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過失要件に関係する日米比較

松本直樹
(初出: 『知的財産権 法理と提言 牧野利秋先生傘寿記念論文集』 青林書院 2013年、 同書の青林書院のページ アマゾンのページ


目次

1 過失要件の有無とねじれ

(1) 過失要件と米国の法定責任

 我が国の特許法では、侵害の場合の賠償責任は、民法709条により不法行為の一種として認められる。709条の賠償責任の要件として過失があるから、賠償責任は過失が認められる場合に限られることになる。

 米国の場合、特許侵害の場合の金銭賠償は、特許法上の規定(35 USC 284、以下では単に条文数のみでひくことがある)に基づく責任として認められる。そこでは過失は要件となっていない。過失を認定すること無く、侵害があれば当然に賠償責任が肯定される。

 これは、敢えて説明するなら、法定の厳格責任(statutory strict liability)と理解されている(たとえば[ブレア]1頁は「Patent infringement is often characterized as a strict liability tort, and in some ways it is.」とする)。侵害者の内心を考慮せず賠償責任を認めるというのが基本的な仕組みである。

(2) 過失の推定と米国の実際

 この日米の比較には、実際との間にねじれがある。

 我が国では、過失が要件であるものの、同時に103条の過失推定規定がある。103条は「他人の特許権又は専用実施権を侵害した者は、その侵害の行為について過失があつたものと推定する。」としているから、侵害者には当然に過失が推定される。この推定が極めて強いものと理解されているため、実際には過失要件が認められずに責任が否定されるという事案はほぼ存在しない。たとえば[中山]は、「無過失の抗弁はほとんど成功していない。」として、意匠法において公報未刊行の期間について否定した事例をあげるのみである。その上で、単に使用する者などについて覆滅があっても良さそうである旨を指摘するが、現実としてはとにかく過失の推定は維持されている。[吉田]も、公報未刊行以外の無過失の例を見当たらないとする。

 過失要件は、こういう意味で問題とならない。

 過失を実際的に要件としないが、それで問題が無いのは、認められる賠償額が限られているから、という面もある。低額な実施料相当額なら、不法行為が成立しない場合には、不当利得としてやはり請求が認められるべきであり(実施料相当額を負担しないならそれが利得と解される)、それと比較して過失を実質的な要件とすることには意味が無い。この分は、誰もが負担するべき通行料の様なものという扱いと理解できる。

 逆に米国では、基本は過失を不要としながら、実際的には侵害者の内心を問題としていると言える。まず、填補賠償としては過失を要求しないが、故意侵害(willful infringement)の場合に賠償額の加重がされる。また、侵害を避け得るようにするための制度的な配慮が我が国よりもなされているように思われる。

 以下では、こうした過失要件および侵害者の内心に関係する日米間の相違などを検討する。

2 加重賠償

 最初に取り上げるべきは、米国の加重賠償である。まさに、侵害者の認識を賠償額において考えに入れるものである。

(1) 加重賠償の根拠と趣旨

 法規上は、賠償額を三倍まで加重できる旨が規定されているだけである。すなわち、米国特許法284条は第2項の第2文で「In either event the court may increase the damages up to three times the amount found or assessed. 」と規定し、「increase」が「may」すなわち“出来る”とするが、それが可能な場合や必要な場合を何ら規定していない。

 判例法により、この加重は、侵害が故意(willful)の場合にのみなされることとされている。基本的に、加重賠償の仕組みは、特許権を尊重させるためのものとされる。[チザム1]を参照、筆者も[拙稿1]で論じたことがある。

(2) 近時の限定される傾向

 かつてアンダーウォーター事件判決(Underwater Devices v. Morrison-Knudsen, CAFC 23 Sep 1983)は、特許を警告された場合について、侵害被疑者側には積極的義務があるとした。すなわち、「侵害があるか否かを確かめる相当な注意(due care)を尽くす積極的な義務(affirmative duty)を負う。」とし、また、「かかる積極的な義務の中には、侵害となり得る行為を開始する前に、弁護士から適格な(competent)リーガルアドバイスを得る義務が含まれる。」とした。また、侵害訴訟において故意を認定される場合がかなりの多数に及んだ。

