Last Modified: 2012年4月1日(日)17時23分55秒

研究会のメモ、2007年

By 松本直樹

  3年前のときの冒頭と同じことを書いておきます(一昨年昨年もそうでした)。「私が出席した研究会で、私が後から思ったことをメモしておきます。レポーターの話は必ずしも書きませんし、また書いた場合でもそれはレポーターの著作権? に属する話なので、副次的な範囲に留めます。そういうこともあって、また私が誤解している可能性もあるので、レポーター名や他の発言者のお名前は、イニシャルだけにしておきます。」

  ご意見などご連絡はメールでホームページの末尾にあるアドレスまでお願いします。上記のように、他の方にご迷惑の及ぶことの無いように考慮している積もりですが、たとえイニシャルだけでも出しては困るとか、そんなことは言っていないとか、むしろ実名にしてくれとか、ご要望がありましたら何でもご連絡ください。可能な限り従います。

1. 進歩性基準、ドイツとの比較(B07年1月19日)

 A先生のレポートで、ドイツの進歩性判断の概要と、日本とドイツで同じ特許について有効性判断が分かれた事例について、伺いました。

1.1 進歩性判断の裁量性とドイツでの間接事実重視、そしてドイツでの認められやすさ

 ドイツでは間接事実(というか、周辺事情というか)が重要なんですね。60年代からは間接事実を考えるようになり、それも当初は引例との比較だけでは決めかねるという場合に考慮されたのみだったのが、その後、常に考慮されることになった。ただ、最高裁によれば、引例との比較だけで明白に進歩性無しなら、考慮不要、ということになっている。……とのこと。

 間接事実を重視する、その大元の理由ないし趣旨は、進歩性の判断を出来るだけ客観化する、ないし予測可能性を持たせる、というところにあるるようです。進歩性というのは、その根拠となる先行技術の認定などはそれなりに確たるものですが、それに基づいてその差異を考えて、結局のところ進歩性があるのかないのかというのは、正に価値判断であり、外部からは予測が難しいです。これはA先生がおっしゃるとおりと改めて思いました。これを弁護士として特に感じるのは、被告の立場を想定した場合です。非侵害の主張と、無効の抗弁(ないしキルビー抗弁)とを比較すると、後者は確かに予測が難しいと思います。もっとも実際には、無効の抗弁が通る場合が近頃非常に目立つわけですが、でも、進歩性の判断というのがどのようになされるかはいかにも自信がもてないです。

 ドイツでは、進歩性肯定の間接事実として色々なものが考慮される、とのこと。日本と違うと感じるものとして、次のようなものがある。引用例の数、ということが言われる。実務書によっては、引用例が3つだったら進歩性ありだ、と端的に言われたりする。専門家による称賛、というのもある。日本ではどうせ顧慮されないというのだが、依頼者からはそれを主張しろと言われることが多い。

 こういう事で、実際的な感覚としては、日本ではダメなものがドイツでは間接事実によって特許が(進歩性が)認められる、という感じになるようです。

1.2 サスペンション(S字型のコイル)の事例

 事例として、自動車のサスペンションのコイルについてのものをご説明いただきました。特許第2642163号に関する事案です。ここに公報のPDF: JPB_0002642163.pdf。上記のように、ドイツの方が間接事実に基づいて特許が認められやすいという印象ではあるものの、ぴったりと対比できるような事例はなかなかないようです。そうした中でこの事例においては、クレームが日本とドイツで同じであること、また議論された先行技術も同じであること、という点で、好適な事例です。

 いわゆるマクファーソンストラットでは、ダンパー(日本語だとショックアブソーバーですね)に横ずれの力が働いてしまいます。ワイドタイヤだと特にそうなります。ダブルウィッシュボーンなら、こうはならないわけですけれど、ストラットでは上側のアームが無いので、ダンパーに余計な力がかかってしまう、という話ですね。横方向の力は、ダンパーのスムーズな動きを妨げますし、寿命にも悪影響を与えます。

 163特許は、これに対処するのに、S字型のバネを使うというものです。S字型のバネをまっすぐにして組み付けることで、元に戻ろうとする横向きの力が働き、これでダンパーへの横向きの力を無くする、というわけです。

 問題となった先行技術(実開昭51-146615マイクロフィルム、)は、問題および効果は同じなのですが、まっすぐなバネを(組み付け部を斜めにすることで)S字型によじって組み付けるというものです。力の働き方としては、同じことです(同じことになり得ます)。これが「引用発明1」です。

 で、この公報によると、その終わりの方に、元が湾曲のバネを使うのもありだ、と書いてあるのです。次の通り「なおコイルスプリング3を弾性変形させる手段としては、図示例の他予め自由状態においてばね中心を湾曲させたコイルスプリングを、ばね中心が直線状になるようにして車体4と受皿5に取付けても良い。このようにコイルスプリング3を弾性変形させるのは、外筒2に路面伴侶区による曲げモーメントを打ち消す力を与えるためであるから、この条件が得られるのであれば、コイルスプリング3の上下端は図示例のように傾斜させるず水平にして車体と受皿に取付けても良いものである。」

 ここでは、自由状態において単に「湾曲」としてあって、S字状とは書いてないのですね。なので、そういう内容のものとして、ここが「引用発明2」とされています。

 特許庁は、この実開に基づいて特許を取り消したのですが、そこで採用されたのは、引用発明2における自由状態を引用発明1にしたがってS字状にするのも容易、とのロジックでした。高裁では、これの当否が争われ、請求棄却(特許の取消が維持)となりました。容易、という判断ですね。ここに判決のPDF coil.pdf 、その添付の図面 coil-zu.pdf。ついでに判決文のテキスト: coil.txt(私がOCRしたもの)

1.3 引用発明との共通性

 引用発明1と本件発明は、どちらも、ダンパーへの横力をなくすことが出来る点では同じです。そうした効果の点では、まっすぐなものをS字にして使う引用発明1と、S字のものをまっすぐにして使う本件発明とで、同じです。

 明細書でも判決文でも、結構難しげな説明がされていますが、原理としては次のようなことだと思われます。縦に置いたコイルバネを、両端を方向固定しながら、横に引き延ばすのです(まっすぐ伸ばすのでなくて、横に伸ばす)。そうすると、当然に横方向に戻ろうとする力がかかります。そういう力がかかるようにサスペンションにおいて使う、というのが引用発明でありまた本件発明です。どちらも同じです。

 引用発明1の場合には、両端を斜めに固定する、という形をとります。それで使用時にS字状になります。本件発明の場合は、自由状態でS字状のものを、使用時には両端の方向に力をかけて真っ直ぐにします。

 なおこの関係で、本件発明の場合の真っ直ぐにする仕方が、引用発明1とはもう一寸違うように最初に読んだときには誤解していました。議論の席でも多くの人がそうだったように思います。方向に力がかかるようにするという点では同じことなのですね、そうでなくては真っ直ぐになりません。またそうでなければ、横方向の力が働きません。斜めの方向にただ伸縮する力が働くだけです。

