Last Modified: 2010年2月12日(金)14時51分52秒

研究会のメモ、2008年

By 松本 直樹

  4年前のときの冒頭と同じことを書いておきます(3年前一昨年昨年もそうでした)。「私が出席した研究会で、私が後から思ったことをメモしておきます。レポーターの話は必ずしも書きませんし、また書いた場合でもそれはレポーターの著作権? に属する話なので、副次的な範囲に留めます。そういうこともあって、また私が誤解している可能性もあるので、レポーター名や他の発言者のお名前は、イニシャルだけにしておきます。」

  ご意見などご連絡はメールでホームページの末尾にあるアドレスまでお願いします。上記のように、他の方にご迷惑の及ぶことの無いように考慮している積もりですが、たとえイニシャルだけでも出しては困るとか、そんなことは言っていないとか、むしろ実名にしてくれとか、ご要望がありましたら何でもご連絡ください。可能な限り従います。

 リンク: 2007年のメモ  2009年のメモ

  1. 中山先生最終講義(08年1月22日)

 財産的な情報を対象とするのが知的財産法。それとして、独自の体系を求めてきた。

 ……と言ったお話で、ちゃんとメモを書こうと思っていたのですが、ネットにいろいろ出ているので、やめておきます。

 2. 技術分野の相異と進歩性

 3. 特許侵害訴訟の要件事実(B08年1月25日)

 T先生のレポートで、近頃の要件事実論にそった形での侵害訴訟に対する考察、そこからくる無効論の扱い方、についてのレポートを伺いました。

 この関係は、私も興味を持っていて、特許事件と要件事実論 という文章を書いてまして、T先生もこれをご覧になっているとのこと。そういうこともあって、今回の研究会にお邪魔させていただきました。それで、基本的な構造についての理解は、私はかなり近いので、代弁したりしました。でも、特許で保護されるべきは何か、といった話については、ちょっと違うなあ。私はクレーム自体が保護される範囲である、というのがかなり本質的であろうと思うのです。それ以外に、抽象的に“思想”を想定できるかというと、それでコンセンサスを得るのは難しいと思うのですね。

 一番議論されていたのは、被告の方が近くて、それが侵害となるのは間違いなく、公知例はちょっと離れているがそこまでカバーしてしまうクレームという現状、でも訂正で侵害ありで有効と出来るかも知れない、……という問題状況をどう処置するのかの話。

 そういう処置をして後から再審ではいけないというO先生。再審を封じようとする高裁の現状の指摘、T先生。

 評価根拠事実、評価障碍事実。公知事実で狭く解するというときが、障碍事実の典型。……といった話がありました。公知技術の抗弁や、それでもって均等を否定するときは良いですけど(第4要件の話)、解釈においては範囲の話だとすると、ちょっと違和感がありますね、この話には。その場合は、先行技術はその物を認定する必要のない、正に間接事実なのだと思います。

 クレーム解釈の根拠となるような、明細書の中身の指摘も、それが評価根拠事実になるので、弁論主義の対象となる、という指摘もありました。そこを直接認定する必要があるなら(決着が必要なら)、そういう話もあり得ないではありません。でも、一般的にはやや疑問です。

 「容器」、密閉されていたら違うという主張はどうするか。ステンレスのものを含まないという議論はどうか。被告のものがアルミなら、アルミのものが範囲内になるかどうかだけを審理する。無関係なステンレスをどうするかまで解決する必要は無い。それは傍論。しかしそこも決めるべきという議論もされる。

 なお、過失の話について、間接反証とかにつながる話は、過失自体を事実としていたところからであり、ちょっとご説明とは違うような気がしました。話の接続がねじれている点がありました。

 以下、項目だけ並べておきます:

 ・機能的クレームは、最初からクレーム自体が機能的であるのに、それを障碍と扱うのか、というO先生のコメント。

 ・訂正で対処できるというのは、抗弁等としても意味がない、との見解。

 ・公知技術の抗弁がたつときだけ、104条の3の抗弁も認める、との両T先生説。訂正の可能性での処置を、ゆるゆると認めるとの話。

 ・M先生がまとめていたように、104条の3の規定により、被告物件と無関係に無効が主張できる。それは独立した抗弁セットなので。しかしT先生の説はここが違う。自由技術の抗弁と同じだけの主張。