 これに対してシーゲイト事件(In re Seagate Tech., CAFC 20 Aug 2007)に代表される近時の裁判例は、加重賠償が課される場面を限定する方向にある。シーゲイト事件判決は、判例を明示的に変更したもので、積極的な義務は否定され、賠償の加重され得る故意侵害は、他の法領域と同様に、無謀(reckless)な侵害の場合に限られるとされた。そして、「侵害の高度な蓋然性」が客観的な無謀の内容であり、加えて被告がそれを知るべきだった場合にのみ、故意侵害として加重の可能性があるとした。なお、ここで考慮されているのは、侵害かどうかの判断についてであり、判断について、単に法の不知は宥恕せずとはしていない。

 こうした限定傾向は、[拙稿1]のころとはずいぶんな違いがある。こうした変化には、実損害について、多額の認定がなされ得るようになっていることが反映しているように思われる(そしてそうなっているのには、エコノミスト的な説明が高度化していることが大きくあずかっているのだと理解している)。もちろん、これは論理的な関係ではないが、実際的に、実損害が十分に高額に認定されるなら、それだけで抑止のためにも十分であり、加重賠償の必要性が小さくなるように思われる。こうした変化が生じる背景としては、そもそも実損害といっても、特許侵害による損害というのは大いに観念的なものであり、説明の仕方次第で高額化し得るということがある。

 [玉井]は、多数の地裁の例を含む加重賠償の裁判例を、実に広範に検討している。当時に比べると、加重される可能性は下がる傾向にはあろうが、どういったファクターが危険を高めるかなどの点では、現在でも大いに参考になると思われる。

(3) 鑑定の必要性など

 上記のように従前は積極的な義務と言われたから、加重賠償の可能性を避けるためには、非侵害の鑑定書を得ておくことが必要と理解された。この結果、関係の特許権を知った場合には、調査検討して弁護士から非侵害との鑑定意見書を入手する、という手順が普及した。この点については、まずクノール事件(Knorr-Bremse Systeme Fuer Nutzfahrzeuge GmbH v. Dana, CAFC 13 Sep 2004)で、必要ではないとされた。

 さらに、2011年改正(America Invents Act)で298条が新設された。同条によれば、弁護士の助言を得なかったことを故意の侵害等の立証に使うことが出来ないとされる。

 しかしながら、可能性を避けようとした場合には、やはり、事前の適切な検討が必要で、それに伴う鑑定書を用意しておくということになるようにも思われる。それ以外で、加重賠償の可能性を特に有効に減らす方策というのは、想像しにくい。また、被告としての故意侵害の主張に対する有効な反論に、やはりなり得るものであるには違いなく、この点でも他に特に有効な方策があるわけではない。「依然として被告に大きな利益をもたらす可能性がある。」「...故意でなかったことの証明の助けになる。」([ツリノ]64頁)とされるのはもっともだと思われる。

(4) 加重賠償は懲罰賠償か

 ところで、特許侵害の加重賠償が、国内メディアにおいて「懲罰賠償」と言われることがあるが、これは一応は別である(筆者自身も[拙稿1]など時にそう言ってしまうことがあるが)。

 [田中]の説明では、いわゆる懲罰賠償と法定の三倍賠償(二倍賠償等も)とは区別されている。懲罰賠償はコモンローによるもので、悪性の被告に対して処罰的な意味で多額の賠償(実損害額を基にした制限は無い)を課する。これに対して法定の三倍賠償は、違法結果の発生を避けさせる抑止力を趣旨とし、また増額により賠償請求の動機付けを高めるものであり、道徳的非難を伴わないとされる。

 実際、手続きにはかなりの相違がある。陪審訴訟を前提として説明するが、懲罰賠償は、それがあり得る類型であれば、陪審に対する裁判官からの説示に従って陪審が懲罰対象の金額を評決において決める。

 これに対して特許侵害の加重賠償の手続きでは、陪審が事実認定をする際に、侵害の認定(および実損害額の認定)とともに故意かどうかについての事実認定を行う。そこで故意侵害と認定された場合には、裁判官が裁量によって三倍までの加重を命じ得ることになる。裁判官が加重を決めるのは、284条が「the court may increase」と規定している通りである。陪審が故意と事実認定した場合に初めてこの裁量の可能性が生ずる。逆に、故意と認定された場合でも、加重はあくまで裁判官の裁量によるものであり、必要なわけではない。