1.4 引用発明1に比べての利点とそれが判示されていない理由

 ご説明を伺って最初に思ったことは、引用発明1と本件発明とで、何が違うのか、という点です。上記のように、どちらも、ダンパーへの横力をなくすことが出来る点では同じです。

 違うのは、使用時の形であるわけで、そのために、本件発明の方が、スプリングとその中に組み込まれるダンパーとの接触を避けやすいという利点があります。この本件発明の利点は、少なくとも判決文では出てきません。本件特許明細書でも、引用発明1を引き合いに出していないために、説明されていません。私は、それが利点なのかな、と気が付いたので、質問してみたところ、その通りで、原告(特許権者)はそういう主張をしていたのだ、とのお話でした。

 確かにそうなのでしょうけれど、それにしては判決文に出ていないので、なんかヘンだな、と思いました。

 その後に考え直してみて、次のようなことかも知れない、と考えています。

 特許庁の決定において、既に、使用時に接触しにくいという利点は認められているのですね。だからこそ、引用発明1に基づく無効ではなくて、引用発明2を基本としての無効(その自由状態を引用発明1にしたがってS字状にするのも容易、とのロジック)となったわけです。このため取消訴訟では、引用発明1に対しての利点は議論にならなかった、と見えてきました。

 理屈ではこれで問題ないですが、このために裁判所においては、本件発明の意義を過小に見た面はあるかも知れません。発明としての意義を考慮する機会が却って減ってしまったかも、ということです。

 とはいえ、この先行の文献を見ると、本件特許が無効というのは仕方がない結論だとは思えます。引用発明2というのがまったく別の文献というならまだしも、これは引用文献1と同じ公報なのです。S字にして使うという引用文献1の公報の、そのもの自体の中で、自由状態で湾曲のものを真っ直ぐにして使うのでも良い、と言っているのです。その「湾曲」のところで明示的に「S字状」とは言っていないものの、善解すればこれはS字のものをさしていると理解するべきでしょう。これで本件特許が維持できるとは思えません。

 それでもドイツでは特許が認められていることの方がむしろ驚きです。こちらでも一審では無効とされたのが、上級審で覆された、その際には間接事実(或いは周辺状況)が重要だった、ということのようですが、その論旨を追って良く検討してみたいと思います。


(07年3月3日追記: 横力のキャンセルについて、こんなページ http://www.honda.co.jp/factbook/auto/fit/200106/11.html をたまたま見かけました。開放状態で斜めスプリング、とのことですが、これは同じことですよね。

(07年10月、さらに追記: 上記のリンク先のホンダのページの関係部分を下に引用しておきます:
ダンパーフリクションの低減
 アッパーアームを持たないストラット式サスペンションは、ダンパーが横力を支えているため、スプリングとダンパーをまっすぐ平行に配置した場合、タイヤストローク時にダンパーがこじりながら動くことになり、フリクションの原因となります。この問題に対応するために、従来はダンパーに対して斜めに配置したオフセットスプリングという構造を採用していましたが、スペースや重量の点で、スモールカーに有利とはいえませんでした。Fitでは、スプリング自身を斜め形状としたサイドフォースキャンセルスプリングを採用し、ダンパーフリクションを大幅に低減。スペースを小さくしながら乗り心地を高めています (以上、上記リンク先のホンダのページから))

2. 著作権の話(TC 2007年1月25日(木))

 Y先生のお話を伺って、近頃の著作権法関係の話題、特に立法の経緯や方向性などについてフォローが出来ました。

 一言だけですが発言させていただいたのは、放送事業者の「特権」についてです。IPマルチキャストでの公衆送信をここでの放送と認めて同様の便宜を与えるか、という話があります。これについて、IP放送での自主製作が当面なされそうにないというのが、立法不要との議論の根拠とされているようなのですね。どうせ自主製作をしそうにないのだから、著作権法での便宜という特権を与える理由に欠ける、という議論のようです。しかしこれにはどうも違和感を覚えました。

 こういう理由で立法の優先順位が下がるというのは分かります。どうせ使われないなら立法の必要性は低い、というのはもっともです。

 しかし、立法の検討の場において、それが“認めない理由”に積極的になるとも思えないです。この「特権」ないし便宜は、放送事業者の利益保護が目的ではないはずです。ならば、電波以外でも放送できるなら(ネットで。ただし、著作権法で定義される「放送」は、無線通信の送信に限られるので (「有線放送」は「有線放送」として定義されている)、この辺の用語は難しい。)、電波の放送だけを特別扱いする理由はないはずです。

 94条などの対象が「放送」(すなわち無線での放送)だけになっていることを敢えて説明するなら、電波が有限であり、それを効率的に利用できるようにするう必要がある、といったことを考えるしかないのでしょう。しかし技術的な現状では、この辺りに大きな変化が生じてきているわけで、説明は破綻しているように思います。

 もう一つ興味深く思ったのは、米国での orphan works をめぐる話。一定の努力をして権利者が分からなかったら、利用をさせる、その後で権利者が出てきたら、法定賠償はなし、差止請求を制限する、という法制で、法案として出されて不成立だったが、未だ検討されているとのこと。

 自分のブログのここに既に書きましたけど、ウェブページで色々参考資料が探せます。これから見てみます。

3. 紙幣鑑別器の件など(TB07年2月13日とB2月19日、掲載は3月6日)

 紙幣鑑別器の件、H18(2006).6.29の知財高裁判決(拒絶の審決の取消請求訴訟、請求認容)です。I裁判官のお話と、S弁理士のお話の両方で取り上げられていました。特許を認める方向の結論で、なるほど良く検討されていると思わされるものです。判決文のテキスト

3.1 先行例との対比

 形としては先行例(実開昭62-51461号)は良く似ているのですね。対象の発明は、紙幣鑑別器の光ビームの扱いに関するもので、表側から当てた光を裏側で導いて違う場所を通って表画へと再び通過させて受光する、という仕組みです。紙幣が搬送されているので、搬送方向に対してこの二ヶ所を別の位置にして、複数ラインを検知対象とします。このように二重に透過させる仕組みにすることで、複数ラインを対象にしても、一組の発光受光素子で済むわけです。

 これに対する先行例は、一見したところでは、極めてよく似ています。紙幣を対象として複数枚が重なっている場合にそれを検知するというもので、紙幣に対して光ビームを当て、それを裏側から戻して再度通過させて受光する、という点はまったく同じです。ただ、再度通過させる趣旨と、二ヶ所の通過の位置関係が違います。

 本件発明が複数ラインで光を通過させようとするのは、両方を検知の対象とすることによって、紙幣を半分切断し残りに白紙を付けた類のニセモノを排除するためです。ですから二ヶ所の通過点は別のラインにある必要があります。これに対して先行例では、光を二重に通過させること自体に意義があるんですね。こちらでは、紙幣が複数枚重なって送られてきたのを検知するので、光を二重に通過させると十分に暗くなるので確実に検知できる、ということです。ですから、先行例では発光受光素子を二組用意することは元々あり得ないわけです。

 こうした内容を考えると、結構違います。でも、現実の形はかなり近いです。これで特許性を認められるのは、内容を良く検討して、趣旨の違いを評価すればこそです。ひと頃の東京高裁および知財高裁は、非常に特許性について厳しいという印象でしたが、少し変わってきたのかも知れません。この事案については、このように細部を評価して、特許性を認めるのは、もちろん望ましいことと思われます。

