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米国制度からの示唆(審判研レポート)

By 松本直樹
(初出: 知的財産研究所「審判制度と知的財産訴訟の将来像に関する調査研究報告書」(平成14年3月)第8章)
(ウェブページ掲載: 2002年5月7日)

  日本の審判制度のこれからを議論する研究会で、米国関係のレポートをしました。米国の話としては、米国の当事者系再審査制度の話、その法改正の審議の状況などがあります。そうした紹介の上で、侵害訴訟で当然に無効判断をする米国に、キルビー最判後の日本は実質的に極めて近いだろう、との視点から、侵害訴訟での実質的無効判断と審判制度の相互関係について考察しました。見所は、侵害訴訟で有効(明白無効でない)と判断したなら、無効審判との関係での再審の可能性を残すべきでない、という議論です。

1.日米の相互接近

 日本と米国の特許制度は、近時、相互に接近してきている。従来は、いわば対極的な制度であったから、日本の制度を考察するにあたって米国のそれを参照するにしても、余りにも基本的な違いがあるために、ほんの部分的な示唆以上のものを得ることは無理であった。すなわち、いったん成立した特許に対しては、米国においては、その瑕疵を取り上げるのはもっぱら裁判所であるのに対して、日本ではもっぱら特許庁での無効審判であり、あまりに基本的な相違があった。

 それが、いずれもが接近する方向で変化を見せている。米国では、再審査制度が導入され、さらにそれが当事者系再審査制度を追加するという形で強化されている。日本の無効審判制度とは前提が違うところがあるとはいえ(基本は裁判所での無効判断にあるという前提ではある)、接近だとは言えるだろう。

 日本でも、直截に無効判断をするというわけではなく権利濫用とするものであるとはいえ、キルビー特許事件最判(平成12年4月11日)により、侵害訴訟裁判所が表だって明白無効を判断することが認められるようになった。無効判断自体ではないという違いはあるか、少なくとも、登録の現存する特許権に基づく請求が無効理由のために、しかもそれを明示的に理由として、棄却されることがあるようになったという点で、実質的に米国制度に近づいたものである。

 こうした状況から、日本の制度を検討するにあたっても、従来よりもより直接的に、米国の制度や議論を参考にすることができるようになってきている。

2.再審査制度

 米国では、もともと、侵害訴訟または無効確認請求訴訟での裁判所における無効判断が基本である。PTOでの手続きにより特許が認められていても、実際に特許要件を満たしていないのであれば、それは無効なものであり、それを裁判所が判断することは当然である、という考え方である。

 そこへ、再審査制度が導入されたわけであるが(1981年)、主張できる先行技術が特許または刊行物に限られるという限定のほか(301条および302条)、請求人のための手続き保障が不十分であり、大いに限界があることが早くから認識されていた。特許権者以外の者が請求した場合、請求人の主張の機会は極めて限定されていて、基本的には、請求の時点での主張だけである。再審査の請求をPTOが審査し、そこに一応の理由があると認められると、その後は通常の審査と同様の手続きとなり、特許権者とPTOとの間のやり取りだけがなされ、請求人には関与の機会はない。PTOの結論に不服でも、裁判所の判断を求めることも出来ない。

 無効を主張しようとする第三者請求人としては、再審査によってそれに成功する見通しが立てにくい。むしろ特許権者の方が、新たに発見された先行技術証拠との関係でも特許が有効であることを確実にしておくために利用するもの、とすら言われる。

 これを補うものとしての当事者系再審査制度が、1999年改正法によって導入された。拙稿「任意的当事者系再審査」(『知財研フォーラム』Vol.41 (2000年春号) 13頁以下)参照。或る程度まで対審的な手続きとなったことに特徴がある。