 手続きについては、たとえば、次の様な事案に接したことがある(ロサンジェルスにおけるセガのケース、事案の内容については[拙稿2]参照)。筆者が被告側代理人の事務所に勤務していたケースであるが、陪審による故意侵害の評決がくだされ、そのため裁判官による判決において賠償額が加重される可能性があった。実際には、判決の前に和解によって終結した。和解の条件としては、評決によって認定された実損害の金額よりもかなり多額の金額の支払が約された。それでも被告(セガ)の側が応じたのは、加重賠償の可能性があったことや、販売中の製品に対しての差し止めを避ける必要があったためである。

(5) 懲罰と見える面はあるが

 上記のように、いわゆる懲罰賠償とは違うのであるが、特許侵害での加重賠償は、故意の場合に適用されることになっているので、確かに非難の意味を伴う。この意味で懲罰的であることを否定は出来ない。[チザム]Sec.20.03[4]は、目的について、処罰(punish)・抑止(deter)を内容とする一般予防(exemplary)と、補償(compensate)の両方の組合せと説明している。[古城]は、「懲罰の一種」との考えが「判例法上ほぼ定着」と説明しているし、[玉井]は処罰の面を強調している。筆者も懲罰目的と説明したことがある([拙稿1]など)。

 こうした点では、特許侵害の加重賠償は、[田中]の言う法定三倍賠償の典型例とは違う。[田中]の説明する法定三倍賠償は、むしろ単純に実損害の三倍を賠償させるもので、故意などの非難可能性を特に想定していないようにも見える。単に賠償金額を高額なものとするだけでもその結果を避けようという動機づけにはなるから、それで抑止力になるには違いない。

 つまり、特許侵害の加重賠償では、抑止力を目的とするものではあるが、その手段として、故意の場合を特に取り上げて加重する。そうすると、同時に非難可能性のある場合を対象とすることになっている。この意味で、懲罰的と言うべき面があることは確かで、さらに、こうした面を重視すると加重賠償も懲罰賠償の一種であるという理解も可能である。

 しかしまた、特許侵害の加重賠償については、懲罰的ではない面を内容的にさらに指摘することも出来る。加重の判断に当たっては、侵害者の上げている利益が考慮されるが、これは、抑止力を考えれば当然である。侵害行為による利益が、敗訴の場合にすら保持できるのでは侵害を抑止できないからである。が、米国では侵害者利益を賠償とすることが否定されているから、抑止力のためにはこれに応じた加重の必要がある。加重は填補と違うと説明されるが、侵害者利益はその際の実損害として理解されてはいないと理解される。そうすると、賠償額の加重は、侵害による利益を保持することを妨げる(だけの)制度と理解できる余地もあるように思われる。

 さらに、積極的な義務があるとしていた往時については特に、「故意」と言いながらも懲罰の性質は如何にも弱かったと言える。侵害を避ける積極的な義務があるとされたから、十分な回避のための検討をしないだけで加重され得たわけで、これを処罰というのには無理があるのではないか。

 そもそも特許は、技術開発投資を促すための人工的な制度であり、その侵害が道徳的非難の対象となるかと言えば微妙である。法制度を意図的に破るのは道徳的にも非難できるとも言えようが、それはたとえば殺人とはまったく違うレベルの話である。米国では、特許侵害自体は刑事罰の対象になっていないことも、こうした理解の表れのように思われる(代わりに加重賠償があるという理解もあり得はするが)。

(6) 日本での執行の可能性

 日本との関係では、日本での執行の可能性が検討されるべきである。萬世工業事件最判(最判平成9年7月11日、民集51巻6号2573頁)では、カリフォルニア州民法典の定める懲罰的損害賠償について、日本での執行が否定された。これに照らして、特許侵害の加重賠償がどうなるか。

 加重賠償を懲罰と理解するなら、最判に従って日本での執行は否定される可能性がある。最判の判示事項だけからすると、むしろその方が素直かもしれない。判決文は、かなり抽象的に懲罰賠償の性質を指摘してそれの執行可能性を否定しているからである。懲罰賠償の日本での執行を議論する文献の多くが極めて否定的であるし([道垣内]や[早川]など)、懲罰と理解するなら執行は出来そうにない。

 もっとも、まず最判とは区別が出来る可能性もある。地裁判決において特に明確に指摘されているが、この事件は事案としては、懲罰が科されることにかなり疑問のある事実関係のように見える。実態はせいぜい単なる契約責任の不履行であって、カリフォルニア州法においても懲罰賠償の類型に当たるか大いに疑問がある。少なくとも懲罰が課されるような悪性の実態があるとは見えない事案であって、にもかかわらずこれに多額の懲罰賠償を課しているところに、日本での執行を否定する理由があるようにも見えるのである。