 4. パズルの著作権、など(T08年3月13日)(08年5月11日に記述)

 S裁判官のお話で、パズルの著作権の事件(東京地判平成20年1月31日)などについて伺いました。

 この件は、一部について著作権侵害を認めた(原告の請求を一部認容の)結論です。侵害が認められた部分については、確かにパズルの内容としては引き写したようであり、しかもそのパズルは原告の創作と見るべきようです(少なくとも、それと同じパズルが以前にあったとは見えていない。なお、ご出席だった被告代理人の先生のご説明によれば、事件規模が必ずしも大きくないこともあって、すべてについて徹底した先行例の調査は出来なかった、という面もあるようです)。そういう意味では、この結論の可能性は認められます。

 しかし。私には、この結論は疑問に思われました。パズルの内容としては同じなのですが、表現は違うといえるように思うのです。そのままコピーでないのは勿論、文章も絵もそれなりに違うものなのですね。パズルとしては結局は同じとは言えますが、これは別の表現ではないか、と思うのです。それで、創作保護としてここまで保護する可能性は認めますが、しかし、著作権としてここまでというのは行きすぎではないか、と思うのです。

 もっと一般的に言って、裁判例を見ていて時々思うのですが、意匠権や著作権について、必ずしも良い引例を示せていない場合に、結構、権利者に有利な判断がされていて驚くことがあります。これが類似なんだろうか、というものを侵害としていて。

 公知例がある場合に、権利に対して厳しくなるのは当然で、実際にそうされていると思うのですが、逆に、公知例が十分に出されていない場合に、比較的には広くなるとは思うものの、たとえそういう場合でも、余り強い権利を認めるのはヘンだと思うのです。類似、と当然に言えるようなものに限定されるべき、ということです。

 特許だったら、クレームがありまたそれに対して審査をしているのですから、公知例が無い場合に広いクレームで成立しているなら、それに応じて広い権利で良いと思うのですね。しかし意匠や著作権は、クレームも(著作権は審査も)ないのですから、権利の範囲はどういう場合でも限定的であって当然のように思うのです。そういう趣旨で、類似とかと言っているのですから(と思うのです)、ちゃんと類似の範囲内にだけ権利を認めるべきです。

 それが実際の裁判例では、特許はちっとも強い権利ではなく、著作権や意匠権の方が強力にも見える、と感じます。パズル事件は、そうしたたぐいの、少々不適切に創作保護しすぎの著作権事件の例のように思われました。

(この項、T先生宛にメールした文章を流用しました。丁度、意匠の事件の話が出た関係でこういう話を書いたものですから。)

 5. 進歩性(B08年4月22日)

5.1 ソフトについての判断の仕方

 U先生から、特に欧州でのコンピュータソフト関係発明の進歩性について伺いました。06年のこれの続きです。

 かつては、そもそも特許性無しとしたが(contribution approach により)、人(ユーザ)に対するソフトの働き方を、技術的特徴 technical feature でないから、として無視して、それの結果として進歩性否定、というのが近時の判断(99年のIBM事件、角度を付けたグラフ表示の例、自分で言った先行技術だけで進歩性否定の結論)。進歩性の問題とされるので、微妙なところで特許性肯定の例もある(03年のキヤノンの例。縮小画像の表示と選択しての拡大)。

 日本の懸賞の例、知財高裁(H17行ケ10448)。どのような応答をもって懸賞に対する応募の入力とするか言うこと自体は、〜人為的に便宜取り決め得る事項、として、結局、進歩性を否定。近頃の欧州と似ている? いや、論旨に混乱しているところがあるとのご指摘もあったが、この懸賞の例は欧州と内容的に近いとのご指摘だったように伺った。

 T先生から、コミスキーの件、昨年9月のパネルの判決がある、というご指摘がありました(このケースですね、pdfをアップしておきます)。このケースは大法廷になったとのことで、現在審理中で今年中には出そうというお話でした。方法については、SSBを修正ないしちょっとリファイン、ということらしいです(SSBはシステムクレームだけだった)。technical art に限るというのを持ち出した。事案は、仲裁方法の話で(今度は方法クレーム)、その方法のところだけに新しさがある。ちゃんとシステムにつながっていて、その載せてるところで unexpected result を出すのでないといかん、という話のように伺いました。