 この当事者系再審査でも、特許または刊行物に限られるのは同じで、請求人の手続き保障もなお不十分であり、それが現在改正法の議論にもつながっているわけであるが、日本から見て注目されるのは、当事者系再審査制度における、それと民事訴訟との相互関係である。一言でいえば、いずれかの制度で決着がついた論点については、それが有効判断であっても無効判断であっても拘束力を持ち、事後同種手続きにおける異なる主張もまた別の手続きにおける主張も禁じられるという仕組みがとられている。

3.法改正審議

 当事者系再審査制度において明らかに不十分なのは、第三者請求人の上訴権である。第三者請求人の請求が入れられなかった場合(=特許が維持された場合)に、請求人はPTOのボードへの上訴はできるが(315条(b))、その判断に不服があっても裁判所の判断を求めることができない。それでいながら、特許を有効とする判断については、後の同一当事者間の民事訴訟においても拘束力があるとされる(315条(c); 提起しまたは提起し得た理由に基づく無効主張は禁じられる、とする)。これは、合憲性に疑問のあるところである。

 この点について、既に法改正が提案され(H.R. 1886)、2001年9月5日に下院を通過した(62 BNA's PTC Journal 1539, 9/14/01)。この法案によると、315条(b)が改正され、第三者請求人もCAFCへの上訴が認められることになっている。この法改正が成立すれば、合憲性の疑問は、ほぼ解消するとみられる。特許を有効とする判断は、CAFCの支持を得たもの(上訴していなかったとしても、その際に上訴の機会を放棄したもの)ということになるからである。

 また同時に、第三者請求人にとって、当事者系再審査を選択する合理性が出てくる。現行制度では、再審査請求についてはPTOの判断までしか得ることができないため、第三者が無効を主張しようという場合には、魅力的な手続きとは見えない面が強かった。PTOは、既に特許を認めた組織なのであり、同じ組織における次の判断でも同様の結論を下する可能性が高いと外部からは想像するのはもっともなところがある。形式上は、民事訴訟においては明白かつ説得的な証明が必要とされるのに比べれば、再審査においてはそのような証明基準は存在せず(文字通りの再審査であるとされる)、証明のハードルは低いことにはなっているが、現実的には、その通りに受け止められてはいない。

 この法改正は、当事者系再審査制度という、民事訴訟とは別の特許を無効にするルートを、強化拡充するものである。

4.手続きの相互関係

 米国の当事者系再審査における、民事訴訟との相互関係は、次のようになっている。

4.1 再審査先行の場合

 まず、再審査の結論が先行し、無効とされた場合には、特許の登録がなくなるわけであり、その後に侵害訴訟などが考えられなくなるのはもちろんである。

 再審査によって特許が維持された場合には、単に特許の登録が維持された状態として権利行使の可能性があるというだけではなく、同一当事者間の後の民事訴訟では、有効性の判断自体に拘束力があるとされる。すなわち、上記の通り、315条(c)が、提起しまたは提起し得た理由に基づく無効主張は禁じられる、としているのである。ただし、提起し得なかったものはここからは外れるわけで、さらに新発見証拠は別とのただし書きもある。もっとも、先行技術というのは本来は入手可能だったものばかりのハズであり、どういう範囲のものがこれに当たることになるのか、大いに疑問が残る。また、この拘束力に対しては、合憲性の問題がある。

4.2 民事訴訟先行の場合

 訴訟が先行して無効と判断されれば、その判断には、実質的な対世的効力があるのが現在の判例法である(ブロンダータング事件、Blonder-Tongue v. University Of Illinois Foundation, 402 U.S. 313 (1971))。

 訴訟が先行して、無効でないと判断された場合には、その当事者はもはや当事者系再審査を求めることも出来ない(317条(b))。通常の再審査については、こうした明文規定は存在しないが、PTOの実務としては、こうした場合には再審査請求を取り上げないことが明確にされている(In Re Pearne, 212 USPQ 466 (Commissioner of Patents and Trademarks, 1981))。再審査は、無効な特許を民事訴訟によるまでもなく排除するための制度であって、訴訟で決着がついた問題の蒸し返しを取り上げるのは不適切である、としている(ただし、別の先行技術に基づく主張であれば取り上げる可能性があるように見える記述もある)。