 特許権侵害の加重賠償の執行について特に言及した文献は殆ど見当たらないが、[渡辺]は「工業所有権法」などにおける「3倍賠償」に特に言及して、制裁目的かどうかよりも金額が重要だとし、我が国で認められるより異常に高額なものなどの執行を「基本的な公序」に反するとして拒否するべきとする。金額を取り上げるなら我が国で見て合理的な結論が得られようが、これは執行というより裁判のやり直しに近いとの批判はありそうにも見える。

 筆者は、加重賠償はいわゆる懲罰賠償とは別であり(懲罰的な面があるにしても)、少なくとも萬世工業事件最判によって当然に否定されるものではないと考える。それでも、当然にではなくても、或る程度でも懲罰的であるがゆえに加重賠償でも否定するべきとの見解もあり得よう。立論としては、執行対象の民事判決でないとすることも、公序に反するとすることもあり得る。しかし、最判の事案のようなものはともかくとして、特許侵害の加重賠償は、それ自体を当然に執行拒否するべきものではないと考えている。

 もっとも、当然に否定すべきではないが、近時の方向は特に悪性のものに限定する様になっているので、その在り方によっては、懲罰の性質が強く国境を越えての執行が適切ではないものになっていく可能性もあるとは思われる。

(7) 日本での制度の可能性

 さらには、加重賠償の制度を日本で導入することが望ましいのか、またそもそも可能かどうか、ということも検討に値する。

 萬世工業事件最判などを基本として或る意味で素直に考えると、許されないというのも一つの考え方である。同最判は、「制裁及び一般予防を目的とする賠償金」は、「我が国における不法行為に基づく損害賠償制度の基本原則ないし基本理念と相いれない」とまで言う。「基本原則ないし基本理念と相いれない」というから、これを尊重するなら、法改正によって導入することも許されないとの議論になりそうである。

 最判だけでなく、外国判決の承認と執行を検討するという文脈では、懲罰賠償ないし加重賠償が日本の法制度とまったく違ってそぐわないとの議論が目立つ。

 しかし、特許侵害についての加重賠償は、たとえ懲罰的な面があるにしても、許され得ない程に日本の法制度にそぐわないものではないように思われる。実際、日本の不法行為法についての文献では、三倍賠償などの加重賠償についてもむしろ好意的な見解が少なくない([井上]3頁とそこで紹介される文献など)。上記の外国判決との関係の文脈で言われるところとはずいぶんと違う印象である。

 また、最判の場合は、外国法に基づくものだからこそ問題となるという面もあるのではないか。刑事訴訟の場合には、日本の裁判所が国外犯を処罰するのも日本法によるものであって、外国法による訳ではないことを思うと、この場合に外国法に基づく外国判決だからだというのもあり得る考えである(日本の制度との不整合を理由としている点では、この説明には無理なところはあるが)。

 [山本]は、日本の著作権侵害について二倍賠償の制度を提案するが、最判との関係などから、それを実損害の推定とすることを提唱していることが思い出される(102条2項(現在の)の起草過程でも同様の経過があったし([田村]285頁が推定となった経過を説明している)、上で記した様に日米間の比較においても同様のずれを見出すことが出来る)。著作権については、加重賠償の必要性がいかにも大きい。見つかって敗訴の場合にもせいぜい同額というのでは、率先してロイヤリティを払う動機付けが難しい。契約の場合に料金を割り引くなどの対処をしているようだが、無理を感じるところがある。

 それに比べると特許では、特に102条1項および2項によって十分な賠償責任を課するなら、必要性は大いに減じられているであろう。それでも、本当の故意の侵害などについては、さらに加重賠償を課し得ても良いのではないかと思われる。

3 表示義務

(1) 我が国の強力な過失推定

 我が国での過失推定について疑問を感じたり異論を生じることがある点として、特許の存在を知らない場合でもそれ自体が一般的に過失とされる点、また侵害か否かの判断がいかに微妙な場合でもそれが考慮されることがない点、があると思われる。

 このうち、権利の存在を知らない場合については、公報があることが根拠とされる。このため、公報未発行の時期についての意匠権の事例が、過失推定が覆される例外的な存在となっている。