 カテゴリーで違う、というのは、米国での全体的な議論とはちょっと違う印象、と質問してみました。そういう面もあるようですね。BBSのディクタで、区別はないとわざわざいっていた意見もあるわけですし。

 SSBについての印象としては、何でも役にたてばOKという感じだったと思うのですが、方法クレームについてはちょっと違うようです。欧州にも日本にも近づきつつある、という話になります。でも、レベルは違うような気もするんだけど……。

5.1.1 コミスキー事件(08年5月11日に加筆)

 上記のコミスキー事件パネル判決を読みました。結論は常識的ですが、State Street Bank 事件との関係は不思議です。また、手続的にもちょっと不思議なところがあります。

 この件の出願は、強制的な仲裁の方法、という、いかにも発明とは思えないものです。読み始めたときには、arbitration といっても、もしかするとイーサネットでのデータのコリジョンへの対応のことなのか、と一瞬思いましたが、そうではなくて、本当に“仲裁”です。これが発明だとは、確かにとても思えません。

 PTOは、先行例に基づき自明として拒否しました。本件判決は、拒絶理由の差し替えが可能であることを論じた上で(日本での最判昭和51年とは違うのですね)、クレーム1などは発明でないからダメ(subject matter 法定主題 でない)、クレーム17などについては、コンピュータを入れたことで発明であり得るとし、特許性についての更なる審査のために差し戻し、との結論です。

 SSBも、まったくの人間の手続きを発明とし得るとしたわけではない、というのですね。内容はもっともですが、SSBがそういっていたのかというと、ちょっと違うような印象です。まあ、あのときの事案についての話だったのだ、という今からの解釈をしていると思えば、これhも勿論もっともなのでしょう。

 不思議なのは、これで一部は差戻なのですね。もともとがPTOは自明で拒絶としていたのですし、クレーム1については、PTOの判断よりももっとダメ、とした判決です。それで一部差戻になるのは、よく分からないところがあります。自明かどうかの判断について、準則を示してはいるので、PTOがやることがあるのは分かるのですが、しかし、これで特許が認められそうにも思えないし……。議論や補正(ないし継続出願)の可能性を与えているということなのかなあ。

5.2 課題についての考え方

 H先生のお話、日本の進歩性評価における「課題」の扱い、についての追加です。昨年のメモはこちら

 課題が違うとの考慮がされるかどうか、については、結果として同様の構成に至るのであれば、顧慮されない例が支配的なのですね。スクリーンのレンズの紫外線対策、炭素膜コーティングの飲料用ボトル、などの事例があります。

 ただ、課題の抽象度のレベルが問題と思われるとのご指摘がありました。パチンコ台とテレビ会議システムの例では、見易くするという、かなり抽象的なレベルでとられています。この関係では、東京高判H16.12.27が、製鉄用原料についての話で、かなり具体的なレベルで課題をとらえ、差異を認めて特許性を肯定しているようです。ただ、抽象度を決定する手法が不明、とのご指摘です。

 知財高裁20年3月27日は、ソーワイヤの発明について、タイヤ用ワイヤの先行例との差を認めて特許性を肯定していて、ちょっと目立つ裁判例のように見えました。数値で規定している例ですが、これで特許性ありとしたのは意外と思います。権利行使の場面でどうなるのか、とても興味深いです。

 ……というのは、こういうことです。内部応力についての限定にこそ意味があるわけですが、タイヤ用ワイヤならそれに当たるものが既存というのですね。しかも、ワイヤとしてはタイヤ用でもソー用でも同じで、製造段階では区別がないという話です。だったら、実は、単にたまたまこの数値の範囲に該当という意味でなら、ソー用でも数値に該当のものが実はあったはずではないでしょうか。単にそう書いた文献がないと言うだけで。先行状況が不思議です。