3.2 先行例について残る疑問点

 ただ、事案についてちょっとだけ引っかかるのは、先行例が同じライン上を二重に通過させるようにしているのは、どうしてなのかな、という点です。そのありようによっては、よりスッキリと本件の特許性を認められるかも知れませんが、逆にこの図面を見直す可能性もゼロではありません。

なお、先行例の図面は、横から見ているので、別ラインになっていると見えないのは確かだけれど、単に横から見た図であって断面図ではないとするなら、別ラインになっていても同じように見えてしまう図なのです。また、クレームでも、同じラインであることを要求しているわけではなくて、この関係で破綻に規定がないというものです。

3.3 何を主引例にするべきか

 この件でもう一つ問題なのは、昭和51年大法廷判決との関係です。発光受光素子を二組使う技術を主引例とする主張については、判断していない、とわざわざ言っているのですね。だったら、特許庁に戻ってもう一度そちらを理由として特許を認めない、とする可能性もあるわけです。実際にはそういうことにはならず、特許は認められた、との話を聞いています。

 こういう問題が起こるのは、いろいろ従来技術がある場合に、どういうものを主引例として考えるべきなのか、という点について、定説がないからなのですね。本件での主引例は、形は確かに近いです。また、明細書が二組使うものは提示した上で、光を戻すのが自分の発明だ、としているので、これに対するものとしては、如何にも適切な先行例です。でも、趣旨が違う訳です。趣旨が違うので、言わば月とスッポンになってしまっています。それでも、この明細書との関係ではこれを持ってくるのはもっともとも思うので、どうするのが適切なのかを準則化するべきなのかも知れません。

4. 超音波振動子の件(B07年2月19日)

(加筆予定)

5. 逆均等の話(T07年2月21日)

(加筆予定)

 ちょうど知財高裁で、3月1日にタキソールの件の判決が出ていますね。

6. レーダー判事のKSR事件解説(B2月27日、掲載は3月6日)

Teleflexの明細書の図面

 CAFCのレーダー判事の講義を聴きました。自明性要件についての色々なご説明の中で、現在、連邦最高裁で検討されているKSR事件(KSR v. Teleflex)についての解説も伺いました(右はTeleflexの明細書の図面)。この件では、CAFCは、特許を自明で無効とした地裁判決を破棄したわけですが、その際には、先行技術を組み合わせることを示唆するものがなかったことが理由とされました。teaching, suggestion or motivation を要求する TSM test、と呼ばれているものです。最高裁がこれを認めないことになることは、当然視されているようです。

6.1 最高裁でどうなるか?

 最高裁がこのケースを取り上げたのは、現状での自明性要求が緩すぎて、余りに詰まらないものでも特許を認める結果となっている、これでは社会的なコストがかかりすぎる(独占を認めるというコストを正当化できるだけの発明ではないものに付いてまで特許を認めている)と、こういう批判があるためだと理解されています。確かに、この事案でのTSMの要求は、余りに硬直的すぎておかしいです。Teleflexの特許は、非常に当たり前の内容です。先行技術として、前後に調節できるアクセルペダルも、信号を電気信号に変換して伝えるアクセルペダルもどちらも既存で、それを兼ね備えていると言うだけの“発明”なのです。これらは、組み合わせたからと言って特別な利点が生じるわけではなく、また当然に組合わせ可能な物です。これで“発明”とは良く言うものだ、という感じです。地裁判決はまったく常識的で、それをCAFCが破棄したのは、……なんなんでしょう?

 それでどうなるのか。最高裁による破棄は当然として、その先です。可能性としては、最高裁が新たな判断基準を示す、などもあり得るわけですが、レーダー判事の予想では、現状を認めないとした上で、新たな基準の設定はCAFCにゆだねられるのではないか、ということでした。なるほどそうかも知れません。

6.2 CAFCでどうなるか?

 ではさらにその先で、CAFCではどうなるのでしょうか。判事のお話では、セカンダリー・コンシダレーションを重視するような、新たな基準が検討されるだろう、ということでした。

 これも、そうかも知れません(なにしろ判事がおっしゃっているのですから)。でも、上記のようなまとめ方で、こうして話の骨子だけを見ると、この話はちょっとヘンです。実際には、もう少し内容が色々と豊富だったので、このように顕わにヘンというわけではなかったのですが、まとめるとヘンではないか、ということです。特許性の基準を厳しくするべきという状況なのに、セカンダリー・コンシダレーションを重視するので良いのでしょうか? セカンダリー・コンシダレーションのファクターというのは、基本的に特許を認める性格のもので、実際の結論としてもそういう方向になるものです。それで置き換えたのでは、最高裁の破棄の趣旨に適いません(って、既に破棄と決め付けていますが)

 質問してみました。

 ご返事は、“検討内容が変わるからやっぱり変わってくるには違いない”といった内容でした。はて? それで回答になるのかしら、と思っていたら、判事ご自身もその様にお考えだったようで、“これで十分な回答にはなっていないのは自分でも分かるが、質問するより回答する方が難しいものなんだ”といった趣旨のご説明が。それはもっともです。でも同時に、かなり的確な質問だったようで、ちょっと自慢。

(2012年4月追記: 今更ですがこのファイルをたまたま読みました。この話、その後に考えたところでは、やはりレーダー判事のおっしゃることはもっともだったと思い直しています。セカンダリーを考えることは、有効とする要素を考えることになるというのはもっともですが、それで良いのだと思うのですよ。というのは、最高裁の言うようにすると、かなり簡単に無効とすることになりかねません。それで、その上で、セカンダリを考慮して、救うべきものは救う、ということになるのだと思うのです。)

 こうしてみると、皮肉に考えた場合には、次のような構図がこれからの数年間〜十数年間において展開されるのかも知れません。特許性の要求を厳しくするべきとの話のはずだったのに、CAFCは、TSMテストをやめただけで(だからこの事案では特許性無しでしょう。実際、余りに酷い)、代わりにセカンダリー・コンシダレーションで特許性をすぐに認めるとのプラクティスになる。それを問題視した最高裁が改めて破棄してより厳しい基準を求める。……なかなか実質的な変化は起こらないもの、というのが私の予想です。

6.3 おまけ

 もう一つ、フィリップス事件について質問しました。懇親会の時に。この話はそちらの方のファイルに書こうと思います(未だ書いてません)。

 それから、このKSR事件のTelefexの特許は本当にくだらないと思うのですが、懇親会でo先生が“米国の裁判例で出てくる特許って、どれもみんなしょうもないのばっかり”と話していたのにとても納得しました。そういう内容だからますます争いになるという面もあるのでしょうが、この特許はもちろん、ヒルトンデービスの特許もPH以外の点では共通する先行技術があったのだから本当にかすかすの「発明」だし、フィリップス事件の特許も感心する点はないですよね。

 o先生の趣旨は、でも私とはちょっと違って、世の中の発明というものはそういう“ちょっとしたもの”ばかりなのだから、特許性についても余り厳しいことを言うべきではない、というところに力点があるようです。しかし。これらは米国においてすら否定意見が多数あるような代物なのであり、これらの特許を許容するようなスタンダードではなくて良いとは思います。もちろん、いたずらに厳しすぎるのはマズイですけど。