 しかし、特許権の存在を実際に知らないでも公報があるから過失ありとされるというのは、言い換えれば、公報をすべて検討することを求めているということである。分野などにもよるだろうが、現実的ではない。むしろ、過失はともかくとして、支払うべきものとしているとの結論を中心に考えた方が、まだ納得しやすいようにも思われる。これは、不当利得を仮に考えることでも説明できるし、米国との対比からもその様に理解することが出来るだろう。

(2) 表示義務の意義

 表示義務のある米国では、権利者が実施品がありながらそれへの特許表示を怠っていた場合には、現実の侵害警告をするまでの時期については、賠償を求めることが出来ない(287条)。

 これは、侵害の可能性のある者の立場で考え直すなら、基本的に、競合品に表示されている特許番号を検討しさえすれば良いということである。表示がされた特許の侵害でなければ、現実の警告状を受けとるまでの期間については、賠償を請求されない。公報をすべて検討せよというのに比べたら、はるかに現実的な要求である。

 もっとも、表示義務違反を生じるのは、実施品がある場合だけなので(実施していなければ表示を付けるべき対象物が無い)、厳密には上記の検討だけでは足りない。実施品の無い権利者からの権利行使の場合には、違ってくる。しかし、この場合にあり得るのは、実施料相当額の請求だけであり、その金額ないし比率は限られたものになる。実施料相当という中でも、実施品が無いのだから、特に高い実施料率を論証できるはずはない。ここは、基本的には、実に上手く出来ている仕組みのように筆者には思われる。

(3) 表示は難しい場合も

 実施品の性質などによっては、表示が難しい場合もある。たとえば、電子機器では、多数のライセンスもあることもあって、特許表示を実行することはむしろ現実的ではない。

 この場合には、現実の警告状を送った後の期間についてだけ、賠償が請求できることになる。筆者が接した事案でもそうなっている例はむしろ多く、たとえば上で加重賠償について言及したセガの事件でも、現実の警告状の後の期間についてのみ、賠償が請求されていた。

 特許表示はライセンシーも付することが必要である(特許権者にとって、付けさせることが必要となる)。このため、侵害を争っていた被疑者との間で被疑物件の製造を継続する和解が成立する場合に、表示をするかどうかが問題となることも少なくない。

(4) 正しい表示を誘導する仕組み

 賠償請求を可能とするためだけなら、とにかく特許表示を付ければ良いわけで、自社の有する特許の番号をすべて付してしまえば良い。しかし、正しくない表示に対しては制裁がある。米国特許法292条は、虚偽の特許表示について500ドル以下の罰金(fine)を規定する。これを私人が訴訟によって求め、それによって利益を得ることが出来た。しかも、条文では500ドル以下が「for every such offense」との規定であるところ、これが“物品一つについて500ドル以下”と解されたために(The Forest Group v. Bon Tool, CAFC 28 Dec 2009)、数量が多数にのぼる品物に付された特許表示に誤りがあると、これを咎める訴訟によりかなりの金額の報償を得られることになった。

 そのために、2010年頃には、このための訴訟が一種のブームとなるまでになった。[カシノ]は2010年4月26日付けの文章だが、この経過を報告している。

 こうした制裁の存在は、特許表示を正しくするためには、望ましい働きを有するとは思われる。しかし、それが過度になっているとの見方が有力になったためと思われるが、2011年の法改正により、罰金の私人による請求は廃止された。もっとも、虚偽表示が違法であるには違いなく、これに基づく競争的な損害の賠償請求はあり得る。

 また、同改正により、表示の仕方についても要求事項にも変更があり、遵守がしやすくなった。製品には単に「Pat」等と表示し、実際の特許情報はインターネットで提供するという方法が出来るようになった。

(5) 我が国への示唆

 米国では強制を制限する方向の法改正をしているものではあるが、特許表示を義務づけることそのものは、あっても良いのではないか。特に、特許権が強化される方向にあるのなら、特許を知り得るのは望ましい事と思われる。

4 中用権

 侵害を避け得るという意味では、クレームが無効の場合の判断をどう扱うのかということも問題となる。この点では、キルビー判決および104条の3の新設にもかかわらず、なお日米間にはかなりの相違がある。

