止法で保護できるか。ドイツでは、ウーベーゲーに一般条項がある。フリーライド、や、過度の欺瞞性、を対象とする。日本の3号は、そういう要件がない。……とはいえ、私が思うのには結構限定的に運用されているのではないか。

 並列にする点に学者からは批判があった。権利付与型が上に、行為規制型が下に、という位置づけが、ドイツでの認識では極めてリジッドにある。後者は債権のようなもの、と言われる。

 模倣の自由がどこまで明確か、という問題でもある。

 デッドコピーというだけでは、アウトにならない。過度の欺瞞性とかの要件がある。模倣の自由がやっと守られるようになった? ドイツ的には、法律のフレームワークを完全なものとしたいという欲求が強くあるのだろう。ドイツは了見が狭いか。

 データベースの指令について。まったくの失敗とも言われる。EUの白書。米国が強い、2006年の検証でも、メリットを見られない。米国との差が益々開いた。指令に価値があったか疑問と言われている。不法行為の程度でいいという意見もある。

 ウーベーゲーでも刑事罰がある。イギリスと日本は、刑事罰がない。英国では700年の伝統で、商事には刑事罰がない。英国流は、tortではなくてコントラクトの範疇。ドイツは、権利侵害の不法行為、ということで、日本と同じ。……成る程。

 職務著作と職務発明で違うのが、ドイツ的には論外、とのこと。労働法の一貫として規定されているので、当然に同じ扱いになっているのだそうです。そこと違う仕組みを理解して貰えない話。何でか分からないが、フレームワークについて、基本的な相違があるものをドイツ人に理解して貰うのは酷く難しいようです。

 プログラムの権利は、日米を受けて、西ドイツでも著作権の対象とした。ただし、特許の可能性もある、とのこと。……そうとすると、日本や米国とも、そう全然違うということではないように思われます。

 創作性要件について、ナチス反発から来るセンシティブな問題、という面があるのだそうです。イルカが飛び跳ねた絵が著作物かどうか。飛び跳ねさせた人間の創作、と説明するが、それはドイツでは通用しそうにない。でも、紛糾しているところのようです。

11. 帰属について公定力は無い(O先生)

 冒認出願の処置についてのお話です。結論的には、登録の前後を問わず、特許を受ける権利の権利者による移転請求を認めるべき、との方向です。

  11.1 公定力の否定

 主な議論は、「登録による公定力」をこの点について否定しようというものです。登録後についての話ですね(登録前については認める実務なので、問題としない、と)。行政法を見て考えると、帰属が拒絶理由/無効理由になっているから、かえって難しいというか、厄介な話になっている。全部民事で扱う、という法制もあり得る。そうでないので、公定力があるようにも見える。……というのを否定する議論です。

 本来的救済法は、民事で移転、だが、無効にだけはする、というのもサービスしている、という理解をすることで、登録後も移転請求を認めよう、というスジの話でした。これによれば、登録の前後を問わず、特許を受ける権利の権利者が、移転請求によって特許を得られることになります。

 私は、そういう話より、“出願人が誰か”が大事だと思っていたのですが。

  11.2 各種の論点

 色々と論点のご指摘を伺いました。次にメモしておきます:

・ 平成15年改正での議論があったが、結局残った。残ってしまうと、付加的補充的と言いにくい。公定力もあるように見えてしまう。
・ 特許処分は、私権を生むもので、民事裁判的色彩が強い。なので、公定力を言うべきでない面がある。発生と帰属は別。後者に公定力なし、という説明。
・ 無効の抗弁があるのと同様に、またパラレルに、公定力が限定されていると考えるべき。飯村百選論文では、帰属についても公定力を認めているが、これがまったく当然ではない。

 特許を受ける権利の主張の場面として、正常ルートとイレギュラーがある。

 特許を受ける権利は、登録で消滅、といわれているので、それに基づく請求というのは言いにくいか。しかし、それは自分で受けていないから消滅しないと考えればよい。それがドイツか。2a説に近い。消滅は混同消滅のような話で、目的を達して意味が無くなっているからなのだろう。残っていると考えて良いはず。