7. 意匠権の話(TB07年2月28日)

 I弁護士のレポートで、意匠権のケースのお話を伺いました。

 部分意匠で、これほど詰まらない形の権利を許容して、それをまたこのように侵害を広範囲に認めるというのは、“プロ意匠権”が過ぎます。理解できません。

(加筆予定)

8. 独禁法と知財権行使の関係(TB2007年3月13日)

 H先生から、理想のインクボトル詰め替え商標権事件やキヤノンのインクカートリッジ事件などを題材としつつ、知財事件での被告主張として独禁法違反と言える場合がないか、などのお話を伺いました。

8.1 日本でもパテント・ミスユースを論じられてしかるべき

 この辺の話、私はこれまで、米国とは日本は違うよね、と思ってきました。独禁法的に問題があっても、それを被告の立場で主張するのは、日本ではそれ自体難しい、という認識です。抗弁にもなるとは限らない。

 でも、帰り道で色々考えて、もっと大胆に、米国並みであるべきだとの主張があっても良いのではないか、と考え直しています。

 独禁法違反でも民事は別、とした両建てを求めた事案というのが、むしろ特殊な話のようにも思われます。行政法上の違法と切り離すというのは、特殊にその事案の問題があったから、ということです。その事案では、契約関係を作ってその上で貸借も現にしているわけで、だから単に無効としたのでは却って不都合が生じそうです。

 それに対して特許権の行使が独禁法違反になりそうだというなら、その場合の侵害訴訟は、独禁法違反という違法を裁判所に請求しているわけで、そんなの認められるわけがない、というスタンスもあり得そうです。これをさらに進めれば、クリーンハンドでない特許権者の主張は、裁判所は支援しない、という形での権利行使排斥、すなわちミスユースもあっても良さそうな気がしてきます。

8.2 理想科学の件の疑問: どうしてシールを貼らないの?

 今日の話の中でちょっと指摘させていただきましたが、理想科学の事案は、被告はなんでボトルの名前をシールで消すとかしなかったんでしょうかね?

 また、こうして高裁で敗訴した後でも、リサイクル業者はシールで隠しさえすれば、同様の事業をまた実行することが許されるのでしょうか。それが出来るなら、あんまり意味の無い訴訟で、結論もどっちでもいい、という気もします。

8.3 クレームドラフティングの重要性

 キヤノンのインクタンクの件の関係で、田村先生が“クレームドラフティングの微妙なところだけで、こう言うのを侵害にしてしまうのはいかがなものか”といった趣旨のことをNBLにお書きになっています。

 これについてN先生が、クレームの要件でこそ侵害の成否などは決まるもので、それこそが発明内容なのに、それを一般的に否定するかのようで不当な議論だ、といったご趣旨のコメントをなさいました。

 クレームについての一般的な話としては、これはN先生のおっしゃる通りです。ただそれは、先行技術との区別や侵害の成否をクレーム要件によって決するという話で、ここで田村先生のご指摘の話とは違うはずです。この発明は、タンクの構造を内容としていると理解されるのに、クレーム中で「インク」を要素として規定していて、それがために消尽でないとされたのですね、本件では。しかし、このドラフティングは、いかにも姑息で、本来はタンク構造の発明なのに「インク」を要素と書くだけで消尽しなくなると言うのはヘンだ、というのはその通りと思うのです。その旨の指摘なのですね、田村先生の言うのは。

 それで、これはもっともな話だと思われるのですが、ちょっと一般的に言い過ぎている面はあるかも知れないです。その意味では、N先生のおっしゃるのももっともと思いました。

 ただ、一般的な話についても、均等侵害など、クレームの既述一辺倒ではないところもあるわけで、そういうあたりについては、まあ議論の余地があるというか、N先生と田村先生との間では多少の違いがあるのかな、とも思います。

8.4 ビジネスモデルとして不可なのか?

 キヤノンのインクカートリッジについて特に思うことですが(他のは事情がよく分からないところもあるので)、結局の問題は、インクで回収するというビジネスモデルを許すのかどうか、ということのように思います。それをそもそも許さないというなら、特許権行使の体裁をとっていても独禁法違反だ、というのはとてもよく分かります。

 しかし、そこまで一般的に言うのは難しいのではないでしょうか。その手の商売は、余りにも一般的にあることですし(携帯電話とか、かなり極端です)。そうすると、どういう場合が違法になるのか、なんとも難しいです。

 インクの場面だけに注目すると、確かにいかにも不当なのですが、プリンタを買うときからそこは承知で買っているはずなのですね。……いや、そうでもないか、その辺りの程度問題が重要なのかも知れません。

 ちょうど本年2月には、コダックが“交換用インクが安価”を売り物にしたプリンタを発売しています。IT mediaの記事。こういう競争が一般化すれば、ますます、ビジネスモデルを込みで選択していると言うことになって、問題性は減ると思われます。

 もっとも、この話は逆にも言えるのかな? これまで、この手の競争は余り見られなかったようですから、消費者としては選択の余地がなかったのかも知れません。そうすると、ちょっと不当という方向に働きそうでもあります。また、この手の競争が活発になれば、他社もそう酷く高いインクを売り続けるのは難しくなるとも思われ、そうなればこそ、問題性が減るのかも知れません。

8.5 オフィスは違法な抱き合わせ販売か?

 N先生から、ワードの単体が入手困難で、セットになったオフィスばっかり売っている、これは“違法な抱き合わせ販売”ではないか、という話が出たのに対して、私が“単体もあるけどセットの方が有利な値段になっているだけでは? ”と申し上げたところ、それが誰も単体を買わないほどおかしくなっているからダメだというのが常識だ、といった趣旨のコメントをいただきました。

 私がその時に思ったのは、かなりセットに有利な値段となっている場合ですら、単体でも買えるのなら、なかなか問題視はしにくいのでは、ということです。仮にセットが1万5000円で単体が1万4000円でも。だって、作るコストは殆ど変わらないのですから(開発コストではなくて、その複製物を作るコストに関しては、スタンプの費用もパッケージの費用も同一で、しかも近頃は取説書も入っていないので、まるで違いがないはず)

 相変わらずその様には思うのですが、さっき確かめてみたら、そもそも、それ程には値段の問題も酷くはないようです。アマゾンの該当頁を見ると、ちゃんとワード単体もあり、値段も、ワード単体やエクセル単体が2万6080円(税込み)であるのに対して、両方をセットにしてオマケとしてアウトルックが付いた Office Personal が4万円とちょっと。単体で買うのが禁止的というほどのセット有利な値段ではなく、問題視は当たらないのではないか、と思いました。