4.3 後に無効となった場合

 以上のように、いずれかの手続きで無効とされればそれまでであるが(しかも(実質)対世的無効である)、有効とされた場合には、その判断が同一当事者間ではもう一方の手続きにおいても拘束力を持つ。しかし、別の当事者については、手続き保障の必要があるから、あらためて無効とされる可能性があるのは当然である。

 それで実際に後に無効になった場合には、どうなるのか。たとえば、無効でないとした判決が確定した後に、別の被告に対する訴訟では無効とされたとしよう。この場合、前後の訴訟の各結論は、いわば矛盾したものではあるが、前訴判決が取り消される等ということはない。民事訴訟の相対的解決の考えからは、これも当然である。

 同様の判決確定の後に、(他の請求人による)再審査で特許が取り消された場合はどうなるか。こうした場合について、特別の規定は見当たらないが、既に確定した侵害訴訟の既判力は覆されないと考えられているように見える。こうした事態は、そもそも現実にはまず生じない話であるから、その旨の明確な裁判例などが知られているわけではないが、既判力の考えや、上記のような判決相互間の場合からの類推からは、上記のように思われる。その判決(前訴判決)の中では、既に無効かどうかの点についても判断しているのであり(またはしているべきものなのであり)、その上で請求認容を判決して確定したとなったら、それが後から別の判断が下されたからといって取り消されるはずはない、ということである。

 また、逆に、先に当事者系再審査で有効とされていたのに、後に無効とされたという場合は(再審査、当事者系再審査または民事訴訟のいずれかで)、元の当事者も無効主張が出来るようになるのだと思われる。もっとも、法律の文言としては拘束力を規定しているだけだから、逆の可能性も否定は出来ない。

5.日本での状況概要

 日本でも、キルビー最判によって、侵害訴訟裁判所で明白無効判断がなされることになった。その意義について、米国制度を意識しての考察を簡単に記しておく。

5.1 明白無効の要件

 キルビー最判以降の日本の状況は、建前はともかくとして、実態としては米国制度に極めて近いものとなっている。

 キルビー最判は、侵害訴訟において、特許の無効事由を当然に判断できるとしているわけではない。むしろ、「特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続し、対世的に無効とされるわけではない。」とした上で、しかし、「特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができる」として、無効が明らかな場合には特許権行使が権利濫用となるとする。これは、確かに理論的には、無効判断そのものをしているのとは違う。また、このような枠組みを採用したことは、従来との整合性の点などから合理的なものと思われる。

 しかし、その結論としては、当然に無効判断をする米国の場合と極めて似ている。権利濫用といっても何らの主観的要件を求めているわけでもないし、無効が明白であることを求めるところまでソックリである。米国の場合でも、侵害訴訟において、特許無効の主張に基づいて特許権行使を排斥するためには、無効の証明は明白であることが必要とされる(clear and convincing の証明基準)。これは、特許法282条が、特許の有効性推定を規定していることが根拠とされる。

 田村善之・キルビー最判評釈(『知財管理』2000年12月号1847頁)のように、キルビー最判の帰結は「当然無効の抗弁と変わるところがない」、と受け止めるのは、実質を中心に考えればまったくもっともである。

5.2 キルビー最判の意義

 前出・田村の説くように、従来から、実施例限定などによって、無効事由を伴った特許権の行使は排斥するのが一般的な裁判例であった。表だって無効と宣することはしないのが普通だったとはいえ、実質的に考えると、それにどれだけの意味があったかは、大いに疑問である。さらに、大野聖二・キルビー最判評釈(『知財研フォーラム』42巻40頁)の指摘するように、「建前」はともかくとして、特許侵害訴訟の被告が実質的に無効事由を主張することは、キルビー最判以前から「頻繁に」行われていることである。