 この関係で注目されるのが、「〜の範囲に設定されていることを特徴とする」というクレーム文言です。たまたま内部応力が規定範囲にあるというだけでは技術的範囲該当ではない、という解釈をするのかも知れません。その様に当然に読めるものかどうか、果たしてこれで特許性を認めるべきなのか、とても疑問です。

 以上のような例もありますが、課題は、現状では、余り大きな意味を認められていない、とのこと。阻害要因との関係での課題の異同の話を捕捉する予定と伺いました。

 S先生のご指摘で、「課題」と言っても、先行技術の側のそれと、特許の側のそれと、ちゃんと区別して扱い方を考えるべき、というお話がされていました。H先生のメモでもそういうご指摘はあったように見えましたが、なるほどと思います。

 T先生のお話で、KSR以後で、技術課題を論じて特許性を否定する例があるとのこと。跳ね上げベッドとフィットネス用装置、それなりに離れているが、技術課題が共通として特許性否定の例。技術課題の議論は、広くも狭くも言える、アービトラルで客観的な確定が出来ない、との批判的な立場をT先生がご説明になっていた。成る程、そういう立場がアメリカ的だよな、と思いました。

 6. 進歩性の話、いろいろ

 従属項の話。従属項は、要件を追加して狭くなっているだけ生き残る可能性が高くなるわけですが、従属項だけ生き残りを認めた例を思い出さないですよね。明細書に、そういうところの値打ちを書かないからいけない、とも思いますが。

 逆に、明細書に効果をいろいろ書くと、その効果を達しないものを非侵害とされてしまうことがあります。その通りの技術的範囲で当然ならそれで良いわけですが、追加的な効果の場合には、ただ階のでは存してしまいます。従属項を設けて、追加的であることをはっきりさせておくべきです。……という話を近頃痛感しましたが、従属項を書くならそれに対応した効果も、という方向も必要です。

 近頃の侵害訴訟では、被告は無効審判請求もするのがトレンド? という話が出ていました。

 7. 著作権侵害と差止・損害賠償、民法との関係において(T7月8日)

 I判事から、古典的な我妻民法を前提としつつ、それの著作権との関係を改めて考える、というお話を伺いました。

7.1 回収などを損害認定に当たってどう評価するのか

 所有権侵害の賠償請求なら、所有権が奪われなければ(戻しさえすれば)、所有権の侵害に対しての賠償というのは認められません。それに比べて考えると、作ったけれど売れなかった侵害品とか、廃棄請求を受けて廃棄した侵害品とかについて、全額賠償を認めるのには問題があるという話になりそうです。

 マトリョーシカ事件(東京地判平成17年7月20日)では、300個については売れなかったが2%だけ(売れた分については10%)を認めたのですね。その理由は、単に複製権だけは侵害している、というので良いのでは、というT判事のコメントもありましたが、「買い物客の目に触れたものであるから」とした判決の気持ちも分かりますね。生の事実に立脚したい、というのがI判事のご説明ですが、そのココロとしてはさらに、権利者や世間とまったく無関係に“損害”を考えにくい、というところにあるのではないかと思いました。

 U先生が、小売業者への譲渡も一度はあったことをさらにご指摘。その後に回収としても、一度は、譲渡権侵害も成立したということなのですね。回収などをしても、事後的には変わらない、という理屈もあっても、それでも損害額を変える方が良いという考えもあると思われますが、どの支分権の侵害か、ということを考えると、そういう扱いは却ってしにくくなりそうです。

 O先生のコメント(RightNowにお書きになったとのこと)、支分権を規定するのは、差止を考えての設計だろう。損害はもっと平面的で、干渉するところが大事。干渉して、機会損失を生じたところで本来の損害になるはず。

