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専用実施権を設定した特許権者の差止請求権
(最二判平成17年6月17日の評釈)

By 松本直樹
(初出: 判例タイムズ1215号 (平成17年度主要民事判例解説・2006年9月29日号) 226頁)
(ウェブページ掲載: 2008年6月24日)

対象である最二判平成17年6月17日の裁判所のページへのリンク、そこからのPDFのコピーそのテキスト

1. 判旨

 「特許権者は,その特許権について専用実施権を設定したときであっても,当該特許権に基づく差止請求権を行使することができると解するのが相当である。」

2. 参照条文

特許法68条,77条,100条 

3. 事案の概要と本件判決

 被上告人(特許権者で原告の一方)は,範囲を全部とする専用実施権を設定していた。原審では間接侵害が認定され差止請求が認容されたが,上告人は上告受理申立において,侵害の成立および間接侵害の成立などを争うとともに,専用実施権設定によって特許権者の差止請求権は失われると主張した(上告受理申立理由第5)。この点について上告が受理され最高裁の判断が示された。

 最高裁は,上記判旨のとおり,特許権者の差止請求権を認めた(原審の請求認容判決を維持)。

 本件判決は,次のように理由を説く。特許法68条ただし書により特許権者は実施は出来なくなるものの,その場合に差止請求権をも失うかが問題となる。まず条文について,「特許法100条1項の文言上,専用実施権を設定した特許権者による差止請求権の行使が制限されると解すべき根拠はない。」とする。実質的にも,「実施料の額」が売上によって決まる契約の場合に,「侵害を除去すべき現実的な利益がある」という。さらに,「専用実施権が何らかの理由により消滅」の場合には特許権者が再び実施することになるのでその際に不利益を被る可能性がある,と指摘する。こうした考慮から「差止請求権の行使を認める必要がある」とした。

 なお本件は,事案としては,「生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法」の特許権(特許第2621842号)の行使において,コンピュータ・プログラム(直接の対象はプログラムを記録したCD−ROM)について「のみ」を認定して間接侵害の成立を認めたもので,こうした点でも注目される。

4. 問題の所在

 専用実施権が設定されると,その範囲では特許権者も実施が出来なくなる(特許法68条ただし書)。この際にも,特許権者は差止請求権は有するのか,それとも失うのかは,かねてからの論点とされてきた。

 もっとも実際上は,少なくとも近時の議論としては肯定説が圧倒的な状況であった。これに対して本件地裁判決(東京地判平成15年2月6日)は,否定説をとった(ただし事案としては侵害も否定したものではあり,また専用実施権者も共同原告となっていた)。原審(東京高判平成16年2月27日,判時1870号84頁)は,肯定説を採用し,さらに侵害を認めて(特許権者についても)請求を認容した。

5. 判例・学説の動向

 従来の裁判例としては,山口地判昭和38年2月28日(下民集14巻2号331頁,判タ142号184頁。「所有者が所有物を第三者に使用収益せしめる場合の関係」と対比し「物上請求権を失わない」のと同様に差止請求権を失わない,とする。評釈として紋谷および谷口)と東京地判昭和39年3月18日(判タ160号133頁,判時377号63頁。専用実施権の設定で「全く内容の空虚な権利となるものと解さなければならない実質的理由」はない,とする)の2件が知られている。いずれも肯定説を説く。ただし前者は,事実として認定されたのは「実施権」のみで,専用実施権およびそれが全範囲であることについては仮定的に判示しているにとどまるものである。なお後者は実用新案の事案である。

 近時の学説としては,注解[中山]665頁および817頁,同[松本=美勢]943頁,吉藤565頁,高林161頁,田村320頁,仙元184頁など,肯定説が圧倒的である。否定説としては,兼子=染野250頁,染野義信387頁,染野啓子252頁が知られている。中間説として,吉田および新保がある。中間説は,特許権者が実施料を確保するなどの必要がある場合にだけ差止請求権を有するものとする。

6. 本判決の位置づけ

 本判決によって,実務上,肯定説がとられることが確実になった。

 この点が論点とされてきたのには,旧法からの経緯があったように見える。専用実施権は昭和34年法で初めて認められたもので,旧法下で同様のものとしては制限付移転があった(中山433頁,野口=雨宮(1)21頁)。専用実施権も,実施権というよりは制限付移転と同じように考えたことが,否定説が考えられまたこの点が論点と認識されたことの一端であるように思われる。

 本件判決で肯定説が確実となったから,これによって今後は,専用実施権設定後の特許権者だけが原告となることも実行されるようになると思われる。

7. 条文の文言

 本件判決は,特許法100条1項をあげて否定説の根拠はないとする。100条1項は主体を「特許権者又は専用実施権者は」としているところ,本件上告理由がこの「又は」は択一的であると主張したのに対して,本件最判はこれを否定したものである。