 そうしてみると、キルビー最判は、実質的には実務を大きく変えたわけではない。

 それでも、キルビー最判には大きな意義がある。従来の問題点は、実質ではなくて、分かりにくさである。端的に無効事由を取り上げるのではなくて、実施例限定などの解釈によって侵害は否定するというのは、それで請求棄却という結論は妥当なものとなるにしても、いかにも“分かりの悪い実務”であった。こうした意味で、キルビー最判が明白無効の判断を認めたのは、大きな前進である。従来よりはずっと分かりやすくなったことは間違いない。

5.3 問題点

 キルビー最判が、権利濫用という形を選択したのは、従来の議論との整合性などの点で、まったく合理的なものだとは思われる。しかし、それをわざわざ強調するのは適切とは思われない。別の分かりにくさを生ぜしめるだけである。

 上記のように、キルビー最判の最大の意義は、“分かりやすさ”への一歩前進にあると思われるのに、無効判断自体をしているわけではないというのを強調するのは、何とも不適切なように思われる。実質において、無効を判断して請求を棄却することには違いがないのである。

 なお、明白性を要求していることから意味を考えるのも失当であると思われる。権利濫用としていることと特に関係があるなら、権利濫用であるということにも実質があることにもなる。しかし、そういう訳ではない。権利濫用だから明白性が要件となっているというものでないことは、米国と対比しただけでも明らかである。

5.4 無効判断できてよいはず

 そもそも、民事訴訟で無効判断ができないとする実定法上の根拠の存在は疑問である。行政法学のドグマあるいは「恩恵主義時代の亡霊」(君嶋祐子「特許処分の法的性質」日本工業所有権学会年報21号(1997年)1頁)以外には、法律上の積極的な根拠はないように思われる。

 特許法178条6項は「審判を請求することができる事項に関する訴えは、審決に対するものでなければ、提起することができない。」と規定するから、無効審判と無関係に特許取消請求訴訟あるいは無効確認請求訴訟を提起することは許されないだろうが、だからといって抗弁としての無効主張を判断することが禁じられることになるわけではない。だからこそ、キルビー最判の結論が許されるものでもある。また、無効審判で無効判断が出来るにしても、それだけで、それ以外での無効判断が排斥されることにはならない。もちろん、無効審判制度が存在することで、それに一本化するという制度を取ることが正当化し得るものとはなるが、存在するだけで当然に無効判断が排斥されるものではない。特に、実質的な結論としては無効主張を許すのに、理屈としてだけ本来は無効判断できないものなのだと議論することの根拠にはならない。

 特許法は「無効事由」と規定しているのであるから、これは、無効判断が出来ることの根拠にはなっても、その逆ではない。これを敢えて取消と性質決定するのは、無効判断を禁止する結論を前提として初めて有り得る議論である。どこにも「取消」とは書いてないのだから、特許法を根拠として無効判断を否定するのは、良く言って循環論法ではなかろうか。

 無効主張が当然に可能な米国制度を考えに入れると、我が国も憲法以下の実定法規定が米国と大差無いのであるから、侵害訴訟裁判所が無効判断をする事が出来るのがむしろ自然である。現行憲法下では、法定の特許要件に反しての特許権付与を行政庁が有効に行えるとか、そうしたものが(無効審決が出るまで)有効で有り得るとかいう根拠を見出し難い。

 こうした意味で、権利濫用を強調するのは、状況を不透明にする議論だと思われる。結論的には実質的に無効判断をするのに、なお“無効審決によって登録が抹消されるまでは有効ではあるのだ”とわざわざ言うのは、余り合理的とは思われない。

5.5 立法の意義

 実質的には、従来の実務でも不当な結論が出されていたものではなく、ましてキルビー最判によって問題は基本的に解消している。しかし、“分かりやすい制度”という観点からは、さらに立法をする意義は十分にある。