 規範的にいくのか。土地の場合でも、所有者は同説買わなかったという場合でも、不法占拠者には一定の賠償責任を認めるだろう。著作物も、売れなく持て認めるのももっとも。

 パチスロの大阪地裁、というのもあるとのこと。クレージーレーサー事件。パーラーに入れただけで、戻った分については、ゼロ認定だった。

7.2 特徴はフィクションにある、損害額は具体的に行くべき

 T先生は、マトリョーシカを強く支持したいとのご意見(田村説批判として、とのことだったけれど、私が聞いた限りでは、むしろT判事のコメントへの批判のようにも思われました)。田村説の2つの見落とし。フィクション、損害と損害額。無体物で使っても減らないのに、減ることにして損害を認めるというのが既にフィクション。侵害された支分権を見るだけでは、損害を認めるべき、とまでは言えても、額は決まらない。売られなかった場合をどうするか、難しいが、フィクションのあとで、市場機会がどれだけ減ったかを考えればよい。儲けが減ったとか、その回収にかかるコスト、とか。この観点で、消費者に近いところまで行ったほど損害が大きい、というべきだろう。

 ……とても納得させられました。

 T先生の続き、LEC事件については、パッケージで1日使用でも満額、という売られ方をしていた、という前提の働きが大きく、そういう特殊な限定的な話と思うべき、とのご意見。

 ……私が思うには(T先生も同様のようにも思うのでここに書きますが)、マトリョーシカとLECは、必ずしも対立しないようにも思えます。LECでは、減額してないところを特に取り上げると違うとも言えますが、合法的に買った場合を想定しても、あんまり使わないから減額、というのはないわけです。そういうことを思うと、減額するべき要素があると考えても、どういうところで減額するのか、とても困難です。そういう意味で、LECの立場も、いかなる時にも減額しない、というようなものではない、といえそうに思います。上記のT先生のご趣旨も同様に思います。

 ……以上のように思ったのですが、後記の米国の、賠償したら事後の使用については差し止めしない、という話を読んで、さらに考えさせられています。

7.3 複数者侵害関与と、賠償での代位または消尽の成否

 もう一つのタイプの問題は、侵害に複数者が関与する場合。私はこれまでは、契約した場合と違って、こういうのは消尽はしないのだと単純に思っていました。結論的にはそれもありと思いますが、結構微妙なのですね、勉強不足でした(バランスが悪いこともあるなあ、とは思っていたのですが、理屈としても権利主張を止める可能性も大いにあるのですね)

 民法422条で、代位できる、という条文操作が、かなり現実性のある話なのを初めて認識しました。もっとも、それが結論的に支持できるかというと微妙ですけど。

 田村先生は、消尽も認めようとし、また、各段階の賠償責任も分けて分担させようという方向なのですね。そうすると、結構限定されそうです。

7.4 米国の implied license

 米国の場合について、さらに勉強不足でした。Stickle v Hueblein(リンク先はAltLawのページ、そのコピー)をご紹介いただきました。読んでみて、非常に新鮮でした。こうなるとは知りませんでした。ここでの議論および結論によると、侵害装置について賠償を払うのなら、事後のその装置の使用は差止されないのが原則なのですね。恥ずかしながら、ぜんぜん認識していませんでした。

 この事件での対象装置は、タコスを作るフライヤーで、被告はそのユーザー。当初は被告は原告のフライヤーを使い、さらに増強を予定していたものの、原告側の発明者が亡くなっちゃったとかの経過もあって、被告はフライヤーを別のところに作らせて購入。……という経過で、原告側にもちゃんと納入できなかったなどの問題があるようで、そういう争点もあったものの、特許侵害ということにはなり、差止と賠償が認められています。でもその差止というのは、フライヤーを作ることなどだけなのですね。使うことは禁じられていない。賠償額の算定のところで、明示的にそういう話が出てきています。

 事案としては、賠償額の点での差戻です。地裁判決は、そのフライヤーで節約できるコストを元にしての賠償を認めましたが(a reasonable royalty to be 4.2% of Heublein's selling price of all tacos produced by the infringing fryers, approximately $1.5 million)、使用についての対価は認めないということで差戻です。でも、一回限りの賠償(lump-sum royalty)とはいえ、装置の価額に制限されない、というのがCAFCの判示です。いずれにしても、かなり高いのですね。

 使用の差し止めを認めないのは、損害賠償こそを原則とし差止はもともと裁量的な英米法の伝統によっているようには見えます。そうすると、日本では違う、という話になります。でも、米国でも特別な制定法に根拠があるわけではなく、両方はヘンだよね、というのが結局は根拠だとも言える訳で、そういう意味では、日本でももう少し考えても伊豫のかも知れません。