 ただ、2007バージョンの場合、名前がちょっと奇妙で、ワード単体は「Microsoft Office Word 2007」なんですね。2003までは「Microsoft Word 2003」だったのに。(3月14日追記: よく見たら、2003でも既に Office と入ってますね。以前は違ったと思うのですけど。ページによっては入ってない表示のところもあります、今見ても。いつからなのか、未だ確認できていません。) ここにどうして「Office」と入るのだろうか、というのは疑問です。でもなんにしても、もしかするとN先生のご指摘は、この名称のせいで混乱してたことが原因だったのかも、という気もしてきました。

 抱き合わせ云々よりも、そもそも高価すぎることこそが問題、という気もします。OpenOffice.orgで普通は足りそうです、これなら無料です。まあ私なんて、エディタ(WZ)ですべてやっていますけど。

8.6 消費者法制的には……(2007年4月25日加筆を始めたんだけど……)

9. 米国の自明性基準

 o先生に米国の自明性の判断の裁判例などについてお話を伺いました。

 

 効果を言うについてだが、或る実施例の効果として書くのが、ドイツには余り通用しないらしい。

 商業的成功についての受け止めが、日本の裁判官と米国とでは大きく違うだろう、という話が受けていた。

 unexpected result

 だからといって目的として違うように言うのは、一つの特許の中では不適切なのだろう。

 薬剤で、目的が違うなら別の発明として扱われるのが、日本や欧州か。米国は構成が重視、とも思える。T先生はそういう強調の仕方だった。

 In re Soni, CAFC 54 F.3d 746 は、分子量を15万以上に限定するだけ。それでもCAFCでは、unexpected result の一応の証明が出ているとされて、PTOに戻った。特許の権利期間の実際的な延長をもくろんだ話なのか。

 secondary consideration 、検討の時間的順序として2番目、という意味。というけれど。

 効果主張の後出し。ぶつけられた引例との関係での話なので、明細書に書いて無くても仕方がないはず、とのご指摘ですが、その限りではもっともな面はあります。でも、抽象的にでも書いてある必要はあるというのももっともな話です。

 ドイツでも、この“後から効果主張をして良いのか”については、元々は両論があるとのこと。判例で、発明の性質が変わらなければデータの後出しも出来るとされた。数値限定とかでなければ、構成で定義が出来ているのであり、データの後出しが出来る、ということ。ただ、どこまで後出しできるのかの争いが生じて、予見可能性がそれで損なわれる可能性も感じるとの話。

 認識していなかったからダメ、というのも、それ程に理論付けされていない、というご指摘も出ていました。もっともと感じます。認識限度論というのは、全否定も出来かねるとはいえ、利用発明とかを考えると基本的にはヘンだと思っています。

 A先生がコメントしていましたが、実施可能要件と、進歩性判断で、当業者が違っているではないか、という批判もあるんですね。

10. 数値限定発明の特許性(TB6月27日)

 数値限定発明の特許性を扱った近頃のケースについてお話を伺いました。数値限定を議論しているケースというのは、事案的に無理があるものが多くて、……という感じもしました。

 あらためて次のように思いました。たまたま数値で限定しているにしても、従前知られていたものとは質的にぜんぜん違うような結果を出しているものであれば、それは特許性を認められ得るのは当然です。私が評釈を書いたケースは(こちらの件です)、従前知られていたものは添加物としてパーセント水準を入れたものだけだったのに対して、本件発明ではほぼ同量を混ぜるというもので、数値の違いであるといえばそうも言えますが、随分と違うものなのですね。こういうのだったら、それで実際に効果が出ているのであれば、特許性があり得ます。先行例との違いは数値だけであるとはいえ、これは、まあ、ぜんぜん違うものなんです。従来に無いものを作ってるわけです。

 これに対して、従来から知られていたのと同質的なものであるに過ぎず、ただ、それが特に良いところが数字のどこのところなのかということを見出しただけ、という場合の特許性は、大いに疑問です。

 そういうものでも、どの数字から有用性が高まるのかを開示すると、そういう臨界値は新たな知見の性質があるがために、なにか特許性があるかのような議論が出来る場合というのもありますね。でも、そういうところをぎりぎり争ったケースで、最終的に特許性を認めたものは見当たらないようです。せいぜい、今回の話で取り上げていただいた中の片方、すなわち平成18年3月1日の東京高裁のものくらいのようです。でもこの件も、問題とした数値のファクターに着目するという考え自体が、従前は良くは知られていなかったようにも見えます。

 この関係でK先生から、いややっぱり臨界値というのは、次のように考えれば意味があり得る、とのお話を伺いました。すなわち: たとえば不純物をより減らせばベターであるにしても、それにはコストがかかるので、どこまでやれば良いのか分かれば工業的生産的のための情報としては価値がある、とのご指摘です。そういう類の話もあながち考えていなかったわけでもないのですが(ちょっと言い訳)、この件での特許性について積極的に論証しようとする議論として、かなり新鮮に説得力があるものに聞こえました。

 でも結局、この議論で、よくある数値限定のクレームについて特許性を支えるのには、かなり無理があると思います。その臨界値の数値に工業的な意義があるのだとすれば、そういう生産方法のクレームにするべきです。単に出来たものについて限定をしているだけのクレームでは、不適切です。そういうクレームでは、その臨界値のデータを利用しているわけではない従前の品物も運が悪ければ該当してしまうわけで、これじゃダメでしょう、というのが私の思うところです。

11. KSR事件(B7月6日)

 KSR事件について、T先生の解説を伺いました。

11.1 硬直的なTSMテストが否定されたのは明白だが、どれだけ変わるかは疑問

 まず、本筋の非自明性要件について。

 この最高裁判決によって、“この事件でCAFCの実行したようなTSMテスト”が否定されたことは明白です。事案を見ると、これは確かにいかにも無効になるべき特許なのですね。審査過程においては、引例との違いとして、位置調整の仕方が違うことをあげていたところ、侵害訴訟において被告が提起したアサノ特許では、この点で正にぴったりなわけです。これだったら、いかにアサノ特許が単に機械式のものを開示していただけのものであるにしても、審査過程での電気式への変更傾向の議論と合わせて考えれば、この特許は無効と考えて当然の話のように思います。

 それでもCAFCは、地裁判決を取り消したわけですが、ここでのTSMテストは、先行例においてその様な組み合わせを積極的に示唆していることまでを要求しているように見えます。これはいかにも過剰な要求と思います。

 それで本件の最判ではこれを否定しました。これは大変にもっともです。でも、TSMテスト自体は否定しませんでした。これももっともではあるのだと思います、つまり、CAFCの多くの先例でも、このテスト自体がいけないわけではなくて、妙に硬直的な適用をする例がまずいだけなのです。実際、CAFCのケースでもいろいろなものがあり、その一部? or 多く? は妥当なようにも思います。

 しかし、こういう意味で大変にもっともな最判ではあるのですが、CAFCの裁判官に対するインパクトとしては、弱くなりすぎている可能性があるようです。つまり、問題のある硬直的すぎる適用をしている人を含めて、“自分のは問題無いのだ”と受け止めているフシがあるようです。

 そうすると、本件判決の、普通に考えれば明白なメッセージにもかかわらず、今後もかなり硬直的すぎる運用は継続し、数年後にまた同様の最判が登場する、……ということになるのでしょうか。