 立法の内容としては、侵害訴訟において無効判断が有り得ることが明確に分かるようにすることである。同時に、無効審判との調整も規定されてしかるべきである。以下ではこの点に結びつく考察をする。

6.侵害訴訟での明白無効判断と無効審判制度との関係

 キルビー最判のもとでの侵害訴訟における明白無効判断と、無効審判手続きとの関係は、上記の米国のようなものとは、かなりの相違のあるものと理解されているように見える。

6.1 明白無効とする判決の意義

 民事訴訟で明白無効と判断された場合でも、それを主文とすることは現状では想定されておらず、また争点効を否定するのが現行民訴実務であるから、その判断自体が拘束力を持つわけではない。したがって、後に無効審判手続きにおいて別の結論が下されることもあり得る。

 もっとも、これは法律上その可能性があるというにとどまり、明白無効とまでされた特許について、しかもそれが確定するような状況において、特許庁が別の判断を下す可能性は、実際上は存在しないものと思われる。

 また、侵害訴訟裁判所が、明白無効ではないとして差止請求あるいは損害賠償請求を認容した後に、特許庁が無効審決を下した場合については、一般的には再審事由になると考えられているが、疑問である。この点については次章で検討する。

6.2 無効審判制度の存在意義

 侵害訴訟における無効判断があり得ても、(民事訴訟によるのではなくして)特許庁での手続きで特許を抹消することが出来てもよいというのは、まったくもっともな話である。現に米国では、このための再審査制度を設け、さらに当事者系再審査制度として強化し、またそれを補強する法改正を検討しているくらいである。

 考慮するべきは、蒸し返しの可能性を排斥することである。つまり、いずれかの手続きにおいて一旦下した結論は、その判断を他方の手続きの関係でも尊重するような仕組みを整える必要がある。特に、侵害訴訟で決着がついたものについては、再び争うことは認めないようにするべきである。

 こうした形での手続きの併存は、決して、無駄な重複ではない。裁判所による必要のないものは、特許庁で解決する、裁判所で審理したものは、そこで最終決着を付ける、ということである。

7.再審の可能性と疑問

7.1 再審の可能性

 無効審決については、特許法第125条が遡及効を定めている。すなわち、「特許を無効にすべき旨の審決が確定したときは、特許権は、初めから存在しなかつたものとみなす。」と規定している。そして、このような効果をもたらす無効審決は、民訴法338条1項の1号から10号に記された再審事由のうち、「八 判決の基礎となった民事若しくは刑事の判決その他の裁判又は行政処分が後の裁判又は行政処分により変更されたこと。」に該当するものと考えられている。この結果、特許権行使を支持する判決が確定していても、その元の特許権について無更審決が確定すれば、再審で取り消されることになる。

 侵害訴訟裁判所が無効判断をまったくしないのであれば、このような手続きとなることもむしろ当然ではある。その場合には、特許権行使を認容する判決も、いわば、特許の有効性に関しては判断を保留して下されているものなのであり、後に特許庁の審判手続きにおいてそれが無効とされたなら、再審により取り消されるのももっともである。

7.2 疑問

 しかし、キルビー最判以降の侵害訴訟については、このように再審の可能性を認めることは疑問である。

 ここでは、無効かどうかの点についても判断をした上で判決を下すのであるから、後に特許庁が同じ問題について違う判断を下しても、それで再審で取り消されるというのでは、確定判決というものの性質に反している。また、紛争の一回的解決の観点から妥当ではない。もっとも、明白の点を重大視すれば別の考えもあり得るが、これは事案解明による確信の程度の問題であって、この点において実質的な空隙が存在するように考えるべきものではないと思われる。

 確定判決によって差し止められまたは損害賠償がなされた場合でも、後に再審によって判決が取り消されたなら、支払われた賠償金も返還することになるし(おそらくは法定利率による利子を付けて。再審については、仮執行取消についての民訴法260条にあたる条文がないが、不当利得となるものと思われる)、また差止によって生じた元被告の損害の賠償も考えられる。しかし、確定判決によって生み出されたこれらの状況を、(元)特許権者が賠償などするべきものだろうか。それは、余りにも確定判決を軽く見るものではなかろうか。