 こういう結論を採るにしても、implied licenseと呼ぶかどうかは、さらに検討があり得ます。近時のQuanta事件最判で patent exhaustion の方が強化されたのでQuanta最判についての私の文章を参照)、この Stickle事件でのような説明が今後もされるのかは微妙なように思います。賠償をとる場合に、実際に特許権者はライセンスしたいと考えているわけではないでしょうから、それを implied license と呼ぶのには多少の無理があるわけで、その辺はQuanta事件での事情と結局は共通するとの理解も出来るように思われます。

 8. 進歩性(B2008年7月14日)

8.1 技術的範囲の広がりとの関係

 YS先生のレポートで、進歩性を考えるについて、“具体的に把握する”という話がありました。

 先行例の方は、それはもっともです。具体的に存在している(いた)ものであり、そこから特許発明が簡単に出てくるかどうかが、決せられる事項です。

 特許発明の方では、問題です。どれだけ具体的に考えるかは、基本的にはクレームの問題のはずです。ここまでのところ、Sz先生とかにも賛成いただいたと理解しています。でも、この話はそれだけでは済まないです。上手く言えなかったのですが、次のようなことがあるはずです。

 たとえば、secondary considerationを論じる際に、クレーム要件(が限られていること)による技術的範囲の広がりを考慮するでしょうか? むしろ、特許権者による実施例についてだけを考えて、たとえば特にセカンダリー・コンシダレーションの議論では、それが良く売れたとか、長く感じられていた必要を満たした、とか言っているように思われます。この検討の場面において、技術的範囲の広い狭いは考慮されていないように思うのです。

 技術的範囲の広狭は、新規性の議論ではもちろん非常に重要です。しかし、進歩性或いは非自明性については、必ずしもそうではないように思うのです。

 この話は、私はかなり昔からずっと疑問に思っている点なのですが、余り意識的に論じられることはないように思います。昔から、というのは、米国にいたときの、Sega adv. Coyle の件について思ったときから、なのです。この事案についてはこの文章を見ていただくとして(同絶対アドレス)、およそ別のものと言うべき被告セガの回路をカバーすると主張するのに、非自明性の議論の際には、そういうことは度外視して自分の実施例に基づいての主張をするのですね。それはおかしいと思うのですが、考え直してみると、たとえばセカンダリー・コンシダレーションについてなら、その種の議論が当然のようになされている、むしろ違う議論というは極めて難しい話となるのですね。

 たまたま、下で言及のアレスターのケースがこれに言及しています。下でもうちょっとコメントします。

 なお、H18年5月24日の有機エレクトロルミネッセンス素子の件は(YS先生のレポート)、ちょっと新鮮なようです。これから見ておきたいと思います。H19年1月16日にも同じ題名のケースがありますね(JS先生のレポート)。

8.2 利用発明と目的の同一/相違

 JS先生のレポートで、「選択特許発明として異質な効果が認められて特許された場合には、前者(=利用発明ではない等とする考え)が、同質の効果ではあるが効果の程度が顕著であるとして認められて特許された場合には、後者(=選択発明も先願発明を利用している等という考え方)と判断される場合が多いかもしれないと考えられる。」とのお話がありましたが、ちょっと不思議に思ったのでコメントさせていただきました。

 「利用」という言葉からすると、同質的な場合こそが利用と言いやすい、というのは確かに分かる話です。しかし、ここでの「利用発明」というのは、それを実施するためには先の特許のライセンスが必要、という関係を指しているわけです。効果が同質でない場合でも、そうなることはもちろんあり得ますし、それどころか、そういう状態の方が両方の特許が成立している状態においては素直な話とすら思えます。その旨をコメントさせていただきました。

8.3 unexpected result

 近頃の特許性の基準はかなり厳しくて、unexpected result を立証できないと特許を維持できない状況と言えるかと思います。この関係の話ですが、A先生(私の隣の)からは、電気では、効果について意外な場合はない、といった話が出ていました。私もそう思います。というか、そういう受け止め方があり得ると思います。それぞれの要素の働きの組み合わせとしてクレームしたなら、それらの働きの組み合わせが出てくるのは当たり前であり、そしてそれ以外のこととというのはありそうにない。そういう意味では、意外な場合など無い、ということです。それでも、使い勝手において意外な効果を生じることはあるのだと思います。T先生の米国についての話は、そういう状況を想定しているようにも思いました。

