今朝の新聞を見比べて、改めて思ったことがあります。現在うちでは日経新聞と読売新聞をとっているのですが、日経新聞の記事の方針についてです。あまりにも、政府や日銀や銀行に甘い、厳しく言えば迎合しているようにさえ思います。
今朝の場合は、長銀による農林中金への1340億円あまりの保証(日本リース向け債権についての保証)およびこれの支払いについてです。今年の1月に、この債務保証をしたのに、3月期決算の有価証券報告書にも記載がなかったとのことで、金融監督庁が不掲載理由の説明を求めている、などとの報道がされています。この内容は、読売新聞の報道によります。
こうした保証がなされたり支払いがなされたについては、相当に政治的な背景があるのでしょう。背任罪に該当するような取引がなされていたとの印象もあります。この追及が非常に重要ですが、それに加えて、開示もしなかったというのが断罪されなければならないことは既に明白です。実体を究明するための前提としても必要ですから、厳しい報道があってしかるべきです。
ところがどうしたわけか、今朝の日経新聞にはこの件の報道が全くありませんでした。読売新聞では、1面上段に出ているのです。経済関係の事件ですから、読売新聞よりも日経新聞の方が詳しくてもおかしくないはずです。それがまったく掲載されていないのです。
その後お昼ごろに、日経のウェブページを見たら、一応はこの話も載っていました。でも批判のトーンは極めて弱いものです。なんでも、「保証予約」だったので開示しなくてよいという理屈だったらしく、その旨の説明がされています。全く理解に苦しむ理屈ですが、こういう取るに足らない言い訳ををそのまま報道する方もどうかしてると思います。
近ごろこの類いのことを頻繁に感じます。たとえば、先日の長銀の破たんに際しても、長銀の自己査定が甘かったという問題について、日経新聞の報道は非常に控え目でした。
よく考えてみると、このような報道姿勢は日経新聞にとってある意味で合理的なのかも知れません。特にこれまでは、日経新聞にとって大事なのは大蔵省や日銀から特ダネを頂戴することであり、そのために覚えめでたくあることを目指す、ついては批判などは控えめにする、ということです。
従来は確かに、こうした記事に価値があったと思います。ところがこのところは、大蔵省などの統制力が弱まっていて、こうした方針による報道が結果として間違えになってしまうことも多くなっています。長銀の合併報道などその例といえると思います。こうした方針の報道に限界が見えていると言えましょう。
将来を考えるとますます問題だと思います。今後は、インターネットを通じての直接の情報配信がますます普及していくはずですから、大蔵省などのご意向に従った報道というのは不要になっていくと思われます。