 2bが最高裁に近いはず。不当利得。でも、特許権を対象にそういうのには抵抗感がある。フランス型なので、日本では所有権の物件片々自体、あるべき所にあると認める。ドイツは実は違う。債権契約と物権行為を分ける。特許の場合、こっちを認めざるを得ないような感覚がある。でも2本では、権利自体を認めての、でも登録は要求する1aもあり得る、大渕説はそちらに親近感。途中のライセンス料の帰属などの処理も気になるところ。

 (米国のコレクションは遡及するのかな。

 中用権を、80条類似のを肯定すれば。1説でのライセンシーが保護されないはずの所を救済する話になる。これを入れれば特に、1と2aは実は近い。

 出願人限定のドグマを克服しようとしている。

 IH先生。登録前の、確認判決で届出の実務の疑問。もう一つ、出願中の権利の登録制度を作るなら、どうするのか。……それなら双方申請、としやすい、という話になっていた。

 K先生、なぜ、双方申請になっていないのか。という問題。処分禁止の仮処分も出来ない? ただこれは、債権と同じという説明もある(三村)。でも、ズレても確認判決に基づく名義変更を特許庁が受け付ければ済むとも思った。そのために、第三債務者として通知しておくというアイデアも出ていた。

 途中で登録されてしまった生ゴミ装置事件。

 三村、確認訴訟でいいことにしている、というのは、供託金についてもある。行政庁の手続の反映でやっている、という説明。

 真正な登記名義の回復、とのアナロジー。

 君嶋さんの説明、出願の情報の準占有があり、それにもとづいての登録、なので、推定力がある。設定登録で、66条、をとるべき、という吉原先生。帰属について、公定力はないとしても、まったく無力というのはどうか、という

 架空の名義。冒認の証明が出来なくなってしまう問題。

『民事判例I』を拝見しました。ご担当の件、ちょっと前に気がついて、とても興味深く思っていた裁判例でした(それで早速に買ったものです)。それを読んで改めて思ったのですが、ブログの文章だと、ここでの背信的悪意者論に批判的でいらっしゃることだけは分かりますが、ではどういう見解なのか、分かりにくいように思います。 良く読めば、勿論、想像はつきます。特許の場合は、直ちに出願しろとは言えない、とのご指摘ですので、対抗問題として処理する場面を大いに制限するべき、とのお話ですね。 でも、そういう趣旨であれば、この高裁判決は結論として対抗問題ではなく処理したのですから(背信的悪意者論によってではありますが)、方向としてはご見解に適っているわけですよね? そう思うと、批判ばかりにまとめるのは、ちょっと違うのでは、と思いました。 高裁の立場で言えば、むしろご見解のような考えを入れればこそ、この事案でも(被告の方に特別な背信性が見られない場合なのに)背信的悪意者論で原告の請求を認めたのだ、ということになりそうに思います。「最近の民法学では、そもそも背信的悪意者論自体が強く批判されています。」とのことではありますが、裁判所の立場では、そうラディカルな議論をとるのは難しい、せいぜい背信的悪意者論を柔軟に適用する、ということのように思います。 もっとも、そういう処理は、制度としてなんとも透明性が悪いというか、分かりにくいものになってしまいます。この意味では、木村先生のご批判に賛成です。でも、それで裁判所の判決を批判するのは、限界があるように思います、本当は対抗要件主義の法律が悪いのですから。 なお、この事案は、原告に勝たせるには妙な件のようには思っています。判決文を読んだ印象だけですが、原告は事業をやめてしまっていて、それでも特許は欲しいのは、どういう心情なのか疑問です。また、出願していない者の移転請求には疑問を感じています(登録前ならOKという実務は定着してしまっているようですが)。もっとも、対抗問題の点では、こうした事案で「すら」、対抗問題としなかったのだとまとめれば、対抗問題処理に批判的な裁判例として強力なものとなるわけですが。 以上、色々勝手なことをいいました、ご容赦を。

12. 産業財産権法の諸論点(K12月8日)

 特許の藪、オープン・イノベーション、グローバル化。これらを問題意識として。

 104条の3、8割りは主張される、更に相当数での無効判断。つぶれるという危惧。無効とすべきものは無効とするべきではあるが、一国全体でそれでよい結果になっているか、疑問の余地あり。日本での権利行使は、負けるリスクが大きいとなっている。


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