11.2 サマリー・ジャッジメントで判断すべき、との点は明白

 却って、手続的な話の方が直接的なインパクトが明らかなのかも知れない、と思い直しました。サマリー・ジャッジメントでの特許無効の判断をどういうレベルでするか、という話です。

 この点は最判では末尾近くに少し書かれているだけですが、本件が元々サマリー・ジャッジメントの事案であることの意義についての話です。サマリー・ジャッジメントであるために、証拠評価をしない、というか、特許権者にどのように有利に評価してもそれでも無効だ、という場合に初めて申立を認容して請求棄却(特許無効で)とするわけです。高裁(CAFC)としても、地裁の結論がそういう判断基準で正しいかどうかを見ることになります。

 ですが、サマリー・ジャッジメントとはいえ、本件の争点は、ほとんど専ら評価的なところなのですね。事実として、先行技術が本当に公知になっていたかどうか、などの点が争われているわけではありません。アサノ特許などを考慮することは決まっていて、その上で結局のところ自明で特許無効なのかどうか、賀争われているものです。この場合は、サマリー・ジャッジメントだからといって申立人側に厳しくなるべきものではありません。

 本件最判は、この点をクリアに指摘しています。

 もっとも(……というべきか微妙ですが)、T先生のご指摘で改めて考えましたが、本件のような場合でも、事実問題を考えることは出来るはずですね。コモンセンスの内容、とかです。でも本件最判は、そういうのをたとえ考えに入れても、こうしたケースでの結論はサマリー・ジャッジメントであっても法律問題であって果敢に判断すべし、としているように理解されます。そう思うと、意義のある点なのではないでしょうか。

12. 著作権侵害の主体の問題と幇助者の扱いなど(TB7月10日)

 著作権侵害について、T先生のお話を伺いました。カラオケの差止の話が多くを占めるのですが、“カラオケなどの議論を……”とまとめると、お叱りを受けてしまいそうです。「カラオケ法理」と呼ぶことに対する批判を伺いましたから。

 なお、この話は、一昨年のこの話と共通の話題ですが、でも視点が結構違いますね。

12.1 幇助の差止の可能性

 本筋の話は、著作権侵害の幇助も、違法とされる限りは差止の対象となってよいではないか、という観点です。私はこの件に関してはドグマティックな理解に馴染んでいるので、独占権に抵触して初めて差止請求権が生じる、とどうしても考えたくなるんですが、近頃は段々と、そう頭かたく考えなくても良いのかな、とも思いなおしています。基本は独占権と差止請求権が対応するにしても、たとえば特許侵害についても予防の請求もできるわけですよね、条文上も。

 それでお話のあったケースの流れとしては、以前はこういう正面切っての話はとても無理で、クラブキャップアイのケースでは主体が誰なのかというところで、解決を図った、これはちょっと迂回的な解決で、段々そうではない形のものも出てきた、と言うかそうではない形をとるしかない類型が出てきた、と、こんな理解をしました。ファイルローグのケースやよりどりみどりのケースなど、いろいろとご説明をいただきました。

 ちょっと発言させていただいたのは、人格権侵害について掲示板主催者を主体として被告にするのは、著作権の場合に比べればずっとストレートな話なんじゃないかな、ということです。つまり、著作権侵害だと支分権がそれぞれ規定されているので、それの侵害だという必要があるところ、本来的には掲示板主催者自体がそうした支分権の侵害主体だと言うのは、極めて難しいはずです。この当てはめ自体について、同視できるというのには、かなり深く関与しているという特殊な事情を持ってこないと行けないと思います。たとえば、何年にもわたって無視していて、わざとやってるというべき状況です。これに対して人格権侵害の話は、掲示板に出ていること自体が侵害となる話なのだと思います。ですから掲示板主催者が主体だというのは、これはかなりストレートな話です。しかし、もちろん侵害に当たるような問題のある内容を出しているのは発言者の方なので、発言があった瞬間に主催者の方にも義務違反があるというのは無理です。でも、元々が掲示板に出ていることが侵害に当たるという構図というのは、やっぱり著作権侵害の場合とちょっと違うのだと、こんなふうに思いました。

12.2 カラオケのは、演奏権の処置の問題もあったはず

 だいぶ忘れていて、またそもそも詳しくないのでこの点については何も申し上げませんでしたけれど、そういえば、このカラオケの関係の問題では、演奏だけだったら許されるということが背景としてあったはずですよね。

 この点は、一昨年のときにも、勉強しなくては、と書いただけで勉強しないでいたのが問題です。……困ったものですねぇ。

12.3 ファイルローグ事件とシステム特許

 懇親会の時にF先生とお話をして、その後で考えたことがあります。今回の話は、特許の関係ではどうなるのかな、といった話をしてたんですが、物の特許では、該当する物が出てくれば、関与者が複数いても、そのどの人も完全に侵害行為に該当することになるので、余り深刻な問題が生じないのではないか、方法では問題なんだけれども、これは事例としてはそれ程は多くない、といったことを私の方からは申し上げました。F先生から、システムの特許が問題、というコメントをいただきました。まったくそのとおりです。私もそういう話を理解していないではないのですが、昨日の話の時にはど忘れしてました、お恥ずかしい。

 で、その後ちょっと思ったんですが、システムの特許の場合と、ファイルローグのケースとは、相当良く似通ってますね。それぞれのPCとサーバーとが組み合わさったものが、自動送信装置に該当するのだという認定をすることで、対処したわけですが、このような自動送信装置というのは実はシステムの特許の場合の「システム」として良くある例とソックリです。

 それでシステムの特許の場合には、システムを構成する各装置がバラバラに管理されているところを難点と考えているわけで、そう思うと、ファイルローグのケースは、この点に関して問題を残しているのではないかと思われてきました。良く読み直してみる必要がありますね。

12.4 修習生の就職の話

 以上のような話からは完全に余談ですけれど、近頃はロースクールの関係で新しく弁護士になる人が多くて、その就職に関して問題が深刻なようですね。既存の弁護士人口に比べて、その割合として随分多くの人が新たに弁護士になるわけですから、難しいのは当然です。弁護士人口の総人口が多ければ、すなわち既存の法律事務所が多ければ、問題は少なくなるでしょうけれど、現在の、急激に増えているというところが退所が困難です。無理のある制度設計をしているものだと、以前から私も思っていました。

 昨晩の話題では、なんでも、ロースクールにいる間から(まだその先に司法試験と修習生があるというのに)、既に就職活動がなされていて、内定をとったとか云々が話題にされているとか。それは、いくらなんでも気が早すぎるのではないかと私は思います。

 それでも実際に就職口が見付けられない修習生も出現しつつあるように言われているようであり、また、新卒弁護士の待遇(の下限)が、随分と悪くなっているようにも聞きました。

13. ポスト・セール・コンフュージョン(H8月24日)

 北大で、特許権の地理的限界についての話をさせていただくと共に、o先生のレポートを拝聴しました。ポスト・セール・コンフュージョン(以下「事後混同」)についてです。

 見かけが似ているニセモノを販売すると、直接の購入者は誤解していなくても、その後に使っているところを見た第三者が誤解する可能性もある、これも一種の混同であり、保護の対象たり得る、……といったお話で、米国におけるフェラーリのケースとか伺いました。