 条文についてはこの点以外も,否定説の論拠と出来る点がある,またはその立場での説明が可能なものではあろう。特許法68条は「実施をする権利を専有する」という形で自ら実施する権利と他者の実施を差し止める権利とを合わせて規定しているので,本件地裁判決の説くように,ただし書によって(自ら実施する権利だけでなく)差止請求権も失われると読むことは十分に可能である。100条1項も「又は」の点に加えて,「自己の特許権又は専用実施権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し」とすることもあって,68条ただし書に合わせて理解することは出来る。

 しかしこれらはいずれも決定的ではない。「又は」としていても両者が差止請求できても決しておかしくないし,68条ただし書きも基本的に実施についての話であって,差止請求権については別論と見ることももちろん可能である。これまで肯定説が定説化してきた状況であるから,この程度の文理から否定説を敢えてとるべきという議論は,極めて難しい。本件最判が肯定説をとったのはこうした意味で自然である。

8. 否定説の他の論拠の検討

 否定説の論拠としては,上記の条文に基づく議論の他,専用実施権設定後は特許権は「内容空虚」な権利となること(兼子=染野),実施契約者間での侵害排除義務等の関係が不明確になること(両染野),が論じられている(野口=雨宮がまとめて検討している)。

 しかしいずれも妥当でない。注解[中山]666頁などが指摘するように,特許権者には許諾の権限などがあり,単に「空」ではない。また特許権者は,自ら実施できないとしても,差止請求権だけは(実施権者との関係では約定に従っての許諾料請求権等も)有するというのもおかしいことはなく,そうならその点でも「空」ではない。侵害排除義務等というのも,実施契約の当事者間で決めておくのが望ましいであろうが,そうして対処するべき問題である。特許権者の差止請求権を否定してしまうのは,その際に却って不都合を生じる可能性がある。

 否定説の論拠としては他に,侵害被疑者が二重に訴訟される可能性を問題とする議論がある。本件上告理由で主張されている。しかしこの点は,侵害に対処する権利者の側の便宜を考えれば不合理ではないし,共有の場合も同様になっている。

 また,田村320頁が指摘するように,77条4項との整合性からも,特許権者の差止請求権が認められるべきである。専用実施権者が第三者に実施権許諾をするには,法77条4項により特許権者の「承諾」が必要であるが,田村は,この承諾が無い場合の第三者に対しては,特許権者が差止請求出来るはずだと指摘し,それとの均衡のためには,不法侵害者に対しても当然に特許権者も差止請求できるはずだと論じる。

9. 中間説について

 中間説の指摘する,特許権者が実施料を確保する必要というのは,本件判決が肯定説の論拠とするところの一つでもある。その限りでは同様の議論である。ただ,そうした事実が存在する場合に限って差止請求権を認める,とするのが中間説である。

 しかし,なんらかの区別をするような条文にはなっておらず,それをわざわざ区別するという程には明確な差異とは言えない。それなのに中間説というのには無理がある。

10. 実際的な意義

 本件判決の言うように,実施料の問題や,専用実施権の消滅の可能性から,特許権者の差止請求権を認める実益があることは確かである。それでも,これらもそれ程に必然的な理由ではない。しかし逆に,否定すべき理由も乏しい。一般的に否定説も強く否定すべきというものではない。

 そもそも,この点が実際上の問題になることは珍しい。専用実施権設定の例が少なく,その上でわざわざ特許権者だけが差止請求をしようというケースはかなり稀である。本件自体も,事案としては専用実施権者も特許権者とともに原告となっており(上告審では当事者にはなっていない。本件の争点だけが取り上げられたため),実際上の違いは考えにくい。また,前掲の山口地判は事案としては専用実施権ではなかったと見られるものであるし,同じく東京地判も,専用実施権者が補助参加人となっているので,否定説がとられるならそちらが当事者となっただけのことと見える。