 なお、ここでの検討は理論的なものに過ぎず、侵害訴訟で支持された特許についてあとから無効審決が出るなどという事態は、普通に有り得る話ではないのはもちろんである。ただし、キルビー最判が無効が明白であることを要求している関係でこうした問題を避けている、というものではない。むしろ理屈では、このためにあり得るものになっている。実際は、明白無効というのがその様に特別に高いハードルとして扱われるべきものとは思われないが。

7.3 民訴法の議論でも当然ではない

 それでも、この再審取消しの可能性が民訴法上当然なのであれば、仕方がないものではある。しかし、よく考えてみれば、民事訴訟法についての議論からしても、これは原理的に極めて奇妙なものである。

 まず、このような再審事由は、非常に例外的である。8号以外の再審事由はいずれも、確定判決の手続き自体に瑕疵がある場合である。また、8号についても、無効審決の場合以外の処分の変更は、一般に請求・出訴期間の制限がある。無効審判の場合だけが、その手続き自体には瑕疵の無い確定判決が、いつまでたっても本当には確定しないのである(民訴法342条2項で判決確定から5年という再審期間の制限はあるが)。こんな事態は、他には見られない異常なものである。

 また、有効性の点も内容的には判断しているのに、後に無効と判断される可能性もあるというのは、争点効を否定すればこそであるが、それとの関係でも疑問がある。争点効を否定する議論の内容を考えてみると、主文以外の判断には拘束力を認めないとすることによって、過剰な審理を不要とし、訴訟経済に資する、というのが有力な根拠とされている。それにしても、主文についての拘束力(既判力)は、大前提となっている。それなのに、無効審判と再審というルートによって、主文自体が取り消されてしまい得るというのは、なんともおかしい。

7.4 米国との対比

 米国の場合は、4.3でも論じたように、ある時点で特許権行使を認める判決が出て確定した場合には、後に、他の当事者間の民事訴訟で無効と判断されても、既に確定した判決は覆る理屈はないはずである。その確定した裁判においては、特許を有効と判断したのであって、その点が後の判断によって逆転されるという謂われはない。これは、相対的な解決をもたらす民事訴訟の判決の相互間では当然のことである。

7.5 再審を否定する125条の解釈

 日本の場合についての疑問点は、結局は、特許法125条の解釈にある。特許法125条の遡及効により、無効審決が再審事由たる「変更」に該当するものとするのは疑問である。

 125条は「〜特許権は、初めから存在しなかつたものとみなす。」とするわけだが、もともと、この遡及効規定の意義は、主に、無効審決前の実施行為についての損害賠償請求権を否定することにあるものと思われる。そういう意味では、無効の判断としては当然のことを規定しているだけとも理解し得る。過去において特許登録があったこと自体を消し去るものではなく、普通の行政処分の取り消しとは違う内容なのであって、8号の再審事由には該当しないとする解釈も可能であるように思われる。

 また、立法によるのであれば、こうした場合を再審事由に当たらないことを明示的に規定することが望まれる。それで初めて、民事訴訟法全体と整合的な制度となるものと思われる。

7.6 現実的な意味

 現実には、一旦、侵害訴訟で明白無効ではないとされたような特許について、無効審決が出るようなことは極めてまれであろう。したがって、再審の可能性というのも、単に理論的なものに過ぎないかも知れない。

 しかし、だからといってここで議論しているような再審否定論が無意味というものではない。原理的に再審の可能性があればこそ、無効審判請求を行うことが有り得るからである。再審によって取り消される可能性が無ければ、民事訴訟における判断が当事者にとって本当の最終決着ということになって、無効審判を継続しようという動機を無くすだろう。これは、一回解決に結びつくのであり、それで初めて合理的な制度となる。