 A先生が、アレスター(避雷器)についての3部の判決(飯村裁判長)のことをおっしゃっていました。進歩性無し、との結論です。ここにコピー、そのテキスト。当初明細書に記載の無い効果、の問題が争われた話としてのご紹介でしたが、今読んでみると、むしろ、上記の技術的範囲の広がりとの関係についての判事が興味深いです(多分偶然ですけど)。

 アレスター事件には、次の様な判示があります: 「〜電極間のギャップの大きさ等の条件如何によって変動し得ることに照らすならば,特定の寸法・構造の『平行電極板』,『ガラス管』,『絶縁ボール』等で構成された,本願発明の製品(『NVP - 301 - 3.1』)が,対照製品と比べて『応答開始電圧』,『規格電圧(300V)への到達時間』等の電気的特性が優れているとの実験結果があるからといって,それが,本願発明の特許請求の範囲の構成を採用することにより必然的に生じるものとまではいえない。」(14頁の下から15頁にかけて) この事案では、明細書も貧弱すぎるので、この結論は良いと思うのですが、一般論としては強力すぎる様に思います。「特許請求の範囲の構成を採用することにより必然的に生じる」というのは、意地悪く言えば有り得ないわけです。形式的にクレームに該当させても、機能しないようにすることはいくらでも可能なのですから。

8.4 過去形

 T先生の、米国での明細書における過去形の使い方についてのお話、ちょっ興味深かったです。米国では、効果記載中で過去形で書いてあると、それは実際にやったことだとされて、もしも違うと inequitable conduct とされて権利行使できなくなる可能性がある、とのこと。T先生の関与の例で、実験をしていない例について過去形で書いていたのがあり、それはドイツの特許権者の件だったのだが、結局は救われたらしい。

 ディスカバリーでそういう事情が出てくる可能性があるというのも米国ならではのことと思います。確かに、ウソを書くのはマズイですし、それが発見されたなら、行使できないというのも合理的とは思います。でも、その事案のように、外国からの出願とかで、表現上の行き違いがあったとかいう場合だと、救済があっても良かろうとは思いますね。

 9. 米国でのトレードシークレット(K7月16日、メモはこれから)

 

 

 10. 複数者による実施(tb)

 M先生のレポートで、メガネの縁の加工(ヤゲンの加工)を遠隔地間で行うためのシステムの特許の件について伺いました。ここでの争点は、クレームでは一つのシステムとして規定されているところ、被告の方では、

 判決書のさわりは121頁からの次の判示です:

 (3) 争点(1)(複数主体の関与)
ア(ア) 本件発明3は,「眼鏡レンズの供給システム」であって,発注する者である「発注側」
とこれに対向する加工する者である「製造側」という2つの「主体」を前提とし,各主体がそれぞ
れ所定の行為をしたり,システムの一部を保有又は所有する物(システム)の発明を,主として
「製造側」の観点から規定する発明である。そして,「発注側」は,「製造側」とは別な主体であ
り,「製造側」の履行補助者的立場にもない(前提事実(3)ウ)。
(イ) この場合の特許請求の範囲の記載や発明の詳細な説明の記載は,2つ以上の主体
の関与を前提に,実体に即して記載することで足りると考えられる。この場合の構成要件の充
足の点は,2つ以上の主体の関与を前提に,行為者として予定されている者が特許請求の範
囲に記載された各行為を行ったか,各システムの一部を保有又は所有しているかを判断すれ
ば足り,実際に行為を行った者の一部が「製造側」の履行補助者ではないことは,構成要件の
充足の問題においては,問題とならない。

 これは行き過ぎのように思えます。

 私の考えでは、方法の場合には、主体があっての各ステップでありそれは一つの意思主体によるものであるというのがクレーム自体の意味なのだと思われます。これに対して物の発明の場合には、クレームはものを規定しているだけなので、それの各構成要素がどこにあろうと誰に帰属していようと、クレーム該当性の点では関係ないと思うのです。