 それでも,こうしたこれまでの状況は,特許権者の差止請求権が否定される可能性が少しでもあったからこそとも思われる。今後は変化もあり得る。

11. 参考文献

 兼子一=染野義信『工業所有権法』(日本評論新社 1960年).
 新保克芳「〔九〕権利者、侵害者側が複数の場合の問題点」(西田美昭ほか編『民事弁護と裁判実務G知的財産権』337頁 ぎょうせい 1998年).
 仙元隆一郎『特許法講義[第四版]』(悠々社 2003年).
 染野啓子「実施契約関係訴訟」(実務民事訴訟講座5 日本評論社 1969年).
 染野義信「特許実施契約」(契約法大系VI(特殊の契約2)375頁 有斐閣 1963年).
 高林龍『標準 特許法』(有斐閣 2002年). なお同第2版171頁では同じく肯定説をとるが本件最判を根拠としている。
 Shigeshi Tanaka and Noriko Itai, Decision of the Supreme Court 17 June 2005, AIPPI Journal November 2005 P.295.
 谷口知平「71 専用実施権設定と特許権による侵害差止請求」(ジュリスト別冊8『特許判例百選』154頁).
 田村善之『知的財産法 第4版』(有斐閣 2006年)
 中山信弘『工業所有権法〈上〉特許法 第二版増補版』(弘文堂 2000年).
 中山信弘編『注解特許法 第三版 上巻』(青林書院 2000年).
 野口良光=雨宮正彦「専用実施権を設定した特許権者の差止請求権の有無(1)(2)」(『工業所有権法研究』萼工業所有権研究所 12巻(1966年)4号20頁,13巻(1967年)1号22頁).
 紋谷暢男「38 方法の特許発明の出発物質に一物質を添加することと特許権との関係 - 専用実施権設定後の特許権者の特許権に基づく差止請求権の有無」(『商事判例研究(14)』(有斐閣 1975年)211頁).
 吉田清彦「専用実施権設定と特許権による侵害差止請求」(パテント33巻(1980年)11号29頁).
 吉藤幸朔(熊谷健一補訂)『特許法概説 [第13版]』(有斐閣 1998年).

12. おまけ(本件の代理人と弁護士職務基本規程)(2008年12月加筆)

 この事件の代理人のT先生とN先生は、ともに私も良く知っている弁護士さんで、私が最初に勤務したA事務所の、T先生は私の3期先輩、N先生はもう少し先輩です。T先生は私が就職した翌年に独立されました。N先生は現在もA事務所のパートナーです。要するに、元 同じ事務所なのですね。

 ところで弁護士職務基本規定57条は次の様に規定しています:

(職務を行い得ない事件)
第五十七条 所属弁護士は、他の所属弁護士(所属弁護士であった場合を含む)が、第二十七条又は第二十八条の規定により職務を行い得ない事件については、職務を行ってはならない。ただし、職務の公正を保ち得る事由があるときは、この限りでない。

 この括弧書きによると、「元」の関係でも利益相反で受任禁止になるのが本文なのですね。ただそれは但し書きで受任できる場合がある、という仕組みです。ですから、この件の場合でも、T先生はA事務所の「所属弁護士であった」者であり、被告を代理することを受任するのは利益相反ですから(原告代理人なのですから当たり前です)、本文によればN先生も受任禁止で、でも但し書きで「職務の公正を保ち得る事由があるときは」OK、ということになるのだと思われます。

 本件の状況で、利益相反で受任禁止、とはとても思えません。でもそれは、但し書きで「職務の公正を保ち得る事由があるとき」としてOK、というのが現行の規定のようなのですね。

 旧規定である弁護士倫理では(2005年4月に職務基本規定が施行されて旧規定となりました)、こうはなってないようで、職務基本規定の作成に際して新しくここまでの規定をしたものと理解されます。このように元同じ事務所と言うだけで利益相反で受任が禁止されるというのは、状況としては、必要な場合もあり得るのかも知れませんが、私には疑問です。本件のような状況を見ると、まったく的外れだろうと思えてきます。

 必要な場合というのは、師弟関係というか、共同関係というか、そういう関係が継続している場合でしょう。そういう関係なら、対立当事者の代理を受任するのが不適切なのはもっともです。この括弧書きはそういうことを規定しているのだと思います。さらに言えば、受任のための便宜で独立したとの体裁を採る可能性がある、ということもあるのかも知れません。

 そういう場合があることは分かります。しかし、それで禁止が原則であるかのように本文(括弧書き)に規定するのはどうでしょうか。むしろ、ライバル的な心境というか、やる気が出そうな場合が多いようにすら思います。本件の場合ももちろんそちらの方であって無問題と思います。基本規定のこの条項は、どうも疑問です。

 もっと一般的に、規定の仕方としてもかなり疑問です。但し書きの「職務の公正を保ち得る事由」にしても、たとえばこの事件の場合にも、これに特に当たる「事由」というのを指摘するのは難しかろうと思います。禁止されるとはとても思えないのですが。そういうことになってしまうというのは、ルールの設定の仕方がそもそも間違っているのだと思われてきます。

 実は、去年だったかな、弁護士倫理の勉強会? を受ける(参加する)機会があって(登録20年での義務研修です)、その時にちょうどこの57条が話題に出たのですね。私の記憶では、その際に、違和感を表明される先生が少なからずいらっしゃいました。私も同様に、疑問のある規定だと思った(そしてその趣旨の発言をした)ものです。


http://matlaw.info/senyoken.htm

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