 なお、日本でいう中用権とはまったく違うが、言葉通りではあるので、このように表記した。

(1) 無効主張に対する再抗弁

 キルビー判決およびその後の法改正(平成16年改正による法104条の3の新設)により、日本でも侵害訴訟で直接に特許無効の主張が出来るようになった。この変化により、米国の仕組みに大いに接近はしたが、現在でも日米間ではなお違うところがある。

 日本の場合は、現状のクレームでは無効と判断されても訂正で特許が生き残る(かつ侵害もそのまま)と見られる場合、これを尊重する。再抗弁となると思われるもので、これにより侵害請求が認められるようになる。キルビー事件での最判の判示でもこの可能性が示されていた。

 切削方法事件(知高判平成21年08月25日・平成20年(ネ)第10068号)では、特許権者の訂正により本件発明の無効理由が解消した旨の主張に対して次の様に判示している: 「しかしながら,特許法104条の3の抗弁に対する再抗弁としては,(i)特許権者が,適法な訂正請求又は訂正審判請求を行い,(ii)その訂正により無効理由が解消され,かつ,(iii)被控訴人方法が訂正後の特許請求の範囲にも属するものであることが必要である。」。その上で事案については非侵害だから請求は認められないとした。

 訂正請求または訂正審判請求により訂正が効力を生じている場合には、現実に既に無効事由は解消されているのだから、再抗弁と言うまでもないが、上記の判示によれば、そうした効力が生じているまでは必要ない。再抗弁として特許権者の権利主張を認めるためには、これらの請求の事実があって、その内容たる訂正が無効事由解消かつ侵害維持を達するものであれば良いと理解される。

(2) 再抗弁を認めるということ

 こうした再抗弁を認めるということは、訂正が現に未だであるからには現時点で無効のはずである、とか、こうした訂正の前には無効だったから被告は実施をした、とかの状況を尊重はしないということである。

 従前の制度との関係からは、この仕組みにはもっともなところがある。つまり、元々は侵害訴訟では無効主張は出来ず、無効主張は無効審判手続に限られていた。この場合には、特許権者の対抗手段として、減縮訂正(遡及効がある)で特許性を確保することが可能であったから、侵害訴訟での無効主張においてもこれを反映させようとしたのだと理解される。

 しかし、こうした元の無効審判を考えに入れない場合には、大いに違った制度を考えることもあり得る。後に減縮訂正が必要となる場合には、その訂正前の状況では、現にそのクレームは無効なのであるから、それをもっと尊重することもあり得る訳である。

 これは、米国でのやり方とはずいぶんな違いである。

(3) 米国の再審査での補正と中用権

 米国の再審査などでの訂正(amendであり言葉としては補正と訳すべきだが、減縮しか出来ないもので日本での訂正と同じなので日本での手続きに合わせた用語とした (ウェブ掲載時の注: 拡張が出来ないことは、35 USC 305 などに規定されている。) )については、まず、遡及効が無い。補正をしても、その前の時点で特許が無効であったことは何ら変わらないので、その時点についての賠償請求は成立しないことになる。まずこれだけでも、クレームを前提としての侵害の検討と特許の有効性の検討をすれば良いということになるわけで、侵害被疑者の立場を尊重した制度だと言える。

 それでも、訂正で特許が生き残るなら、今後の権利行使の可能性はあるはずである。それで既に始めてしまった事業が止められてしまうのでは、被告側としては困るとも言える。この点でも被告の立場を認めているのが米国の制度である。これが中用権である([チザム2]では「中間権」と訳されている)。無効だった時点でつくられた物を継続使用する権利や、当時に始めた事業を継続する実施権を認める。前者は明文で認められており、後者は判例である。

 まず条文(252条。中用権の各条項は、252条の権利を認める旨を規定している)により、現物の継続使用が認められている。再審査等の際のクレーム補正は、日本での訂正と同様に減縮しか出来ないから(ウェブ掲載時の注: 2年以内の再発行では拡張もあり得るが)、これで生じる変化は、元は無効だったクレームが生き残るということに違いない。その場合に、無効なクレームしかなかった当時に作られた物の継続使用を認めようという条文になっている。

 条文で認められる現物の継続使用に加えて、実際には判例により、より広く事業の継続が認められている。近時の大法廷での裁判例(Marine Polymer Tech. v. Hemcon, CAFC 15 March 2012)もその例である。