 で思ったのですが、事後混同も考慮に値するとしても、不競法の要件の「混同」としての話と、商標法での話とは、もうちょっと違って良いのではないですかねえ? 不競法の方では、この類の話は、ダイリューションの問題とすれば足りるように思えます。商標法の方では、そもそもは混同の要件はないのですから、事後混同だけでも十分、というのはもっともです。

14. 進歩性要件と課題の同一性(B10月22日)

 H先生のレポートで、「課題」の同一性に着目しての進歩性についての議論についてのお話を伺いました。ヨーロッパではこの点についての議論がかなりリジットで、進歩性を肯定するについて重要な要素となるようです。それに比べて日本の裁判例では、課題についての議論が意義のある働きをすることはほとんどなくて、先行技術を組み合わせることが自由に認めらるように理解されます。それで進歩性が否定される、という印象を改めて受けました。

14.1 炭素膜のビンの事案

 ご紹介いただいた日本での裁判での一つは、炭素膜コーティング瓶のケースです(東京高判・平成13年11月1日、平成12年(行ケ)第238号、6民)。判決文によると、引例1は酸化ケイ素被膜の瓶で、その膜のバリア性により瓶の改良をするのは同様なのだけれど、本件のようなリターナブル瓶を作ろうというものではないのだそうなんですね。リターナブル瓶だと、内容物が吸着されているとまずいわけですが(におい移りとかするから)、膜の存在によってこれが防がれてリターナブルに使えるというわけです。でも、これは結局は、その膜のバリア性によっているには違いなくて、ビンとしてこれらの間に大した違いがあるとは思えません。これを“課題が違うから”特許性を認めるという話には、ちょっとなりそうにないと思います。

 しかもこの事案は、事案としてはさらにいかにも特許性は認められそうにないのですね。二酸化ケイ素のコーティングの先行例があっても、炭素膜のビンを作れば、私は、それに特許が認められる可能性はあって良いとは思うのです。それは、上記のような「課題」の話とは無関係に、新たに炭素膜コーティングのビンを作り出すことには確かに意義があり得ると思われるからです。でも本件では、引例2が有力なのですね、これが。引例2では、炭素膜コーティングのプラスチック製のビーカーとかがあるんですね。瓶ではないのでこちらは引例2なんですけれど、ここまでのものがあるという状況では、ちょっと特許有効とはならないでしょう。

 もっとも、H先生のご趣旨は、この事案の特許性(結論の正しさ)の検討にあるのではなくて、先行例が「課題」について違ってもかまわないというハッキリした判示をしている点を検討したい、という点にある、とのことでした。しかしそれでも。課題の相異を問題としないというのは、やはりこの事案のこういう形での課題の相異についての話だと言わざるを得ないと思うんですね。言い直せば、この事案の課題の相異を問題としないというのは、それはもっともな話だと思うのです。リターナブルといっても、それはビンの内側表面のバリア性に尽きていると思うのです、ものとしては。むしろ逆に、溶解してのリサイクルを想定してそれに支障を来たさないコーティングをするのだ、とか言う話だったら、相異がでてくると思うのです。が、むしろ、溶解リサイクルは、先行例の方での話なんですね、趣旨としては。

14.2 欧州では

 ヨーロッパでは、「課題」についての議論が、もっと重要視されるようです。それはそうのようですが、でもそれ以上に、議論している「課題」の意味が違うというような感じもしました。T 0177/01(11/September/2003) というケースをご説明いただきましたが、そこでの議論は、特許権者の議論が「課題」を抽象的に言っていて(不純物を残さない、というのが課題だという)、無効を主張する方が具体的に言っているように見えるのです(別の混合プロセスで上手くやるのが課題とする)。先行例から本件発明に達するための動機を問題としている話のようにも見えました。でも、特許権者のここでの議論も、必ずしも抽象的なわけではなくて、並列的なんだ(違う課題の観点、ということ)、というご説明があり、そうなのかも知れませんが、よく分からないところが残りました。

 この話の関係では、研究会の場ではどうもうまくご指摘できなかったのですが、先行例との相違点について、必ずしもクレーム要件に基づかない議論をしているように見えました。この点、いかにも欧州流のやり方なのかな、と言う感じがしました。

 また、K先生からご指摘があったように、欧州の裁判例として取り上げていただいた2件が、いずれも化学関係なのですね。これだと、ちょっと違えば予見できない、という議論がしやすいので、状況として相異があると言われそうです。少なくとも、画面表示やらの日本の事例と比較して示されても、インパクトが弱いです。いくら「課題」についての議論の仕方を見る、といっても、やはり事案におけるものとなることから逃れられないと思うのです。

15. 著作権侵害とパロディ(TB11月13日)

 F先生のレポートで、パロディのお話を伺いました。(11月23日記)

15.1 パロディの認められるべきこと

 オープニングは、ドラえもん最終話、のご紹介。このストーリー、ストーリーとしては知っていたのですが、漫画になっているのを見たのは初めてでした。いやあ、良くできています。その後、ネットで探して熟読しました。F先生もご指摘のように、これがのび太かというと問題がありますが、でも、良い話です。

 こういうのは、確かにドラえもんの著作を利用したものではありますが、世に出ることが出来るべきもの、許されて然るべきもの、だと改めて思います。まあ、著作者の許諾を得ようとすれば可能だったもののような感じもしますが。

 米国ではプリティウーマンの最高裁判決がなかなか良いことを言っているということを教えていただきました。パロディだからフェアとなるわけではなくても、パロディであるなら大きな範囲で元の作品を利用してもそれが正当化されうる、といった判示をしているようです。また、原著作の評判を落とすようなパロディであってもそれを禁ずるのは著作権の趣旨ではない、といったロジックも展開されているようです。そのうちに読んでおかなくては。

 これに比べて(というわけでも必ずしもないのかも知れませんが)、日本の判例はパロディに極めて冷たいことを、例の雪山写真のケースなどを見ながら改めて思いました。

15.2 そもそも著作権の権利範囲が広すぎる

 私が他に思ったのは、パロディという類型に該当するもの以外でも、もっと一般的に、そのまま複製する形態以外の著作権侵害を広汎に侵害と認めすぎているのではないか、ということです。創作性のハードルが低いのだから、それに応じた範囲を考えるべき話です。現状の著作権は、その権利範囲について強力過ぎなのではないか? しかも、特許は争われているようなケースではなんでも無効になってしまうくらいなのに、審査がそもそもない著作権についてこうなのは、なんともバランスを欠いているのではないか、という観点でもあります。

 この関係では、雪月花の事件を御教示いただきました。読んでみると(改めて、なのかどうか、すっかり忘れています)、この論旨および結論は極めてもっともです。しかし逆に、こういうものですらこれほど議論する必要があるほどに、一般的には侵害を認めているものなのか、とも思いました。

 たとえば、翻案という形で、ライセンスおよびロイヤリティ支払いの対象となり得る範囲というのは、それなりに広くても良いとは思うのです。でもそれが著作権の権利範囲と同じである必然性はないと思います。

 ライセンスありとするのは、興行的にその方が有利な場合にやれば良く、そうでなくても権利侵害とはならない、という範囲を考えるべきではないでしょうか?