8.訂正の問題

 最後にごく簡単にではあるが、訂正の問題について言及しておく。

 キルビー最判でも、訂正によって有効になりかつ侵害が維持できるような、そうした訂正の可能性がある場合を、特段の事情が存在するとして、権利濫用ではないとする可能性を認めている。しかし、特許庁での訂正の手続きをさらに行うことは、紛争の迅速な解決のためには望ましくない(場合がある)ことが自明である。

 米国の場合では、多項制を予め活用することが求められており、それが対処になっている。日本でも、多項制が認められているから、同様の措置をとることも考えられるはずではある。つまり、後から訂正を必要とする事態を招いているのは、むしろ特許権者の責任であるとするのである。

 しかし現状では、後から訂正できるのを前提としてクレームを用意しているから、これを一気に変化させることには問題がある。不意打ちになってしまう。また、かつては年金額の問題があった。多項制を活用するのには障害となるほどに、多数の請求項を有する特許の年金の金額が大きかったのも、考慮に値する事情である。拙稿「侵害訴訟における無効判断と多項制そして年金の関係」特技懇200号(1998年7月号))参照。

 また、場合によっては均等侵害を認めることによって、調整を図る可能性もある。グレーバータンク事件最判(Graver Tank v. Linde Air Products, 339 U.S. 605 (1950) )は正にこうした事例であったと言える。

以上

付言

  レポート本体は以上ですが、ウェブページ掲載にあたって、知財研での議論との関係などについて書いておきます。

  キルビー事件最判は、登録のある特許が無効だとの判断そのものが出来ると言っているわけでないのは確かです。でも、結論として、無効判断を実質的に認めていることは否定し得ない事実です。「権利濫用」の一言を入れるというワンクッションはありますが、それは修辞以上のものではありません。なぜなら、権利濫用と言うにふさわしい主観的要件などはなく(それでもここで「権利濫用」とするのはまったく問題ありませんが、特に権利濫用の実質があるわけではなくなっている、ということです)、また、明白を求めているといってもそれは当然無効を認める米国と同じだからです。

  従来は、特許法に言う「無効」事由は、実は「取消」事由を定めたものだ、との説明が一般的になされてきましたが、これは、キルビー最判の結果として極めて奇妙なものになっていると思います。元々特許法は「無効」と規定していて、しかも結論として実質的に無効との判断をしているのです。なのに、その中間でだけ“これは行政法で言う取消なのだ”“取消事由なのだから、無効審決が確定するまでは特許は有効なのだが、特にキルビー最判で権利濫用とすることになったのだ”と論ずることは、余計な迂回路を造っているだけで、まったく無意味です。

  キルビー最判前は、侵害訴訟で無効判断が出来ない理由は乏しいと議論してみても、無効主張は無効審判に集約しているのだ、という見解に対しては、それはあり得る制度だと認めざるを得ませんでした。そういう意味で、当然無効説の議論は、実際的には無力ではないか、とも思っていました、私は。

  ところがキルビー最判では、実質的に無効判断をすることになりました。こうなると、無効判断できないのだとの立論は、なんとも盲腸(いや虫垂突起か? )のような存在になったと思うのです。

  ……などといったことを思っている私は、実は、知財研の委員会での議論においてはかなり浮いていました。あくまでも、キルビー最判は無効判断そのものを認めているわけではないのだ、と仰る先生の方が多数派なのですね。そして、無効判断そのものを認めているわけではないから、審判制度との併存は現状では矛盾ではない、しかし、もしもこれをさらに進めて、無効判断をすることになるなら、調整が必要になる、と仰ったりするのです。

  私には、調整は現状(=キルビー最判以後の現在)において既に必要だと思われます。そうした考察の一つとして、侵害訴訟で有効を判断している以上は、それが確定したなら、後から無効審決が出ても再審取り消しされるべきでない、という議論を提言しました。かなりの異端のようですが、私は筋は通っていると思うのです。


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