(4) 特許成立前との違い

 米国について興味深く(また、妙なようにも)思われるのは、特許成立前との違いである。

 米国の条文で認められるところは、現物の継続使用であるが、これは、特許成立前についてを考えるなら、我が国の特許法69条で認められるところとよく似ている。69条の場合は、出願前につくられた現物である必要があるが、米国の中用権の場合は、補正の発効前につくられたことが要件となる。

 特許成立前でも実施が侵害とならないことは中用権について想定する状況と同じと思われるが、こちらでは、我が国では上記のように69条があるのに対して、米国では継続使用や先使用権の保護は必ずしも十分ではない。特許成立後の訂正の関係では、出願前の実施についてよりも、実施者の保護が手厚い。

 これを敢えて説明するなら、各クレームについて権利関係の決着を付けておく要求が強いということに思われる。つまり、特許が成立しているなら、そのクレームについて有効で技術的範囲に当たる場合だけが侵害なのであり、それを実施者は判断する。その際に、特許が有効でないなら、その様に判断したことが尊重される必要がある。

 我が国でも、訂正で新たに侵害となることは許されない仕組みにはなっている。すなわち、クレームの訂正があり得るのは減縮などだけであるから、訂正によって技術的範囲から外れることはあっても、新たに範囲に属することは無い。しかし、これはあくまでも、技術的範囲が広げられて新たに侵害となることはない、という仕組みである。減縮はあり得るわけだから、それによって無効を回避する場合の、実施者への配慮は無い(もっとも、126条6項および134条の2第5項で「変更」は許されないから、無効回避の減縮訂正にもこれを根拠として限界はあり得る。実務的に、何をもって許されない「変更」というかには微妙なところがある)。

 減縮訂正が無ければ無効審決になるというクレームは、内容的にはその時点では無効なものなものである。これを重視するなら、その請求項は無効なものとして実施を始めた者は、その後に減縮補正で生き残った特許との関係で保護されるべきである。しかし、無効審決が未だ無い以上は特許は無効ではないと考えるなら、そうした実施者の保護は必要ない。

 我が国の仕組みでは、もともと無効審判によってのみ無効主張が出来たものであるが、これは手続上の制限ではあるものの、さらに無効審決によって初めて無効となるという実体的なものと理解することも出来る(特許法104条の3が、「無効審判...により無効にされるべきものと認められるときは」と持って回った言い方になっているのは、こうした考えを反映している面があるのであろう)。これを前提とすると、上記の考えも説明が可能なのではないか。しかし、[君嶋]の分析などからすると、これが徹底して妥当するとも理解するのは難しい。

(5) 近時の大法廷判決

 上記の大法廷裁判例では、中用権が認められるのは、再審査で現にクレームが補正された場合に限られる、再審査での意見により実質的に違いが生じたというだけでは不十分、と判示された。

 この議論には、米国で言う file-wrapper estoppel は、均等侵害主張に対してそれを否定する場面でこそ働く、というのと通じる物がある。少なくとも、そう理解できるところがある。意見だけでは原則として特許性の根拠とならず、そういう場合は特許は(相変わらず)無効のはず、特許が現に有効になっているなら、クレーム文言の方に(意見の方ではなくて)依拠して侵害を否定できる、均等侵害は構図が違うので意見に基づいて否定するべき場合がある、ということである。

(6) 比較と説明

 再抗弁を認める我が国と、逆に中用権を認める米国とは、この点についてはかなりの相違がある。

 これを説明するに、次の様なことが言えるのではないか。我が国については上記のように歴史的経緯があるのに加えての説明である。すなわち、発明の内容および先行技術状況と、被告の実施内容だけを、法を適用する対象たる実体だと考えるなら、先に成立していたクレームがどうなっていたかとか、それの訂正が侵害訴訟の前になされていたか、といったことは、結論に影響を与えるべきでない手続問題ということになる。我が国の現状は、あたかもそう考えていることになるのではないか。

 これに対して米国では、クレームがあって初めて特許が成立することを重視している。クレームを中途半端な状況においての発明や特許権を想定するということをしない。

(7) クレームへの依拠可能性

 米国の制度状況は、特許侵害を回避しようとする者にとっては、ずっと望ましいものだと思われる。クレームに依拠することが出来るのであり、検討がシンプルになる。特許有効(非無効)で侵害となるクレームがあることだけを避ければ良いのである。