16. 進歩性認定における周知技術(B11月27日、upは12月23日)

 T先生のリポートで、周知技術の問題を扱っている裁判例のご紹介をいただきました。知財高裁が、特許を有効とする方向で審決を取り消している3件の判決です。

 これら3件は、基本的には手続的な問題で審決を取り消している(結論的に維持されるべきかどうかは未だ不明で、特許庁に戻った後でさらに検討されるべきもの、ということ)と理解されます。特に、2件目(GE)はそうです。どちらかというと、無効の結論自体はもっともと思われる話です。でも、先行技術を摘示するのは難しいようにも見られ、そうなると、結局は結論的にも特許性を認めることにもなってしまう可能性もあるようにも思います。さらには、他のケースも含めて、当初は手続的な問題だけだと見えた話も、実体的にもそういう方向に少しは向いていくのかな(その方がよいように思うのですが)、などとも考えます。

16.1 ミサワのケース

 1件目のミサワ(平成19年7月19日判決、コピーpdf)は、発明は、ユニット構造住宅での天井収納や床下収納を、高さのずれた隣の部屋からアクセスできるようにする、という内容です。隣室から、というところに妙味があるように見えます。

 判決文によると、審決が根拠とした刊行物は、スキップフロアのユニット住宅を内容とするものです。それだけでは、肝腎の工夫がないわけで、無効には出来ない、すなわちこの審決の結論は支持できない、と思います。

 でも、乙4が近いように見えるのですが。乙4は、ユニット構造ではありませんが、隣の部屋から取り出す床下収納です。これを主引例とするなら、本件の特許性が否定されることもありそうにも思えます。

 しかし判決では、乙4を中心とした場合でも、構造との絡みでやはり特許性は維持される旨が説明されています。相互関連で異議が出てくるもので、そのへんが当たり前ではないとの趣旨の説明です。でも、特許庁の方では、この点について裁判所が論じているようなことを審決書において検討も説明もしていないわけですね。そこに難点があるだけのようにも思いました。

 なお、この事案は、訂正審判請求を独立特許要件違反で認めなかった審決を取り消した判決です。そういう意味で、特許性の点で、否定的な特許庁の審決に対して、裁判所は肯定的な方向です。どういう事情で訂正審判請求したのか分かりませんが、考えてみると、こういう特許庁の判断は珍しいのではないでしょうか。相手方の無い訂正審判ですから、従前既に認められていた特許なのに、実際に独立特許要件違反とされるのは珍しい話のように思います。もっとも、こういう訂正審判を求めるについては無効主張者が居たなどの背景があるのでしょうし、それもあってその相手から主張された先行例をミサワが自分で出したりしたのかも知れないですね。

16.2 GEのケース

 2件目のGE(平成19年4月26日、pdf)は、いわゆるビジネスモデル特許で、肝腎の内容だと主張されている点が、なんとも当たり前です。

 それでも、肝心の点をちゃんと先行技術で摘示してない審決だとして、取り消されてしまいました。事案としては、無効でよい話なのだと思いますが(高裁自身もその様に考えているのではないか)、確かに肝心の点が証拠無しではマズイとはいわれそうです。

 でも、こういうビジネスの先行例を実際に見付けるのは難しそうです。そういうことを考えると、この先どうなるか、難しいかも知れません。

16.3 セパレータのケース

 3件目はバッテリーのセパレータに関するもの(平成19年9月12日、pdf)。「しかし,セパレータとしてカーボングラファイト製のものが周知慣用であり,作業性に関する課題が「金属製」のものと共通であるとしても,引用発明が射出成形手段を前提とするものである以上,引用発明におけるセパレータをカーボングラファイトに代えることには,次のとおり阻害要因があったというべきである。」として、無効審決を取り消した判決です。

 この件では、刊行物1は「金属セパレータの所定位置表面に液状シリコーン樹脂を...射出成形」してつくるもので、この先行技術に加えて「カーボングラファイト製のものが周知慣用」を考える、として特許性を否定したのが審決だったのです。しかし、いくらグラファイト製も知られていたにしても、シーリングを本件のように付けたものがあったわけではなく、しかも、刊行物1の射出成形とは違ってゴムを付着させるという内容なのですから、このロジックは無理があります。本体の材質も付けたものの材質もどちらも違うのですから、それぞれが他の形で普通のものだといってもそれだけで否定するのはマズイです。

16.4 周知のための証拠は、普通より多いの、それとも無くても良いの?

 当初は、周知といえるためには、証拠が沢山いるのではないか、という話だったのです。単に公知というだけなら一つて足りるところが、周知というためには山程の先行例の証拠が必要ではないか、ということです。

 でも実際には、むしろ、周知ということで、しっかりと先行例の証拠を示していないという審決等が問題となっているわけですね。それで良いというわけでも、必ずしもないようなんですが。なんかこのあたりで、当初に考えていた話と違うことを問題としているようで、必ずしもすっきりとしないところが残りました。

 先行例を必ずしも摘示しないで周知として良い場合というのもあるとは思うのですが、それは典型的には、言葉の言い換えの類だと思います。つまり、クレームには、ブレークダウンして書いてあるところ、先行例の中ではそれを意味する技術用語一つで表現されている、……というような場合に、これの意味内容はクレームに書いてあるところと同じだということを、それは周知だと言って認定してしまう。これは許されることだと思います。

 もう一つあり得るのは、単に先行技術ではなくて周知技術ということによって、特徴ある先行技術と組み合わせるのも当然に容易、ということになるのだと思います。

17. 米国の話いろいろ(M12月6日、upは12月23日)

 H先生の、米国の近頃の話題いろいろ、の講義を伺いました。

 米国の特許庁というのがつまらない仕事で人材確保も難しいという話を強調なさっておいででした。ご趣旨としては、これと先日の新規則の仮差止(無効の可能性での)とが直結されてはいなかったようですが、ここは関連しているものだと理解しています。

 確かに、日本での行政庁の権限は、明示的に法律から授権されているものもかなり多くて、政策的な判断を行うことも当然のように考えているフシがあります。まずこの点で米国憲法下の仕組みとは大きく相異していると思います。それに加えて、日本では行政庁が相当に政策的な考えを有するのが当然とされていて、官僚の方からそういうことも出てくる、それがこれまでの役所の仕事の面白いところだったのだと思います。

 これは米国だと考えられない仕組みだと思われます。ただ、実は日本の憲法は米国の制度と同じようなつもりで起草されていますから、こういう相異は日本の現状が日本国憲法に違反しているとの議論になる話のようにも思います。

 近頃の米国判例の話としては、MedImmune事件(確認訴訟の可能性)と、マーキングの話に注意させられました。

 またその後の話で、セガのケースが話題に出ました。early re-entry での計算の話などです。あれは、特許期間がもうすぐ切れる時期だった関係での、無理矢理な議論なのですね。私の方から、技術内容の概説などをしました。


http://homepage3.nifty.com/nmat/kenkyu-m07.htm

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