 このように方法とも能登で違うと思うのですが、そしてこの事件の原告は“物だから”という主張をしていたようなのですが、この判決では、クレーム該当性(要件充足)のところでは区別無く主体を問題としないとしています。これは行き過ぎと思うのです。

 

 11. 今年の裁判例色々(TB12月9日)(2009年1月記載)

 T先生による今年の判例回顧を拝聴しました。その中で特に感想を持ったものを少しコメントします。

 知財高裁平成20年9月29日決定で、特許権侵害仮処分決定取消決定に対する保全抗告事件(取消)、というのがあるのですね。ここにPDFのコピー。保全取消を限定しているなあ、どうしてかなあ、と思いました。この件は、特許権侵害に対する仮処分が出ていたところ、無効審決が下され、それが未確定の時点で仮処分を取り消す保全取消がされたけれど、それを高裁が取り消した、つまり当面は仮処分が維持されることになった、という経過です。無効審決が確定すれば取消で良いけれど、未確定では保全取消はダメ、なのですね。

 このご説明を聞いたときには、かなり疑問に思いました。この仮処分が処分禁止とかの内容なら分かるのですが、差止の仮処分なのですよね。それなのに、無効審決が出てもそのまま維持を原則とするのは、疑問だと思ったのです。でも、この裁判書を見ると、訂正の関係などもあって、この無効審決は取り消されるべきだと言うまでの判断をしているのですね。いや、それどころか実は同日付で取消の判決が出ています。だったら保全取消は適切でない、というのも分かる話であるのは確かです。が、それでも、微妙には思います。そういう、元々は無効ともされたような特許で、仮に差し止め、とかするべきなのでしょうか? いやそれは、この高裁にとっての問題状況とは違うのかも知れませんが、たとえそうでも、何かそのへんの限界付けというか、配慮を見せてくれても良いような気もします。

 

 審決取消訴訟で6月24日、双方向歯科治療ネットワーク、人の精神による行為が含まれても、それだけでダメとはならない、という。それだけだったらダメなんだろうけど。

 同じく審決取消訴訟の8月26日、音から引ける、スペルが分からなくてもOK、という辞書の索引の仕方。取消請求認容。

11.1  修習生の頃の話

12. 専門委員

 T判事による、専門委員の入った技術説明会についてのお話を伺いました。

 K先生などにより、専門委員を米国等へ説明する際にはどう言ったらいいのか、という話題が出ていました。T判事によると、「裁判所選任の専門家証人」が近いのではないか、とのこと。確かにそういうものがあるなら近そうですが、

 米国の連邦民事訴訟法規則706条(リンク先はコーネル)では、「The court may on its own motion or on the motion of any party enter an order to show cause why expert witnesses should not be appointed, and may request the parties to submit nominations. The court may appoint any expert witnesses agreed upon by the parties, and may appoint expert witnesses of its own selection. ...」とあります。Court Appointed Scientific Experts (CASE) を支援? している組織もあります。

 知らないのも無理はないと思うのは、次の状況からです。このブログによると、「2007.05.30 Wednesday 15:38 特許・知財トピックス 特許侵害訴訟において裁判官の訴訟指揮によりcourt-appointed expertがトライアルにおいても証言を行う事例があった模様。通常、裁判所が任命するspecial masterが裁判官の技術的理解等のため裁判所を補助する例はあるが、裁判所が任命したexpertがトライアルで証言することは極めて稀と思われる。トライアルにおいては、原告・被告ともそれぞれのexpertに証言を行わせるため、両expertのどちらにより信憑性があるかを判断するのは容易ではない場合が多い。裁判所任命のexpertが証言を行う場合、このような問題点は解決されるが、陪審員等のfact finderへ与える影響が極めて大きいと思われる。今後の動向に注目したい。」とのことで、まあ、特許事件において滅多にないのですね、可能であるにしても。

 また、ジュリストの座談会でのことですが、篠原所長が「世界に例を見ない制度として注目されていますので」(ジュリストNo.1294 (2005.7.1) P.30左欄)とおっしゃっているくらいで、米国にこういう近いとも言えるものがあるとは思っていませんでした、恥ずかしながら。


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