 少なくとも理論的には、我が国の場合の訂正の可能性までを考慮するべきとの仕組みよりも、回避しようとする者にはずっと望ましいはずである。我が国の仕組みでは、先行技術そのものを実施する場合以外、判断は微妙なものとなってしまう。そうは言っても、米国の制度でも、たとえばクレームが多数あってそれのどこまでが無効でどこからが有効かを検討するとなると、必ずしも容易ではない。それでも、実際に存在するクレームを対象に検討すればよいのであり、可能性を検討する必要があるのよりはやりやすいはずである。

 我が国の現行制度には、再考の余地がある。[竹中]391頁がそうした方向の提言をしている。すなわち、訂正を不遡及とするとともに、中用権を導入すべき、との提言である。

 また筆者は、米国での多数の従属項を用意する実務について考察したことがある[拙稿3]。この当時に比べて、我が国の状況は変化があるが(侵害主張での無効主張が出来るようになった点で)、基本的にはなお妥当する点のある考察だと思われる。米国でこそ多数の従属項の必要がある。この考察は、無効の場合のこのような帰結を考えると、なおさら妥当する。

5 引用文献


[井上]: 井上英治『現代不法行為論』(中央大学出版部 2002年).
[カシノ]: Joseph Casino,David Boag「米国で虚偽特許マーキング訴訟が急増 〜 連邦巡回控訴裁判所による判決の影響 〜」(日経BP知財AWARENESS, http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/etc/20100426.html).
[君嶋]: 君嶋祐子「特許処分の法的性質」(『日本工業所有権学会年報』21号(1997年)1頁)。
[古城]: 古城春実『米国特許侵害と三倍賠償』(発明協会発明ブックレット 1989年).
[拙稿1]: 松本直樹「米国特許法による三倍賠償とディスカバリー」『国際商事法務』Vol.22, No.3, P.221 (1994年).
[拙稿2]: 松本直樹「フィリップス事件と日本から見た米国侵害訴訟の注意点」『知財管理』56巻9号1323頁 (2006年9月号).
[拙稿3]: 松本直樹「侵害訴訟における無効判断と多項制そして年金の関係」特技懇200号(1998年7月号)).
[竹中]: 竹中俊子「特許有効性紛争処理制度再考: 日米比較法の観点から」(片山英二還暦『知的財産法の新しい流れ』p.371 青林書院 2010年)
[田中]: 田中英夫『英米法総論 下』(東京大学出版会 1980年).
[玉井]: 玉井克哉「アメリカ特許法における三倍賠償の法理」(別冊NBL83号『経済現象と法』131頁).
[田村]: 田村善之『知的財産権と損害賠償[新版]』(弘文堂 2004年).
[チザム1]: Chisum, Patents, Vol 5.
[チザム2]: Chisum『アメリカ特許法とその手続き 改訂第2版』(雄松堂 2000年).
[道垣内]: 道垣内正人「アメリカの懲罰的損害賠償判決の日本における執行」(三日月古希『民事手続法学の革新(上)』425頁 有斐閣 1991年)
[中山]: 中山信弘『特許法 第二版』(弘文堂 2012年).
[早川]: 早川吉尚「懲罰的損害賠償の本質」(民商法雑誌 110-6-94 P.1036 1994年)
[ブレア]: Roger D. Blair & Thomas F. Cotter, Strict Liability and its Alternatives in Patent Law, 17 The Berkeley Technology Law Journal 2 (2002) (http://btlj.org/data/articles/vol17/blair-cotter.pdf).
[山本]: 山本隆司「損害賠償制度の強化についての意見」(平成14年10月23日付け)(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/012/03100701/006.pdf).
[吉田]: 吉田和彦、103条、新・注釈特許法(青林書院 2011年).
[渡辺]: 渡辺惺之「懲罰的損害賠償を命じた米国判決の執行が公序に反するとされた事例」(『特許管理』 41巻10号1321頁 (1991年10月号)).

以上

6 ウェブ掲載時およびその後の注

2015年9月7日(月): 何か月か前にhtmlを作っていたのだけれど、整形未了で未掲載でした。PBPクレームの最判についてのメモで、中用権についてちょっと書いたので、その関係でこのファイルを発見し、掲載することに。 2015年9月6日(日)にちゃんと形を整えました。その際に、介→解、などの誤変換の修正と、注記の加筆(その旨を付記して)をしました。

2019年4月13日(土): インデックスページに紹介およびリンクを書いていなかったので、これを書きました。


http://matlaw.info/makino-kashitsu.htm

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